父母、じいちゃんばあちゃん、子供
をカラーで表すと、個人的にはすごく腑に落ちます。
父ちゃん
=レッド(男性性、能動的、動的)
母ちゃん
=ブルー(女性性、受動的、静的)
じいちゃんばあいちゃん
=パープル(中性、熟成、叡智)
孫・子供
=イエロー(無邪気、自由、わがまま)
とくに 孫とじいちゃんばあちゃんの
補色関係がお気に入り。
父母には醸し出せない包容力のパープルばあちゃんにとって
孫は目に入れても痛くない存在
喜び 笑い 希望 そのもの。
子供は生まれたばかりで、
この世に擦れてない未熟者
無邪気で好奇心の塊ゆえに、
とんでもないことをしたりする
陽気さ と
無邪気な残酷さ(悪意のない凶器さ)をもっています。
パープルばーちゃんは、
ちょっとやそっとのことじゃ驚かないし動じない
どーんとしているけれどが、
子供は、まだまだ擦れてない
(経験値がない、慣れてない)から
とっても繊細で傷つきやすい。
無知ゆえの好奇心
知らないからゆえの軽快さ。
だから、みずから経験=傷ついていく。
泣いて帰ってきた孫を
いつもやさしく包み込みこんでくれる
パープルばあちゃんの存在は
孫にとって大きな優しさ
(慈悲、懐のふかさ、癒し)そのもの。
そんな孫は、パープルばあちゃんにとっては
喜びであり、
エネルギーであり、
未来・希望であり
お互いに補いあっている関係性=補色。
あふれんばかりの光が、
いろいろな意味でこの世に擦れている
酸いも甘いも体験してきた熟成パープルばあちゃんを
笑顔にしてくれます。
いろいろな発見をもたらしてくれる。
この世の喜びを、改めて気付かせてくれる孫。
お互いにとって、かけがえのない存在なのは
自分からすると相手が「真逆な存在」だから。
子供には あんぱんまん 絵本 遊び道具
ばあちゃんには 「ゆほびか(健康おたく)」
抽象的な宗教的な情報にも抵抗なし。
老成していくと、
じいちゃんは「ばあちゃん」にみえたり
ばあちゃんが「じいちゃん」にみえたり
性別を超えていきます。
子供に比べて、あの世(死)も身近になってくる。
いろいろ達観してくる。いろいろなものがみえてくる。
子供は、ある意味、あの世から来たばかりだし
子供も、老人も、あの世とこの世にとても近い=繋ぐ存在です。
生まれては死んでいく、、、
夜 から 朝 へ
命のリレー、世代交代という循環。
かんじるココロケア あまのこころ