カラーは、自我/エゴのキャラクターを表現している。 | かんじるココロケア あまのこころ

 

 

 

カラーが表している/例えているものって

「 自我/エゴのキャラクター 」です。

 

自我というキャラクターがあるうちは、そこには「好き嫌いという趣向」があるから、カラー同士の折衝(方向性の違い)はどーしても起きてくる。

 

たとえば「 苦手な人 」というのは、その相手と自分の間で ポジションの椅子取りゲーム が起きてるのかもしれない。その苦手な人と自分の性格・キャラクターが「かぶっている」ってこと。そして、自分を「いつもの居心地のよいポジション」にいさせてくれる補色(自分とは対象的な人・関係性)のことを「好き・好感」をもったりする=ニーズがあっている。

 

たとえば、パープルばあちゃんが孫イエローを可愛がる、みたいなこと。(パープルとイエローは補色関係)孫・子供・動物ペット を可愛がることがおばあちゃんの幸せであり、可愛がられることが孫・子供・動物ペットの幸せという関係性。

 

たとえば、2。イエロー(子供)はイエロー同士で楽しみつつも、パープル大人の認知(評価や注目)を奪い合うライバルでもあるから、自分よりイエロー的な存在がいると居心地が悪い、わたし!わたし!が起きる みたいなこと。

 

たとえば、3。パープルにとっては慕ってくれるイエローが必要だから、孫・弟子争奪戦みたいなことが起きる。そういう未熟パープル(グル、教祖、じいちゃんばあちゃん)は、パープルというより赤と青でゆれている状態の赤or青。

 

補色(自分とは真逆の、対象的な人)が苦手なケースもあるし、自分のメインのカラーとかぶっている相手とのほうが「盛り上がれる」場合もあったりする

 

いろいろ。嫌いと好きは表裏一体。

 

「 どの色のポジションにいると満足で、そうでないと不安なのか?」

「 どういうカラーの人と、よくもめるのか?」

「 どういうカラーの人といると、居心地がいいのか?」とかとか。

 

それがわかると、自分・自我の傾向がわかる。「なぜ、相手のことを嫌い/好きとおもうのか? 」についても、よくわかってくる。そこまでわかってくると、こだわっていた趣向(好き嫌い)が、そこまで好きでも嫌いでもなくなってくる=こだわりが薄くなってくる。自我っていうのは、受け入れれば受けいるほどに、薄くなっていくらしい。

 

特定の立ち位置にこだわりがなくどのポジションであっても居心地よく過ごせると、そういうポジション争奪戦みたいな揉め事や、マウンティング的なことは起きなくなってくるはず。

 

とらえどころがない人というのは 自我(カラー)の出力が薄い。

 

「これが自分らしさ」と認識していることを「いま自分やれているぞ」と実感できると、自我/心身は安心するのだけど、それも「思い込み」でしかなくて、実は「自分らしさ」は限定・特定されるものではない。

 

自我がある(自我という存在感がつよい)ってことは、バランス=二元的なことがセット。

 

自我の傾向を知りバランスさせるような「自我をフューチャーする時期や方法」もあるけれど(カラー心理もそう。)自我/自分というものの出力が薄くなってくると、バランスをとる存在感そのものが薄くなってくるので、「自分らしさとは?自分とは?」みたいな目安のような基軸が必要なくなってくる。


 

 

 

レッドの意味

ブルーの意味

オレンジの意味

グリーンの意味

イエローの意味

パープルの意味

 

 

 

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  「色」から、いまのあなたへのメッセージお伝えします。