こんにちは、Kanaです。
今回は
感情に寄り添う中で必ずでてくるアタマの機能についてです。
アタマには、
一度でも存在を脅かされたものや、未知のもの、失敗体験などを、次々と敵視する機能がある。
「不快なものは敵である」という感覚が身体に染み付き、反射的に戦ったり、避けたりするようになる。
ここでいう”存在”とは、時と場合によって移ろいゆく、あるなしの「条件付きの存在」です。
存在にはもう1種類あり、ただあるだけの「無条件の存在」です。
例を出します。
「条件付きの存在」・・・「私にはお金がある・ない」「私に対する愛がある・ない」「私には能力や実績がある・ない」
「無条件の存在」・・・「私は日本人である」「私は女性である」「私は学生である」「私は経理担当者である」
「無条件の存在」は人それぞれ異なる特徴のようなものかな、と感じています。
こうみると、「無条件の存在」のほうはほとんど脅かされることはないけど、「条件付きの存在」は時と場合によってあったりなかったりコロコロ変わるものですよね。
あるから価値がある、ないなら価値がない。自分の存在が脅かされる。存在させるために頑張る。
例えば、ないなら価値がないとしたら・・・
「私にはお金がない」から自分を存在させるために「頑張って働く、お金を手に入れようとする」。だって「お金を稼げない私には価値がない」から。(お金で自分を存在させる)
親やパートナーの「私に対する愛がない」から自分を存在させるために「顔色を窺って、相手の望む通りにして、愛されよう、役に立つ私でいようとする」。だって私は「私は誰かに愛されないと価値がない」から。(誰かの愛で自分を存在させる)
「私には能力も実績もない」から自分を存在させるために「頑張って能力や実績を作ろうとして、セミナーや講座に何百万とかけてきた」。だって「能力も実績もない私には価値がない」から。(能力や実績で自分を存在させる)
こんな私だと存在できないから・・・。
生きていくためには何か条件が必要となると、かなり怖いし、緊張しそうです。
こうみていくと、アタマってすごく怖がりだし、傷つくことから私をすごく守ろうと必死になってくれてますよね。
私の場合は、中学生の時に自覚はなかったけどこの状態だったように思います。
成績もほぼオール5で、学級委員長もやってて、塾は一番上のクラスだったのですが、
いつしかそれが当たり前になって「そうじゃないといけない」とすごくプレッシャーになっていました。
自慢がしたいわけではなく、
成績も最初はある先生のおかげで勉強が楽しくなって夢中になってやっているうちに成績がとれるようになっただけでしたし、
学級委員も分け隔てなくいろんな人と話すことが好きだったので推薦されて学級委員もやっていただけでした。
ただそのうち、成績取れることが当たり前、一番上のクラスが当たり前、進学校に合格するのも当たり前、できて当たり前・・・
成績を3とったら、クラスが下がったら、学級委員長になれなかったら・・・ゾッとしていました。
もともとやらなくてもできるタイプではなかったので、やらなかったら確実に終わりと思っていました。
というか、そうじゃないできない自分で存在できる気がしなかったし、価値がないくらいに思っていたかもしれません。
存在感がない存在で、成績がなくなったら自分には何もない。
当時はここまで言語化できていなかったからなんかすごい焦っていてなんかん?とは感じながらもひたすらに頑張っていました。
成績で自分を存在させていた感じですかね。
ここまで書いていると、
根底には「自分のことをみてほしい」という想いがあったんだろうな、と思います。
成績がとれることで沢山の人に認識してもらえたので、それがなくなったらみてもらえなくなっちゃうのでは?と中学生の私は怖かったんですよね。
人にみてもらうことで自分を存在させていた。
アダルトチルドレンの専門家の方に話を聞いてもらったときに
「みてほしい、わかってほしい、愛されたい」という欲求があるのは自然なことですよ。
と言われて、「あ、いいんだ」と思ったことがあります。
よく「他者に求めることは、自分が自分に求めていること」「自分が自分を満たしてあげたら落ち着く」とか聞いていたので、
それらも「自分でどうにかしないといけないもの」で「あってはいけないもの」にくらいになっていたんですよね。
でもそういう欲求はあることは当たり前で自然と言われて、
「そうだそうだ、今の状態をそのまんま否定せず受け取るってこういうことか」と思ったんです。
その上で「みてほしい」に話を戻すと、
この「みてほしい」も「できるできない、あるない」の「条件付き」でみてもらうだけでなく、
「ただある、特徴」の「無条件」で「みてほしい」な気がしています。
「これができるんだね」「これがあるんだね」だけではなく、
役割などの特徴や意志や本音など「こう思っているんだね」
・・・・とここまでかきましたが、どちらも大切ですね。
できるんだね、とみることも、そうじゃないところをみることも。
書きながらたくさんいろんなことが浮かんできましたが、
ただ今は、何かを結論付けたり、どうするを決める前に
〇アタマには、一度でも存在を脅かされたものや、未知のもの、失敗体験などを、次々と敵視する機能があること
〇自分を存在させるために頑張ってきたこと
〇「みてもらいたい」という欲求があること
そうなんだな、と思うだけにしてみます^^



