さやりんごさんのブログは本音を肚から喋ってるから息づかいまで伝わる。
響くなあ。
親の影を追いかけて、ウダウダしてる暇があったらノートやブログを書こうだって。
いくつか前の記事で、Twitterしない方がいいよって書いたんだけどね、私はブログはある程度意義があると思ってる。それは、この方が言っていることと同じ。
自分と対峙する。
これに尽きる。
でもね、あまりにも状態が悪くて、他人ありきの文章を書いてしまう時もある。
他人に良く思われたいという気持ちで気取ってしまうだけならまだ人間らしくて微笑ましい。
でもね。
他人の文句をあーだこーだ言い出して、放屁しながら喚いて、時にゲロを吐き散らし、訴訟リスク犯してしまうような精神状態なら、ノートが良いよね。
…ってことが言いたかった。
メンタル病んでると、特に何らかの過去のエピソードを無自覚に引きずっていると(PTSD)、やりがちなんだよ。
親だったりね、いじめだったりね。性的被害だったりね。
つい、誰かへの復讐のために、アピールの為に、自分を正当化するためのブログを書きたくなるの。
実はね、昔、さやりんごさんとほとんど同じようなこと言ってた人を精神科医で知ってる。
「精神疾患の治療(キュア)のために、自分に向き合いながら書くブログ」の意義について話していた精神科医。
この人よ。
私が現役メンヘラ(診断名は気分障害、気分変調症、双極性障害2型等だったけれど、先生の流儀に則ると「複雑性PTSD」)だった頃は、ブログのコメント欄もいいね欄も解放してくださっててね。
閉じられてから、もうかなり久しいですね。
なんで閉じてるかは、分かるでしょう?
メンタルヘルス界隈の品のなさを見れば。
昔も今も、変わりなく相変わらずだなあと、多分苦笑されているだろう。
まあ日常的に患者と向き合いながら、学会とか論文とか、ちゃんと真っ当に精神科医としてのお仕事をこなしながら、プライベートで、一円のお金にもならない、モンスタークレーマー(と書いてメンヘラと読む)たちのお相手なんて、それ、何の地獄?ってやつですよね。
そりゃ、初めは医師としての使命感はあって始めたことだとしても「もう無理だ、コイツらもうどうにもならん。やってられるか、もう知らん」って、なるの、当たり前体操ですよ。
まあ、色々と大変ご苦労があったようです。
でも、ブログは書き続けて下さってる。
先生の元に集い、ブログを書き始めた人を何人か見た。
その人たちは、正しくブログセラピーをしていた。
たまに、先生から喝をいれられている方もいた。
「そうじゃない!余計な話はいい。話を逸らさずに、自分の心の傷について書きなさい」
先生、もしかして前世、禅寺のご住職ですか。笑
と思ったものだ。
つまり…さやりんごさんは、精神科医レベルのこと言っている。
自分に集中したことをブログに書きなさいって。
やっぱり億を稼ぐ人はマインドが違うわ。
自分に集中した軌跡は、読む人に気付きを与える。そして、本人は自分を生きれる。
これ、余談なんだけどね。
「私の患者は、精神薬の離脱症状が起きない」と昔、先生がご自身でブログに書かれていたんだ。
巷の離脱患者は何を寝言言ってるのか、よく分からないと。集団ヒステリーなんじゃないか?と。
当時、私は混乱しましたよ。
じゃあ、離脱症状の正体は何?と。
んでもね、最近謎が解けました。
実はもう1人。
「離脱症状?…見たことないね」
という先生を知ったからだ。
私の所属するオルタナティブ協議会のボス中川さんによると、我が会がお世話になっている野田正彰先生の患者には、離脱症状がないそうですよ。
離脱が無いと言っている先生の共通点を、考えてみた。…まあ、普通にプロフェッショナルだよな。
患者の人生に触れてるんですよ。
本物の精神科医は。
離脱症状など起こしている暇もないくらい、ちゃんと自分と向き合うように、させてるんだと思います。
どんなに重篤な状態の患者であっても、その状態はその人の一時の「状態」であると分かっていて、快復を信じ、(信じるというより多分、「確信」し、)そして治す。
プロとして薬の作用、薬理を理解しているのは大前提として。
加えて、患者が主治医を信じ、自らの快復を信じ、ラポールが形成されていて、患者は自分自身の「原因」「理由」と向き合うことに集中している状態だったら、離脱症状が出ている暇がないのかも知れないと思いました。
それが出来る先生があまりにも日本には少ないから。
健康人を薬漬けにして患者を作る精神科医が殆どだから。
治さないでしょう?
薬出すだけでしょう?
悪化させるでしょう?
