目を使ってないから。
昨日の続きです。
一昨日の記事に、
Yさんのメッセージ。
次から次へと。
いろんな観方が思い浮かぶYさん。
> 多面的に見てしまうことで、
> 人に共感出来てないこともあるので、
> 嫌な思いもさせてると思ったり。。
> 正直、人の良いところを
> 素直に良いと言えたり、
> 共感できる人を見ると、
> 羨ましいと思っています。
「羨ましい」と、素直さにメリットを。
けど、そんな単純でいいのかと。
同時にデメリットも。
「どちらも」観えると。
変わらなくていい。
その時が来れば。
勝手に変わるから。
> でも、それが出来たとしても、
> 違和感を感じる自分がいるのもわかってきたので、
> そこは目指す自分ではないんだろうなぁ、
> と思ってるんですが。。。笑
やっぱり。
さすがYさん。
そう、「正しい」ではなく、「違和感」。
自分の「センス」です。
ピピッときたのが、こちら。
「癒しと目覚め Q&A」
中野真作 青山ライフ出版
> 身体の感覚に意識を向けているときには
> 思考が静まり、沈黙に気づいています。
> 沈黙に気づいているときには
> 言葉の世界から抜け出しています。
> 言葉の世界から抜け出しているときには
> 「よい」とか「悪い」とか、
> 「完全である」とか「完全でない」といった
> 分離の視点を抜け出し、
> 世界をありのまま見ています。
> 何かが気になるとき、
> それについて考えることをできるだけやめて、
> そのとき自分の身体の中で動いているエネルギーを
> 直接感じて下さい。
肉眼で相手に焦点を合わせると、
自動的に思考が活性化。
相手がAと言えば、
反射的にBはどうなんだと。
それが思考の働き。
素直になれる時ってね。
意識が相手ではなく、
自分に向いている時。
目は開いてるけど、
どこにも焦点を合わせていない。
肉眼にエネルギーが宿らない。
自ずと生じる感覚。
エネルギーが抵抗なく流れていれば、素直に。
何か引っかかりがあれば、違和感、不快感に。
引っかかるうちは、言語化することで、自覚。
気づかなければ、手放せない。
手放せた時、エネルギーが流れ、祝開通。
結果、素直に。
そこは、Yさんも自覚。
> 感情を感じ切ること。
> ここはまだ無意識に思考で守る癖が抜けませんが、
> 前より気付けるようになっていると思います。
Yさんのコメント。
いつも違和感を言語化されてるの。
つまり、違和感に気づけてる。
感覚をキャッチできてるから。
思考だけだと、
「良い」「悪い」に。
意識を相手にフォーカスしたままで、
ジャッジを手放すことはできない。
意志の強弱ではなく、そういう仕組み。
目は開けど、使わず。
なるほど、そういうことか。
『ボー観』の価値に今さら気づく。
Yさん、ありがとうございます。
今日は、ここまで。