「細かく」
紙に書けって
よく言われるじゃないですか。
それはたしかに
その通りだと思うのです。
そして
紙に書いて
人生が大きく変わった人と
何も変わっていない人とに
分かれるじゃないですか。
その違いって
説明できますか?
紙に書いて
人生が変わった人は
説明ができると思います。
でも
人生が変わっていない人は
たぶん
説明ができないと思うんですよね。
ウエダミツトシです
こんにちは
僕は
紙に書いて
人生が変わったこともあれば
何も変化がなかった経験の
両方があります。
だから
これはあくまで
僕の仮説として
読んでもらえたらと思うのですが
紙に書いて
人生が変わった人と
何も変化がなかった人との違いって
きっと「これ」だと思っています。
この説明を聞くと
「紙に書く」ということが
スピっぽく聞こえなくなると思う。
それくらい
言ってしまえば
当たり前のことで
見えない力とか
そういう話じゃないことが
理解してもらえると思うんですよ。
それは何かというと
細かく書く
ということです。
紙に書いて
人生に変化がない人は
ざっくりとしか書いていないと思います。
「なんとなく」
「漠然としている」
「ふわっとした感じ」で
書いているので
人生に変化が起きないと思います。
逆に
人生に変換が現れた人は
グラデーションはありますが
こと細かく
紙に書いているんだと思います。
シンプルに考えてみてくださいね。
タワマンとかを建てる時に
その設計図って
作るわけじゃないですか。
それも
国家資格を持った
一級建築士さんとかが
何人も関わって
そして
時間をかけて
書き上げるわけでしょ。
それでできた設計図が
「ざっくり」していると思いますか?
っつー話で。
さっくりしてたら怖いわ!
って話じゃないですか。
タワマンはとっても大きな建造物ですけど
それを建てるためには
細かいところに誤差があったら
大変なことになるわけで
だからこそ
細部にまでこと細かく
書いていく必要があるわけです。
一軒家でもそうだし
車だってそうだし
工場の機械とかもそうじゃないですか。
ああいった
大型機械や建物って
必ずその設計図があって
細部のことまで
細かく書いてあるわけですよ。
「ここのネジはこれで」とか
「ここの部分はこの素材で」とか
「ここは〇〇ミリでスペースを空けて」とか
それこそ
ミリ単位で
細かく書き込んでいくわけです。
それでも
実際に作り始めたら
うまくいかないことの連続で
その都度
臨機応変に
対応していかないといけない。
ものを作るには
必ず設計図があるわけです。
指示書も必要なわけです。
そうやって
こと細かく仕上げていって
やっと
実際の工事に取り掛かれる。
それなのに
人生については
どうでしょうか?
人生と実際の建物や大型機械とは
勿論、性質が違うものなので
設計図とまでは言いませんが
やっぱり
こと細かく
書いてみないことには
それが現実になるってことは
極めて稀じゃないでしょうか。
たまに
「100万円が手に入りました」と
書いただけで
100万円の臨時収入があった
という人もいるとは思いますが
それを基準にはしない方がいい。
あくまで
紙に書いて
それが現実化するのって
「そこまで書くぅ!?」
というくらい
こと細かに書いた人じゃないでしょうか。
どうやって
現実化するかのロードマップにちついては
書かなくてもいいです。
でも実際に
自分がどんな状態になっていたいのか。
どんな生活をしていたいのか
その時に
どんな服を着て
どんな人と一緒にして
どんな会話をしているのか
そういったことまで
こと細かくイメージして
紙に書いている人って
どれくらいいるんでしょうかね。
きっと
少ないと思います。
今は
それくらい
細かく書きましょう
みたいな書籍とかもあると思うんで
そうやって書いてみて
現実化した人も
いるとは思いますが
「紙に書く」ということだけ聞いて
そこまでやろうとする人って
ほとんどいないと思います。
だから現実化しないのです。
さっくりとしか書いてない。
「でっかい家に住んでいる」
くらいじゃ
何も変わりませんよ。
「でっかい家」が
どんな家なのか
どこに建てるのか
何階建てで
部屋は何部屋あって
お風呂はどこにあって
トイレはいくつあって
家具はどこのメーカーので
何色で
素材は何で
等など
そういったことまで
こと細かに書いてみて
やっと
具体的にイメージができるでしょうし
自分の中でも
現実味を帯びてくるのではないかと
思います。
「紙に書く」と
一口に言っても
それくらい詳細に
設計図を書くような感じで
仕上げていかないと
その書いたことが
現実化することはないですよ。
タワマンでも
一軒家でも
車でも
大型産業機械でも
ガンプラでもそうですけど
まずは先に設計図があるのです。
(ガンプラの場合は組立て説明書と言う)
設計図が先で
形になるのは後です。
人生も同じ。
設計図がないままの人生は
それこそ
どうなるのか
どんな人生になるのかが
全く何もわからないままで
行き当たりばったりで
生きていくことになるわけです。
そういう人生がお好みの人もいますから
それがダメだとか
悪いということはありません。
それはそれで
人生の楽しみ方のひとつです。
でも
「こうなりたい」とか
あるいは
「もうこういう人生は嫌だ」と
思うのなら
まずは
どんな人生を生きたいのかを
紙に書きましょう。
そして
細部にいたるまで
こと細かく書いてください。
そうするから
現実化するんですよ。
ね、スピ的な要素はZEROでしょ?
だって
紙に書くって
そういう「魔法」的な話では
全くないですからね。
コツは
細部にいたるまでこと細かく書く
です。
設計図にミスがあったら
大変なことになりますからね。
そこまで
気を張る必要はないですが
自分の人生ですから
どうやって
生きていきたいのか
それについて
ちゃんと紙に書いてみる
ということは
必要ではないですかね?
それをせずに
「人生が変わらんわ」って言われても
設計図の何もないのに
「タワマンがいつまで経っても立たない」
と言っているのと
同じようなものですよ。
そりゃ立たんって!!
職人さんたちだって
何をどう建てたらいいかが
全くわかってないんだから
立たなくて当然です。
どんな人生を生きたいのかを
こと細かく書いていないのに
人生を変えたいってだけ言っていても
何も変わらないってことが
これで
ご理解いただけたでしょうか?
僕たちは
設計士になる必要はないですけど
人生の設計図は書かないと
どんな人生になるのかが
全くわからないままの
行き当たりばったり人生になりますよ。
それがお好みの方は
そのままでどうぞ。
でも
そうではない
「なりたい姿」がある人は
頭の中で考えているだけではなくて
実際に
紙に書いてみましょう。
それも
設計図を書くように
細部にいたるまでこと細かく。
大阪で毎月やってます。
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