今年も残すところ4日間になってしまいました。年齢と共に時間の経過がとても速くなったように感じます。試しに夜、月を見てみると月がゆっくりと東から西に向かって動いて見えます。(そんなわけないか・・・笑い)
年末は、新聞やテレビなどのメディアで、今年の○○ニュースなどと言ったことが話題になっていますね。私も「私の今年の○○ニュース」・・・と考えたのですが、個人的なことなので止めにしました。かわりに、生徒たちを指導していて、私が最も頭を痛めたというより、「最大のピンチ(笑い)」・・・「どう指導すればよいの?」全くお手上げ状態。・・・の時のことを紹介します。
国立大学の経済系の学部を志望していたTさん。色々な経緯があって、国立大学の教育学部、それも「美術専攻」の2次試験を受けることになりました。2次試験は、小論文。私もTさんも全く「美術」には詳しくありませんでした。歴史や様式などの知識は全くゼロに等しい。
「問 次の2枚の絵を見て、比較しながら感想を1200~1300字で書け。」といった過去問。絵は「スーラのアニエールの水浴」と「クレーのドゥルカマラ島」の2枚(下記)。Tさんと顔を見合わせて、「は~あ」。私・・・「困った。学校の先生なんて言ってた」。Tさん・・・「何か書いてきて。そしたら、添削してあげるから」といっていました、とのこと。
私は「少し時間くれない」といって、30分ほど絵とにらめっこしました。そこで、私が導き出した結論は「絵の構図を説明する。そして感じたことを書く」でした。そして、恥ずかしながら下記の文(2例)をTさんに示し、それに沿って指導をスタートさせました。
今、Tさんは私の隣で講師とし週1回指導をしてくれています。
私の記事を読んでくださっている、医学部二次試験対策、小論文・面接・国語指導名人hujiatazemi先生、絵画に造詣の深い若松若水先生、国語のプロ陰陽師先生などから見ると、笑われると思いますが、プロの先生たちはスルーしてくださいね。
「問 次の2枚の絵を見て、比較しながら感想を1200~1300字で書け。」
(例1)スーラのアニエールの水浴は、写実的な表現の中に色彩を通じて昼下がりの水浴ののどかな光景を描いている。真ん中には、少し大きめの若い男が何も考えないで何かをぼんやり見つめており、その左横にはその男の着ていたと思われる服がある。その手前には、うつぶせに寝そべって本を読んでいる女性、その少し上には麦わら帽子をかぶった男の人が、少し離れたところには黒い帽子をかぶった男の人描かれている。一方、右側には水浴をしている人、その横には水を飲んでいるのかのように口に手を当てた少年が描かれている、そして、人の顔の表情は皆一様に無表情であり、白っぽい。川の右上には船を操る人と客を3人ほど乗せた船が見え、その横にはヨットの帆が見える。右上と左上には大きな木が茂っておりこの場所が川であることを印象付けている。絵の上側には川面に映ったようにも見える建物があり、中央の建物から煙と思しきものが出ているのでこの建物の一群は工場とわかる。このような写実的なモチーフを使っているにもかかわらず、色は全体的にあいまいな色彩を使っている。川の色は青色、陸地は緑色陸地が剥げたところは薄茶色、両側にある木は濃い緑色を使い、向こう側にある川面に映っているとみられる、工場地帯は空と川の青の空間を利用して白色であいまいに浮き上がらせている。
この絵は、色彩によって昼下がりののどかさを情景描写しており、その表情は一か所として同じ色の濃さを使わず、少しずつ変化がつけられている。構図的には真ん中の男の人を中心にして、バランス良く配置されており、一見ありふれた風景が表現されているにすぎない。スーラが描きたいと考えていたのは、水浴というありふれたテーマを刻々と変わる色彩の中に柔らかいのどかさを表現したかったのではないかと思う。こうして考えると、スーラは印象派という定義はわからないが、その中に存在し、それらは、ありふれた日常の構図に、より色彩感を持たせることに特徴があるという事がいえるのではないかと考える。
