おはようございます。
フィレンツェ物作り物語のKaorukoです。
教会内は、しーんと静謐な空気に包まれ、大勢の人が同席しているのを忘れるほど。
一分間の祈りは、パリでのテロ事件、広島長崎の原爆、その他世界で起きている紛争の犠牲者すべてに対し、
そしてまたその人々を殺す側に立った人々に対して、
捧げられました。
七宝アーティストであり、被爆者として世界中を旅しながら、証言活動を続けてこられた田中稔子さんを招いてフィレンツェの教会で行われた平和イベント。
前日にパリの街でコンサート会場や、サッカー競技場、レストランなどが襲われ、多数の死傷者が、出ていました。
約一週間、田中さんの講演に同行してきた主人は、イタリアで最後に行われるフィレンツェでのイベントをとりやめるべきかとも思ったそうです。
多くの関係者、或いはこちらにに参加予定だった人々は、他のイベントへ向かうことになりました。
しかし、イベントは遂行され、かなりの数の人々が熱心に話を聞きにやって来ました。
私は、長女に、生の戦争体験者の方の声を聞かせたいと思っていました。
それと同時に、子供のころ、広島で証言者の方からお話を聞いた自分自身に対しても、この機会は大切だと感じていました。
感銘を受けても、日々雑多なことに埋もれていると、その感覚は薄れていきます。
そんな自分に対するレッスンでもある。
次女を連れての講演会は、やはり教会を出たり入ったりで、聞き逃した箇所も多かったですが、心に浸み入るものでした。
小学校一年生の時に被爆された田中さんは、原爆投下一週間前に、爆心地500メートルにある小学校から、2キロと少々離れた学校に転校していました。
前の小学校の同級生たちは、誰一人生き残りませんでした。
被爆後、必死で家にたどりついても、お母さんは彼女が、自分の子だと分からないくらい容貌が一変していました。
その後、高熱で意識不明になり一週間、生死の境をさ迷ったそうです。
印象的だった個所。
ぽっかりと開いた天井の穴から、真っ青な空が見えて、この惨事にそんなことを考えるのはおかしいようだが、それを美しいと思い、
「きっと大丈夫だ」
と思われたそうです。
田中さんは70歳になるまで、自分の被爆体験を公の場で語ることはありませんでした。
しかし、50年間七宝作品の中で、その思いを伝えて来られました。
70歳からの世界への旅。
一言、一言、言葉を選んで、丁寧にお話しされる姿に、お人柄を感じました。そしてこの小さな体に秘められた大きな力をいただきました。
主人は「本当の人間。彼女のような人が、人間だ。ああなりたい。」
と言っていました。
会場にはたくさんの高校生たちも訪れ、質問をまじえながら熱心に聞き入っていました。
未来を担う人たちの心にも共鳴していたようです。
田中さんのメッセージ。
世界中に友人を作ってください。
かりに国家間が戦争を選んだとしても、友人のいる国に爆弾を落とそうとは思わないはず。
顔が見えないと、何でも簡単にできてしまう。でも顔が、その友人の顔が思い出されれば、自分は卑劣なことはできない。
敵国であったアメリカのトルーマン大統領の孫、そして原爆投下に使われた飛行機エノラゲイの乗務員だった人の孫は
今では田中さんの親友だといいます。
そして、彼らは平和活動に多く関わっているということでした。
こちらでの生活で、たくさんの異国の友人ができました。
その言葉を聞きながら、ふと皆の顔を思い出しました。
憎みあうのではなく、手をとりあえるよう
なに人ではなく、一人の人間として
生きていきたいものです。
今日は、気持ちと聞いたお話が中々まとまらず、支離滅裂な文章になってしまいました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
