精神科医の名越康文。結構久しぶりだ。ソフトバンクから出版された『他人の壁』以来となる。養老孟司教授はもう分かっているから、改めて名越康文の方をサラッと見ておく。近畿大学を8年かけて卒業。つまり2回、留年している。でも良い医者ではある。
38歳で病院を辞めて思春期のクライアントを中心に診療していた。そしてフリーとして働くことになるから、いつ仕事がなくなるかと毎日、思っていたという。医者はたいてい40代で個人的にクリニックを開業することは、もちろん私も医療に巻き込まれている人間だからこそ知っている。40代半ば頃、福岡で行われた夏の野外ライブの公演で養老孟司教授に出会った。講演後の宿舎までのドライブ中に養老孟司教授が「男はひどい目に遭わないとライフスタイルを変えられない」と述べていたという。名越康文は実際に50代になるまでひどい目に遭ったことはなかったという。それが身体的に起きて雨の二日前から頭が痛いとか色々、出てくるらしいのだ。らしいというのは本人でないから分からないけど私も40代に入って天気痛に悩まされてきたから、まったく分からない訳ではない。気候変動みたいなことも起因しているかもね。他者のことは全部、分からなくて当たり前。変人でも構わないね。
本音をどう理解するかが重要なんだけど他者との交流において、この本音がぶつかった時にえらいことになる。知っていると思うけど養老孟司教授がオーストラリアに行って、そこからニュージーランドには行けない。大使館に予定を提出して二日後から三日後に東大に帰って来たら、返って来たその日に「パスポートを返せ!」って怒られた。東大では贈収賄事件が起きて倫理委員会の委員長に養老孟司教授が抜擢されることになった。ルールは私企業からお金を貰ってはいけない。農家は商業として成り立たせてはいけない、など細かいのだ。今現在、地方議員は兼業農家で構わないことになっている。そうしないと人材がいなくなるのだ。
解剖学なんて献体に関して、葬式で香典を渡すのに領収書で養老孟司教授の前の助教授が大学当局と大喧嘩になったとか。まさに葬式にて「お取込みのところ恐れ入りますが」なのである。ほとんどの家が領収書は要りませんという。献体だから。でも現金を持って帰って来たら困ると言うのだ。葬儀会社の運転手に病院の4階から非常階段を使って棺を降ろしてもらう時にチップをあげるかどうか、というのも問題になった。小遣いというか手伝った証というか、やり取りのなすことすべてが個人同士ではいけないことなのだ。吉田茂が田中角栄に対して「あいつは刑務所の塀の上を歩いている」と述べたが、やはり収監される。そして田中角栄は日経の『私の履歴書』を読んで「経済人の半分は刑務所に入っている」と言い放ったとか。記憶に新しいのは堀江貴文とか、あるいは角川や広告代理店の電通や博報堂など。日本では経営者や社長以下、社員ら含めて嘘つきで悪いことをしなければ事が上手く運ばない。だから私は最初から「外資系企業を中心に探しています!」って大学の就職窓口に相談に行ったことを今でもハッキリと覚えている。自分で手を汚すのが嫌なら、そこから離れればいい。そのために自分の能力を高める努力ということを知る。
そんなもんはたいてい皆、現役の時は分からなくて後で「しまった!」とは言わないまでも「あの時はああだったんだな」と理解するようになる。ルールがキツイと働けない。つまりお金が動かない。もちろん、これは日本型での会社経営の話。それであれば日本では才能があると思えば全員、社長にしたっていい。日本の大企業なんかにいると潰されてしまう。出すぎない杭をたくさん作るのだ。しかし日本では社長が偉そうで、どの企業もブラック極まりない同調圧力と、また決してどかない傲慢さを持っていることも付け加えておく。嘘だと思ったらマイクロソフトを考えればいい。もう誰もが知る、あの有名な人の会社ではないはずだ。
赤坂にある博報堂に正義の鉄槌
安政年間にも東海地震と南海地震が起こったのち、安政の大獄があった。源平合戦のち方丈記には平家が壇ノ浦で滅んだ4か月後に京都で大地震が起こっている。このように平安貴族から鎌倉武士へと時代が移り変わっていく。東京も変化を受け入れなければならない。こういう時は死ぬことの心配よりも、いかに生き抜くかを考える。なぜなら死ぬ時に気づいたら、すでに死んでしまっているから。これ私も経験があって欧米人の方が、こういう時は「元気?調子はどう?」と声をかけまくる傾向にある。人間が普段からやっていることは小さく、諸行無常に盛者必衰という対局の理からすれば大したことではない。日本で山陰地方に行くと決まって「こんな何もない田舎ですが」と言われるようだ。山も川も森もあるじゃないか。なぜ気づかないんだろう?と養老孟司教授は常に疑問を持っている。今現在の日本人は自分の心を周りにつなげられない都会人になってしまった。自分中心で周りが何も見えていない。その証拠に今現在は「土に返る」という言い方をしない。いずれ死ぬはずなのに脳だけは不死身になってしまう。