一方、クレーのドゥルカラマ島は、一見、何を表現しているのかさえ分からない。ドゥカラマ島が実在の島なのか空想の島なのかすらわからない。かろうじて絵のふちにある青い色で描かれているところが海で薄緑の所がる陸であると考えられるが、全てが何か得体のしれない線で描かれており、柔らかいタッチの色彩がこの絵のテーマになっていると考えられる。線を見てみると中央の線で作られているものは人の顔にも見える、また、その左横は教会のようにも見え、全体に描かれている点々は、民家かもしれないし牧草かもしれない。左右に大きく伸びている線は道にも見える。私の考えるドゥルカラマ島とは夢の中に存在する島なのか、現れては消え、消えては現れる幻想の世界かもしれない。
二つの絵を対比してみるとスーラの絵は、ありふれたごく日常の構図の中から色彩により表現したいものを表しているといえるでしょう。一方、クレーの絵は正体の知れない抽象的な構図を描きながら、こちらも色彩が絵の中心になっていると考えられる。ありふれた構造の中からと抽象的で得体のしれない構図の中からと、それぞれ、全く異なった絵のようであるが、両者とも色彩にテーマを求めたのではないかと考える。(以上1360字)
(例2)クレーのドゥルカマラ島を見たとき、「なんて優しい絵なのだ」と感じた。淡い緑、赤、青の美しさは比類なきものである。この作品でクレーが表現したかったのは、子供のころに抱いた夢と優しさであると思う。
抽象的な線と優しい色で表現されたドゥルカマラ島は、クレーにとって子供に頃に想像した、夢の島ではないだろうか。右上の下を向いた黒い半円は月、左上の上を向いた、塗りつぶされていない半円は太陽を表していることから、きっと明け方なのだろう。右にある大きな、顔のように見える線から伸びた海岸へと続く線。この大きな顔のようなものが、クレー自身なのであろう。そして、クレー自身が思い入れを持って海岸添えの道をたどることを示唆している。真ん中にある顔のようなものは、その横にある教会がまだ空いていないのだろう。信仰心の強い彼はのんびりと待っているように見える。その他、島全体の美しい自然を、何箇所かに見える花を強調し、そのほかの花や自然を、明るい赤と緑や青で全体を表現している。カタツムリのような線は、より自然豊かなことを強調している。
野山を駆けずり回った少年や少女時代。人間は誰しも、夢を見る、そして、大人になるにしたがってその夢を心の中にしまい込んでしまう。子供たちは、表現として、お絵かきとして夢を表現することが多い。色とりどりのクレヨンやクレパスを使って白い画用紙に沢山の色を使って、思い思いに線と色で絵を描く、他人が見ると、この一見、落書きのように見える絵は、全て意味を見っていて、そのほとんどは子供たちの描く夢なのである。
私が、高校1年生の時、高校のボランティアで幼稚園に行ったことがある、その時、子供たちは、思い思いにお絵かきをしていた、様々な色を使って、画用紙いっぱいに線を描いていた。私が、ある子供に「何を書いているの」と聞くと、恥ずかしそうに「看護婦さん」といった。よく見ると、彼女が描く抽象的な線をよく見ると、患者さんの腕を取っていることがわかり、白い服を着た女の子が、脈をとっている絵にも見えてくる。
晩年のクレーは、自分の子供のころに心の中にしまい込んでいた幸せの島をドゥルカマラ島として描いたのだと思う。絵は色と線ですべてあらわされる。優しい色合いと子供のころに描いた意味を持った抽象的な線で夢と優しさを表現したものである。
一方、アニエールの水浴は、川の遠くに見える工場地帯で働いている中央に書かれている若者が、夜の仕事を終えて、のんびりと川辺で疲れた身体を癒している。ありふれた風景の中から色彩により見事に、のどかさと疲れを癒す若者をとらえている。
天才芸術家が描く絵は、彼らが心の中に秘めた何者かを線と色で表現する。彼らが表現したいものは彼らにしかわからない。しかし、それを鑑賞する私たちは、私たちの感性を持って彼らの心の中を受け止めるしかない。(1200字)
以上、私の最大のピンチでした。(笑い)
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