「察することが当たり前」
先日
こんな記事を書きましたが
「察する」こと自体は
悪いことでも何でもありません。
ただ
その「察し」が
本当にそうなのかについては
検証されることはないし
「察する」ことが
当たり前になってしまうことで
「察しよう」としない人や
その「察し」が間違っている人に対して
攻撃するようになることは
非常に由々しき問題だと思います。
ウエダミツトシです
こんにちは
え、察しないとダメなんですか?
そりゃね
色んな場面で
細かいところにまで気がついて
察してくれる人は
とってもありがたいと思います。
でもそれを
相手に強要するのは
違うくないかい?
と思うオイラです。
自分が
気がついてしまう人で
察することが
できてしまうのは
もうしょうがない。
ただそれを
他人にも
「そうしろ」とするのは
違うと思います。
他人には他人の価値観、倫理観
そして
その人独自の基準があります。
それを尊重せずに
「そうしろ」というのは
非常に乱暴と言わざるを得ない。
この「察する」ということに関しては
女性側が
男性に対して
求めることが多いように思いますが
そして
「察してくれない」ことを
自分が愛されていない
大事にされていない
ということの証明に使っている人が
多いように感じますが
いかがでしょうか?
そもそも
「察する」ということに関して
男性と女性では違うでしょうし
こんなに主語をデカくしなくても
個人差があって当然だと思うのですが
「私だったらそこは察するけど
この人はそれをしないんだ」
となって
ただ、その事実だけを認識する
というのならいいのですが
それを
善悪という
しかも
そう思った人だけの基準で裁くというのは
なんとも独りよがりなことだなと
思うわけですよ。
女性側が
男性に対して
「コイツ、察する能力ねえな」
と感じることは
多々あるでしょうが
なぜ、
男性側が女性に対して
「もっとそこは察してほしい」
と思っていないと思うのかが
とても不思議です。
男にもあるよ
「そこは察してよ」ってことが。
つまり
お互い様よね
という話で。
なぜ、男性側のみが「察する能力がない」となっているのかが僕にはよくわからない。
だからもう
この「察する」ことを良しとする文化は
やめにしませんか?
と思います。
察したい人は
お好きに察していただいて
いいと思うのですが
そうしたくないとか
「そこまでせなあかん?」と
思っているのに
「察する」ことを良しとして
それをしない人を裁いてしまうようなら
察しないで!
と思います。
そして
話が元に戻るのですが
ちゃんと確認しましょう
ということになります。
これは僕の仮説ですが
たしかに
男性よりも女性の方が
周囲の状況に敏感で
色々と
感じ取ってしまうという傾向は
あると思っています。
そして
家の中で察することが生存戦略のひとつに
なってしまうケースは多々あるとも
思っています。
機能不全家庭
毒親
虐待・ネグレクト
過干渉
等など
その環境によって
察しないと自分の安全が脅かされる
という経験をしてきた人は
どうしたって
「察する」ということを
してしまうと思います。
そして
察することが当たり前になってしまう。
それはそれで
仕方のないことだと思いますが
世の中には
「察する」ことが
生存戦略になっていない人たちも
たくさんいるので
まずは
それを知っていただくと
いいのではないかと思います。
あと
「察する」ことが
当たり前になり過ぎてしまうと
どちらかというと
損な役回りになることが
多くなるように思います。
「察する」ことって
ある意味
他人の顔色を窺うことにも
通じると思うので
他人の顔色ばっかり窺って
それで幸せになった人を
僕は見たことがありません。
幸せな人って
むしろ逆です。
たとえ
敏感に感じ取ってしまう人でも
他人の顔色を伺わずに
自分の基準で判断ができる。
そう決めて
それを実践している人の方が
幸せな状態にはなりやすいですよ。
繰り返しますが
「察する」ことは
悪いことではありません。
世の中は
多くの「察する」ことができる人のおかげで
回っていると思います。
ただ
「察し過ぎてしまう」ことで
多くの人間関係のトラブルが
起きていると思うので
だったら
その「杉」をやめてヒノキにしませんか?(違う)
すみません
何の問題解決にもなってませんでした。
ただ
その「やり過ぎ」をやめましょうと
思います。
察し過ぎることで
自分は疲弊するし
その察しに対して
相手がちゃんと応えてくれるかは
相手側の問題なので
こちら側では
どうすることもできません。
そして
常に
他人の顔色を窺うようになってしまって
察しすぎるがゆえに
雑に扱われるようにもなってしまうので
察しない
ということを
僕はオススメいたします。
これはあくまで
「察しすぎ」の人に向けての提案ね。
人のことを考えずに
自分のことばっかり考えてきた人は
もうちょっと
察してもいいかもしれない。
まあ、そういうことで(どういうことだ)
「察する」こと自体は
悪いことではないのですが
それを
自分と同じ基準で
他人に求めてしまうのは
気持ちとしては
わからんでもないんですけど
トラブルの元なので
できる限り控えましょう。
きっと
ZEROにはできんだろうから
やれるところからでいいので
「察し過ぎない」ように。
頼むでしかし。
その「察し」が
合っているとも言えないんだし。
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