タイトルを見て「嫁」という字が家に嫁ぐという意味だから嫌だ。それなら「妻」を使えと言う人。知ってから言ってもらいたいと思うのは私だけではない。多くの文化人や知識人でも見解が分かれているけど「妻」は「刺身の端(ツマ)」から来ていて、その意味はまさしく「お前は端にいて引き立て役の存在だ」という江戸時代からくるモノだし、また「奥さん」にしても江戸時代においては、やはり「台所の奥」にいたからなのだ。私はもともと西日本の人間なので変えるつもりはない。まず瑞泉寺からスタートしてみよう。円覚寺派としては最も円覚寺に雰囲気が、よく似ている。休憩できるベンチもあるし、ここでボーっとしていよう。
次に覚園寺まで一気に歩く。だから休憩していた。自分一人だと休憩なしでも直行できるが、そういう訳にはいかない。薬師堂があるけど、あそこまで行くの怖い。今の人って何だか行くことがすべて好きになってしまっている。好きか嫌いかって本来は、そんな簡単に決められるモノかなあ。昆虫好きだって嫌いな虫がいるように、脳は自然を排除する。そこは排除するのではなく受け入れる。それを「しょうがない」と教えてきたのが仏教で、さらに「許すのです」と教えてきたのがキリスト教。私が昆虫のことを引き合いに出すと嫌だ怖いんだって、そんなの当たり前でしょうが。ゴキブリやクモやムカデの形を見て気持ちがいいという人の方が珍しいと思うけど。同じく静かに黙って仏教寺院を歩くことは自分への修行の場にもなる。滝行や護摩行など必要はない。
さて鎌倉宮まで歩く。巫女の格好をした人は正月から、しばらくまででないと、いないようだ。ただ、この二階堂コースは悪くないと思っている。これまたウチの母親が見た徳光和夫のバス旅に出ていたと余計なアドバイスを持ち込む。新春になると河津桜が綺麗だね。嫁に「同じ綺麗さだね」って言ったら「うるさいな!」と返ってきた。二階堂コースの終盤に相応しい。盃割り舎で厄割り石に投げつけると、その厄を払うことが出来る。こういう時しか出来ないから、やっておこう。お金がかかる持ってけドロボーやな。厄を払ったつもりにしておこう。気持ち次第ってことで。待っていればバスは来るし、ここもボーっと眺めて過ごそう。
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