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SUTEMATSUカレッジのこと(5)
長々とお付き合い頂き恐縮です。
なぜでしょう、終わりませんね…(滝汗)
さてさて。
SUTEMATSUカレッジを受講することで、私の最初の疑問は解消したのでしょうか?
「社会の中で女性がどうあるべきなのか」
について混乱していたわたくし。
SUTEMATSUカレッジでの学びの前提は
●まず、自他ともに生命を大切に扱うこと。
●そして、社会があってこその個人ということ。
●さらに、何のためにそれをするのか?の問い。
その前提で、
自分の生命を生かし
社会の一員としてはたらき
お天道様に恥じぬよう自分ができる事を考える。
そう、そもそも「社会の中で」というコンテキスト抜きにSUTEMATSUカレッジの学びはないのです。(その点では、この講座を選んだわたくし、大ビンゴですね。)
お洒落にしても外見を整えることにしても、それは自己満足のためではなく、社会の中で他者と交流するコミュニケーションのための小道具だと教わります(わたくしは これに大いに感銘を受けました)。
つまり、コミュニケーションの発生する状況で使わなければ、お洒落は「機能しない」。
なので、無人島でいくらお洒落しても無駄でございます。お洒落をする以上、コミュニケーションが伴わなければ本末転倒、ということ。
そして、社会の中で(もっと端的に表現するなら人間の "群れ" の中で)他の個体に向けて発信する「メッセージ」が外見表現である、と学びます。"群れ"の社会がうまく回るように、また無用なトラブルを避けるために、という仲間へのエチケットのようなもの。(例えば、昔の不良はリーゼントや学ランで他の学生とは外見の差別化をしていましたよね。これは言ってみればヤマアラシが針を逆立てて「触ると痛いぞ!」と威嚇しているようなもので、ある意味親切なメッセージです。→ "オレたち相当にヤバいからな!")
また、エチケットであるということのほかに、ぜひ覚えておきたいことは、中身と外見がバラバラだと発信メッセージのベクトルが絞れないので、印象に残らない(=何屋さんかわからない)人になるということ。
これはですねー。
優れた素質をお持ちの方であればあるほど、社会全体としてはザンネンなことだと思います。
なぜなら、その人の素質や素晴らしさが群れにうまく伝わらないなら、その能力は群れの中で気づかれないまま終わるかもしれません。可視化されてないデータは無いのと同じなのです。
それはすでに、立派な社会的損失だと思われませんか?
(続く)
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