楽しないから。
『ボーッと観る会』、昼&夜の部。
先週の憧れの自分を割り出すワーク。
一番多かったのが、「寛容さ」。
「大らか」「許容」「器が大きい」など。
似たような表現、多し。
もちろん、私も。
つまり、これまでの人生。
許せないことが多かったから。
「〇〇は、□□である。」
「〇〇は、□□して当然だ。」
「〇〇であるかぎり、□□しなければならない。」
それ以外は、悪いこと。
直ちに正されるべき。
自分も、相手も許せない。
「正しい」は、常に選択肢がひとつ。
「頭が固い」とも。
ピピッときたのが、こちら。
「〇〇様との対話 エネルギーアファメーション 第3巻」
ハヤシ ムネヒロ Kindle電子書籍
> 頭の柔らかさとは、
> 物事を結論づけない
> 複雑さを許容する力です。
私は、陰陽論で観方が増えた。
陰あれば、陽あり。
「どちらか」だけって、この世にない。
「AはBだ」と決めつけたくなる時、
対極が観えていない。
けど、ちょっと考えれば、わかるのに。
なぜ、決めつけてしまうのだろう。
自分も相手も苦しくなるのに。
> あなた方は物事に善悪を決めたがります。
> これは良い、これは悪いと決めてしまえば、
> 思考がとても楽になるからです。
なるほど。
脳が消費を抑えようと。
生き方として、どうこうというより。
生命としての本能か。
> 悪いと決めつけた方を責めるだけなら、
> とても楽な思考で済みます。
> あなた方は楽をしたいので、
> 複雑な事情をすべて理解して
> 公平な判断を下すことを避けます。
たしかに。
複雑な事情をしればしるほど。
善悪は簡単につけられない。
先日の記事でね。
重病患者の子を支えるお母さん。
一歩間違えば、お母さん自身が追い詰められると。
「虐待は、悪い。」
たしかに。
反対できない。
そう決めると、簡単とも。
けど、追い詰められる母親の気持ちがわかるとね。
一概に「悪」と決めつけられない。
私も認知症の母を相手に同じ体験を。
自分でも「悪い」と思ってるからこそ、
余計に追い詰められる。
> 自分を責める思考も、
> 死にたいという思考も、
> 物事の一面だけを見て
> 決めつけた結論です。
> そして他の意見や情報を見ようとせず、
> 自分の出した結論に固執します。
真面目な人ほど、うつ病になりやすい。
教えられた「正しさ」。
いまでも守り続けてるから。
思い出すのが、Yさん。
ボー観会のコメントでね。
いつも口にされるのが、
「私、いつも考えすぎなんです。」
「それってホントにそうなの?」
「こうも観られるし、ああも観られる。」
ひとつの見方に固執しない。
「AはBである」で片づけない。
「自分でも考えるの好きだなあ~って。」
これ、「アタマがやわらかい」とも。
Yさんは、自称「考えすぎ」だと。
けど、私から観ればね。
思考にハマってそうで、ハマっていない。
考えている自分を客観視しているから。
「いま、『〇〇は□□だなあ~』って考える自分がいるんです。」
そう、「実況中継」。
思考の時制は、過去と未来。
現在にフォーカスした時点でね。
思考は、力を失う。
苦しめるほど、影響力をもてない。
思考で思考は抑えられない。
抑えられないなら、ほっておく。
そのまま、放置プレー。
いろんな観方が勝手に増えていく。
「実況中継」こそ、やわらかさの秘訣。
なるほど、Aという出来事には、
Bも、Cも、Dも。
いろんな観方があるなと。
> 頭の柔らかさとは、
> 物事を結論づけない
> 複雑さを許容する力です。
出木杉くんからジャイアンまで。
誰とでも友達になれる土俵の大きさ。
「正しさ」を振りかざした時点で。
同志しか友達になれない。
土俵は小さくなる。
寛容さとは、器が大きいこと。
陰でも、陽でも。
ただ「ある」ことを観られるのが「ゆるし」。
「土」気旺盛な日本人のお家芸。
やっぱ「実況中継」だな。
今日は、ここまで。