大船の鎌倉散策 | 北条得宗家の鎌倉めぐり

北条得宗家の鎌倉めぐり

鎌倉散策や鎌倉散歩の様子の他に養老孟司教授の著書を中心として紹介

 

鎌倉幕府三代目執権の北条泰時は、父であり鎌倉幕府二代目執権の北条義時よりも輝いている。実際、教科書に載ることが少なくない。北条義時は歴史的にはせいぜい承久の乱ぐらいだが、北条泰時は御成敗式目を制定するなど日本初の憲法と言われる仕事に尽力していた。しかし、これらすべては現代人がそう捉えているだけのことで、当時の状況においては現代人の感覚より遥かにズレている。政治という言葉は明治に入ってから。幕府も現代用語であり、当時の武士からすれば、幕府とは何なのかすら分かっていない。戦いの後は平和が来る。そう信じて我々は生きている。どの時代も同じという人がいるが、では身体所作を知っているのだろうか。その知るとはまさに変わることであり、自分が変化していることを受け入れるのだ。だから武士は居住する土地の苗字を名乗った。そして引っ越せば再びその土地の苗字を名乗る。つまり苗字がコロコロ変わる。常に変わることを知っていたのだ。

 

【大船観音寺】

 

 

東海道線の藤沢方面、横須賀線の北鎌倉方面、にそれぞれ走っていく際に窓から頭だけが見える。実際に大船も横浜市栄区と鎌倉市と分かれており、西方面は鎌倉市ということになる。ちなみに、この観音像は電車から見ると頭だけが見えている。胴体は見えていない。今現在は公式サイトで確認することも出来るが、実際に見に行く方が感覚の世界として優れている。では早速、階段を昇ってみると、本当に頭だけなのである。胴体も切れている。敢えて、そういう風に造っている。昭和に入ってから建造された近代的な観音像。観音像の内部は卒塔婆が並ぶ気持ち悪い場所となっており、第二次世界大戦による犠牲者への慰霊場所ともなっていて、原子爆弾による犠牲者を弔う場所でもある。このため日本人以外では台湾やスリランカや東南アジアあたりからの参拝客も多く、現地の僧侶を招いて法要が行われている。とはいえ曹洞宗の寺院は鎌倉では珍しいし、25メートルの胴体は圧巻の一言だ。

 

【常楽寺】

 

 

大船観音にコロナ禍においての引っ越しの挨拶の後に向かった臨済宗建長寺派の寺院。先日のような満福寺ばりの恐怖感は当然だが、ここにはなかった。境内はそこまで大きくない。小さい庭園があって、本堂の裏手に三つの墓石がある。北条泰時しか知らないのだが、実際に行ってみると入れないように竹で閉ざされている。さらに、この場所から裏山に向かう途中に大姫と濃密な恋愛を繰り広げた冠者殿、木曾義高の墓がある。大河ドラマの通り首塚になっている。大河ドラマは脚色の激しい創作に過ぎないのだが、本当はどうだったか今現在も分かっていない。そもそも時代劇も同じではないかと思う人。大河ドラマは歴史事実を元に脚色しており、時代劇は例えば「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」みたいに主人公だけ、もしくは幾つかの役柄が歴史人物であり、ストーリーは架空というもの。本も歴史小説が歴史事実を元にした創作であり、時代小説は人物だけが歴史の人で、ストーリーは架空ということになる。だからとは言わないが、テレビを本気にしない方がいい。脳の運動は医療的な意味で、常に健康を保ちたい。

 

【ニューソース】

曹洞宗・大船観音寺 公式サイト