だから、精神疾患患者は自分で自分と向き合わなきゃだめですよ。
自分が、何らかのPTSDを抱えてると自覚して。
実はこの記事はある方に頼まれて書いたもの。
巷に間違った減断薬の方法が蔓延っていて、他人の減断薬方法にケチをつけて、ある情報源を読むように誘導するけしからん輩がいる。
迷惑を被っているし、仲間も被害に遭った。組織に属するはんがいさんに、「正しい情報」の記事を書いて下さい、と。
メールを下さった方がいたのだ。
勇気を振り絞って私にご連絡を下さったその方に迷惑をかけたく無かったし、「この記事は人に頼まれて書きましたよ」なんて個人的なアピールは、「私は人に頼られてるのよ。えっへん、すごいでしょ」っていう虚栄心が垣間見えて、マジでカッコ悪いし。したく無かった。
経緯はどんなものであろうと、自分で書きたくて書いた記事なので、涼しい顔をしていたかった。
しかし、この「減断薬神経症」「離脱症状恐怖症」の集団ヒステリー。さっさと茶番を終わらせたいから書こうと思う。
「100%安全な離脱方法も、100%危険な離脱方法も存在しない」
この長い記事のタイトル、実は。
末田(サイコドクターS)先生へのリスペクトです。
先生のブログも、書籍も、昔の自分はやや難解に感じていたけど、ひさしぶりに拝読したら、だいぶ意味がスッと分かる様になっていた。
先生の記されたことは、福祉のスタッフとして人と対話する時、あとは人間関係、会話などで非常に役に立ってます。
「あー、この人、今解離してるな」
「出たよ、唐突な話題逸らし。何らかのPTSD(触れられたくないこと)あるのね〜」
「ああ、出たよ『牛の小便』(思考回路の垂れ流しを延々と話す)。…これ、聞いちゃダメなやつだよね。正気に戻らせないとだ」
または、その人を見て、
「ああ、この目、この声は、本音で話しているな」と分かったり、
「うーん、演じていて、心の声が聞こえないな」と気分が悪くなったり。
(この言い方をすると語弊も生まれるから避けた方がいいのかも知れないけれど)個人的には解離=憑依であると感じる。
憑依人格は、未浄化のインナーチャイルド。
まあ、大概聞き分けのないクソガキです。
その行動は、中核トラウマに触れられない為の、防衛反応。しかし、たまに、お願い私に気付いて!と本音が漏れる。
…どっちなんだよ!
手のかかる奴だなあ。
対面だと、ほぼ、その人のいろんなことが分かるようになりました。
たまに、ブログでも分かる時があるけど。
その人に望まれれば指摘する。望まれなければ別に何も言わない。
先生のお考えは、私の大切なルーツの一つです。
精神科医と患者の関係は、どこか親子関係に似ていて。
精神科医のいうことを素直に聞いていると、その関係性から、患者はどんどん従順な子どものようになっていく。
もしかしたら反抗心があったほうが、治りが早いいのかも知れない。
しかし、ずっと精神科医を悪く言うだけの人は、まだ患者で、あるいは子どもなんだと思う。終わらない反抗期。
精神科医にしか分からない苦労も確かにある。
でもそれは、象徴として似た立ち位置の、親だって、教師だって同じ。
どんなにモンスタークレーマー(患者、或いは子、生徒)と対峙するのが大変だったとしても、本人の人格を蹂躙し、人生をめちゃくちゃにしていい訳はない。
それは大前提として。
でもね、聖職者なんて、聖人なんて、いる訳ないんだよ。
幻想から覚めようよ。
精神科医だって、親だって、教師だって、人間だよ。聖なる存在なんかじゃないんだよ。
悪どいところがあってあたりまえ。
自分自身を変える気がサラサラ無い人間が、他人や社会の在り方が悪い!と喚いたって意味ないよ。
個人的には、精神科医の方には、「父性」をちゃんと持っていて欲しいと思う。例え女医であろうと父性は持てる筈なのだから。
母性だけに、分かりやすい優しさだけに逃げないで欲しいと思う。
それだと、その人の避難場所にはなれても、その人の状況を変えていく力は無いから。
コラ! と叱ってくれる存在。
今の日本社会は、父性欠乏症なんだと思う。
6ヶ月からせいぜい長くて1、2年の短期的に出るショック症状は、別として。
延々と5年10年続く離脱症状は、心身症。
減断薬神経症、離脱症状恐怖症、減断薬PTSD。心の傷、トラウマが原因の現象である。
怖がれば怖がるほど、程度は酷くなる。期間も長引く。
私には、それ以外の「正しい答え」が見つからない。
うちの代表も大体そんな感じのこと言ってる。(ボス、巻き込んですみません。)
…読んだ人を傷付けたくなくて、ずっと書くのを避けていたことです。
【個人の発達特性への国の政策に関して】
【精神薬サバイバー視点の記事】
【福祉作業所のスタッフとしての記事】



