今回の誕生日企画に来てくださった
多くのお客様がね言われるのね。
「私もインナーチャイルドを学んで、
知っているんです」
「こんなに傷ついた子が
私の中にいて……」って。
うん、そっか。
傷ついた子がいるんだね。
でもね、あえて厳しいことを言うよ。
あなたはインナーチャイルドという
「言葉」を知っているかもしれないけれど、
「知っている」と
「できている
(癒やし方、付き合い方を知っている)」は
全くのノットイコール(≠)だよ。
スピリチュアルや心理、
自己啓発を頑張って学んできた人ほど
何かを提案したときに
「私、それ知ってますけど」
って言うの。
みんな「インナーチャイルド知ってます」
「自愛知ってます」って
お勉強のスタンプカードを
水戸黄門の印籠みたいに
突きつけてくるじゃない?
あのね、それただの
「ことばのコレクション」だから。
じゃあ、聞かせて。
知っているなら、
なぜ自分のために
それを使ってあげないの?
本当にその知識を
自分ごとに落とし込んで
体現できているなら、
今、あなたの目の前に
パワハラしてくる威圧的なアイツや
モラハラチックに
あなたを蔑(さげす)んでくる人は、
絶対に現れない。
もし出てきたのだとしたら、
モラハラな言葉を「言われた」んじゃない。
「わたしが、その言葉を言わせた」の。
こう言うと、
あなたは激怒するかもしれない。
「は? わたしが悪いの?
わたしは傷ついて辛かったの。
だから慰めてよ、わかってよ!」
「わたしが正しい。
間違っているのはアイツで、
わたしは間違ってない!」
って。
そうやって自分の正当性を
主張したい気持ちもわかるよ。
ムカつくならムカつくでいいし、
許せないなら一生許さなくていいと思う。
誰が悪いとか悪くないとか、
そんなことはどうでもいいの。
現実はすべて、あなたの投影
「この世界は鏡、
投影の世界。
自分の思考が現実を創る」
その言葉を
「知ってます!熟知してます!」
って言うくせに、
なんで「言われた」っていう
可哀想な被害者の立ち位置から
1ミリも動こうとしないの?
言われたんじゃなくて、
「この言葉を、
わたしがこのタイミングで
聞くことになったのだとしたら?
わたしが言わせたのだとしたら、
一体なんのために?」
という視点で、
自分の内側に問い直すの。
それが、あなたがこの世界の
「創造主」として
生きるってことでしょ?
そこを自分で問い直せるように
ならないと、
あなたは一生、
目の前のモラハラやパワハラな
アイツを増幅させ続けることになるよ。
ずっとどこかで嫌な思いをして
また傷つくのをドキドキして怯えて、
怖くて言いたいことも言えなくなる。
そしてずっと
「アイツにあんなこと言われて
傷ついたの」って、
周りに言い回らなきゃいけなくなる。
「可哀想な私」を
いつまでやりますか?
あなたはこの先もずっと
そうやって「傷ついたかわいそうな私」をやって
誰かに慰めてもらいたいの?
「辛かったね、ひどいよね」って
共感してもらって
ヨシヨシされたいの?
「傷ついた子がいるんです~」って言いながら
その傷を免罪符にして
周りに「ねぇかわいそうでしょ?
慰めてよ。
ヨシヨシしてよ」
って
一生承認欲求の物乞いをしていたいの?
あえてもう一歩踏み込んで聞くよ。
「あなた。その嫌なアイツを制裁したいの?
それとも被害者の立ち位置からさっさと降りて
【わたしがこの世界の王国を創る!』って
覚悟を決めたいの?」
それを、自分で自分に
できるようになりましょう、
っていうのが「自愛」じゃないの?
自愛って言葉を知っているなら
なぜ本当の意味で、
自分のためにやってあげないのだろう。
「知ってます」って言うのはね、
薄っぺらい表層的な
「ことば」を知っているだけ。
そこから自分ごとに落とし込んで、
体現させている人とは
生きる「深さ」が全く違うんだよ。
……なんてね。
ただの、わたしのひとりごとです。
わたしがずっと他責で知ってる風をして
物乞いをしてきて痛い目にあってきたからさ。
それやってるうちはほんまにしんどいよって
ただ幸せになりたいだけやのにね。