東京大学理科三類に入りたい。そう叫んで東大前で次々と切り付けた東海高校らしき生徒がいた。職員のオッサン一人と男子学生に女子学生がそれぞれ一人づつ?切り付けられたという事件。今更、東大に入ってもロクな医者なんていないし、そもそも向き不向きがある。養老孟司教授は実際に学生を持った経験から、そう回顧する。ウチの伯父が九州大学だから分かる。祖母が勉強しろって口ウルサイから取り敢えず勉強する。偏差値だけは高い。だけど医者はそう甘いものではない。確かに言っていた。脳だけは突出して手先は不器用だから失敗のオンパレードまで行かずとも昔ほど医療事故は多かった。だから九州大学で実験台にはなりたくないと未だほざいている。まして東大紛争なんて、もっての外だろう。患者を置いてワーワーやってるんだから失格でしょう。
我々に最も影響のあった医療と言えば新型コロナ。私なんて5回ものワクチン接種要請が来た。基礎疾患のない人より死亡率が高いと。実際、死んでも記憶はなくなるだけだからと捻くれつつも今こうして生き延びている。エビデンスや科学的根拠を裏付けることによって正しいかどうかを決めつけてしまう。間違っている、と言っているのではない。正解に偏るな、と養老孟司教授は述べている。しかし、だからと言って気象現象を持ち出すのはどうだろうな~と。そこだけは私は養老孟司教授に反対の立場で、この時は「冬が寒冷化した」のではなく、むしろ温暖化だからこそ冬は寒くなる。これはラニーニャ現象によるものも大きい。だいたい明治期と比べて東京都心の平均気温は3度も上がっているし、そもそも感覚に陥ろうと関東であれば梅雨なんて半袖の時期はここまで多くなかったはず。だいたい関東の6月に雷なんて、まず発生しなかった。そういうの「地球極端化」と言うべきだな。
名越康文氏が述べた「池田清彦氏のコミュニケーションとはお互いに変化すること」とは、やはり感覚の問題だろう。変化せずに一方的にぶちまけるだけではロボットの自己主張と大して変わらない。茂木健一郎のアハ体験じゃないけど、やっぱり必要だな。
それと中国の話。嘘の付き合いだと言う。腹の探り合いとも言うけど。中国人や韓国人から見れば日本人の方が噓つきに見えると述べているけど私はどちらかというとコッチかな。だけど中国本土のことは正直よく分からないのが本当のこと。昆明からラオスのビエンチャンまで高速鉄道を延伸して領土を広げようとしている。それは戦争ではなくしたたかな戦略による。養老孟司教授が観て面白いと思っている映画がたまたま面白いのかもしれない。私の嫁のルーツである台湾なら中国と日本と半分づつ。かつて台湾はオランダにも占領されていた歴史がある。台湾や香港は上手く溶け込む術が磨かれている。ぶっちゃけ日本人はお世辞が上手ではないからね。お世辞と言うよりゴマすりの方が蔓延っているように思えるけど。日本での生きづらさはまさにそれなんだよ。
そのムラ社会はあちこちで見かける。子供の教育からしてそう。学校に校則があるなんて欧米でも当然のごとく、あるっちゃあるけど細かすぎる。あーしてはいけない。こーしてはいけない。あーすればこーなる。子供を訂正すべくジイサンが来てゴチャゴチャと直したがる。壊れたテレビじゃないんだから。だいたいオッサンがキレるのって自分の思い通りにならないからってのが、かなり大きい。でも自分は頭の中では正しいと思い込んでいる。知らないことがあるって、そんなのオッサンもジイサンも知らないことだらけなのにね。それが養老孟司教授の「バカの壁」の主題だった。男であれば、陣痛の痛みが分かるか?とか、世の中を渡り歩いているから分かるとほざいている人間には、自分の葬式の日程が分かるか?とか、こういうのを一般的には捻くれているというのかもしれないけど、でも分からないでしょうな。今、分かるって言ったじゃないか!と返すことになる。オッサンやジイサンこそ知ることはまだまだ沢山あるだろう、と養老孟司教授が述べているのは、まさにその通り。知ることは自分が変わること。
昆虫だって今や食べられるほど数はいないようだ。シカゴに飛んでくる蝶々はいなくなってしまったという。原因がよく分からない。地球温暖化の影響なのだろうか。地球極端化なのか。昆虫食を考えるより農業をやめないこと。多少は昔に戻れば食糧はしばらく賄えるのかもね。養老孟司教授は佐渡に行ったりして昆虫採集しては箱根の昆虫館で収集作業しているけど、それで満足だ。
最後は音楽の話。名越康文氏は趣味でバンドをやっていてレコーディングを神奈川県清川村でやっているらしい。私ってナントカ村はあまり好きではないけど長野県戸隠なら行ったことある。とはいえ縁は重要で、私なら北海道や岡山県などと縁を結んでおけば南海トラフや首都直下型地震や富士山噴火の時でも、どうにかなる。養老孟司教授の家に行って「まる」が階段の5段目あたりにポツンと佇んでいた。最初は「お前、誰やねん?」という感じで「跨がせて下さいな」と言うと付いて来るらしい。帰りはきちんと見送っているようだ。私も鎌倉近郊に住んでまだほんの数年だけど決して悪くない。都市化もほどほどにしてもらいたいね。
思い出は忘れニャい。線香をあげに行きたいニャー。気持ちは受け取ってね。鎌倉での思い出は本当に楽しかったよ。永遠にね。
【ニューソース】














































