こんにちは、潜在意識書き換えコーチのゆりですにっこり

 

 

今朝、小学校まで娘を送って行ったときのこと。

 

 

校門の前で、ある親子がすごい攻防をしていたんです。

 

 

お母さんが子どもの手をぐいぐい引っぱって、
「教室まで行こう!職員室まででもいいから!」

と、必死に声をかけていました。

 

 

その子はというと……

電柱にガシッとしがみついて、全力で耐えてる。

 


漫画みたいな絵!

 

 

朝から衝撃的な光景でした。

 

 

image

 

 

 

私は娘に「いってらっしゃい」って言って

その場を離れたんですが、
ふと、こんな考えがよぎったんです。

 

 

もしこのお母さんが、今日この攻防戦に勝って、
教室まで連れて行くことができたとしたら…

それって本当に成功なんだろうか?

 

 

 

 

 

 

「行けた」=「成功」ではないよね 

 

 

お母さんにとっては、「今日も行けた!」っていう達成感になるかもしれません。
 

 

「私ががんばったから、ちゃんと学校に行けたのよ」って。

 

 

でも、それって――
子どもにとっては、自分の気持ちを踏みにじられた経験かもしれない。

 

 

イヤだって言ったのに、無理やり連れていかれて、
言葉も届かず、気持ちも見てもらえず、引きずられるようにして教室へ。

 

 

それって、『行けた』というより、『連れて行かれた』ですよね。

 

 

 

 

 

親だけがWin、子どもがLoseの朝にしないために 

 

 

子どもは、自分の気持ちが尊重されなかった経験を、
ちゃんと覚えていると思うんです。

 

 

傘「イヤって言ってもムダなんだ」


傘「わかってもらえないんだ」
 

 

って、心の中にそっとしまい込む。

 

 

一方でお母さんは、「行けた=成功体験」になってしまう。

 

 

そうすると、明日もまた『力で連れて行く』が繰り返されてしまう。
 

 

…でも、そんなの悲しすぎませんか?

 

 

 

 

 

本当に必要なのは、「勝つ」ことじゃない 

 

 

 

私は、あの場面でお母さんがもしこう言っていたら、
少し違ったかもしれないなって思いました。

 

 

「今日はどうしても行ってほしいの」


「ママもお仕事があって、どうしてもお願いしたい」


「明日はお休みしてもいいから、今日は一緒に頑張ってくれる?」

 

 

お願いされたら、子どもは「選ぶ」ことができます。
 

 

無理やりじゃなく、「仕方ないけど…今日は行くか」と、

自分で決められる余地がある。

 

 

それって、心がちょっとだけ納得して動ける。
 

 

子ども自身のがんばった経験になるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

『行けたかどうか』より、大切なこと 

 

 

私たち親が目指したいのって、
「登校したかどうか」よりも、

 

  • 子どもがその日をどう過ごせたか

  • 自分の気持ちを大事にしてもらえたと思えたか

  • 親子の関係が壊れずに続いているか

 

そんなことなんじゃないかなって思います。

 

 

 

 

最後に、あのママにも、私自身にも 

 

 

あの朝、電柱の攻防をしていたママも、きっといっぱいいっぱいだった。
 

 

自分の予定もあるし、焦りもあるし、

他人の目も気になるし、何より心配だったんだよね。

 

 

私も同じ立場だったら、同じことしてたかもしれない。

 

 

でも、やっぱり忘れちゃいけないのは、
「子どもの心が置いていかれてないか?」ってこと。

 

 

子どもを動かすのに必要なのは、
力でも、正しさでもなくて、
子どもの気持ちを理解しようとする親の心と、

子どもを一人の人として対等に向き合おうとする言葉かもしれません。

 
 

もしこの記事が、明日の朝のちょっとしたヒントになったら嬉しいです。

 

 

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