好きでもないのに周ってみる。それは死を見つめるキッカケともなる。人間は死が最も苦手。他によくあるのは動物恐怖症と高所恐怖症と雷恐怖症という三大恐怖症である。これ大なり小なり、ある程度ないと困る。動物に抵抗がなければ、野生だと食われてしまうから、本来は人間も縄張り意識が強い。他者に対して「お前それ以上こっちに来るな」ということ。高いビルの屋上でワクワクしながらスキップしていたら、そのままハイになって落ちてしまう。雷がゴロゴロ鳴っている場所でキャッキャ言いながら踊り明かそうとすれば、落雷で打たれて死んでしまう。物事とは何でも程度が肝心なのだ。むしろ現代人は平常心すぎる。それが東日本大震災による津波の影響で、あれで正常バイアスがなければ全員と言わずとも半数以上は助かったと言われている。一見、大したことなさそうでも、現代人にとっては、少しは大騒ぎした方が普通なのだ。それは死という最終的な人間の完成型も同様だ。
【江ノ電】
鎌倉高校前の直前に設置されている踏切が聖地となっている。あの『スラムダンク』はバスケットボールを日本に広めたと同時に線路をまたいでカメラを向ける不届き者の量産にも貢献した。海の見える景色は最高で、電車内から江の島を拝むことが出来る。
【満福寺】
義経庵が火災に見舞われた恐怖の満福寺。正直言うと気色悪いし、私はもともと寺院に行くのは好きではない。それでも雰囲気を味わいたかったが、やっぱり駄目なものはダメだった。とはいえサイトに載せることを公約にしているので、致し方ないといったところか。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)の放送終了にもかかわらず「源義経ゆかりの地」というのぼり旗が立っている。腰越はもともと鎌倉入りのための宿泊場所となっており、その腰越状の複製が公開され、本物はどこかに保管されている。こういった重要文化財は公開されているほとんどが本物ではない。本堂に上がらなくても良いが、結局は10年前と変わらない気持ち悪さ。その10年前は知らずに足を運んだので、堂内でガタガタ震えていた。唯一の癒しと言えばネコが癒してくれることだろう。
【明王院】
境内の撮影が禁止されている。雰囲気は決して悪くない。ただ浄妙寺や報国寺を拝観した三週間ぐらい後なので、やっぱり若干は落ちるのかもね。悪いとは言っていない。しかし臨済宗の寺院の庭園と比較すると、こじんまりとした雰囲気。ここは九条頼経と大江広元ゆかりの地でNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)放送中に、のぼり旗が立っていたことは知っている。有名な寺院にしては「こんなもんか…」という印象。鎌倉幕府の第四代将軍は藤原氏直系であり、もう源氏は関係ないかと思いきや、実は妻に源媄子を迎えている。鎌倉幕府二代目将軍、源頼家の末子である。優しいおばあちゃんの北条政子に育てられ、ここに源氏の血筋は受け継がれていた。これぞ「イエ制度」である。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)の放送では登場しなかったなあ。
【覚園寺】
鎌倉としての主要な寺院であり、北条義時ゆかりの地。こちらもNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)がまだ放送していた頃に本郷和人教授が紹介しまくっていた。そして戌神将のような仏像もあるが、ここは本来、薬師如来坐像で有名。その戌神将は鎌倉幕府三代目将軍、源実朝が鶴岡八幡宮に参詣する際、北条義時が白い犬の夢を見て、それで太刀持ちを交代したという伝説から作られている。私なんて建築も仏像も好きではないので、ほとんど詳しくないからボーっと突っ立って雰囲気を味わうのみ。怖がりの癖によく頑張った、と家族から言われる始末。寺院は行く度にだんだん慣れてくるということもあるが、だからと言って苦手を克服したことにはなっていない。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)よりもリアルで寺院の境内は静寂に包まれている。
【荏柄天神社】
京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮、そして三番手に位置するのが、この荏柄天神社らしい。らしいというのは詳しくないので、のちに知ったばかりである。もちろん鎌倉宮から乗るバスの次の停留所に天神はあるので、こんなところに天神があるということだけは薄々と感じ取っていた。鎌倉にこんな隠れた場所があるのだ。境内に入るなり、どこかで見たような家紋がある。あっ我が家の家紋だ!と、すぐ目に付いてしまう。梅鉢は高辻家の枝分かれのイエに入った家紋である。例えば戦前史上最悪の桑原孝長で有名な一族の桑原家は家紋が桑原だけに「桑の葉」なので違うとすぐ分かる。ここはあくまでも神社。柏手を打つのが本来の正しい礼儀作法。実は神道で言われている礼儀作法は確実ではない。二礼して二拍手の一礼は、あれが絶対ではないと誰も知る由もない。実は、あの作法は最初に始めたのが単なる神社関係者であり、宮司や禰宜などが始めた訳ではない。境内は大きくない。
【鶴岡八幡宮】
ツルなのかハトなのかカラスなのか、どれなのかハッキリしろ。そろそろ下旬に差し掛かる頃、遂に迎春の看板は取れた。前年に賑わっていた大河ドラマ館は普段の鶴岡ミュージアムに戻っている。正月期間中、閉められていた扉は開かれた。手水舎は動いておらず、その横に設置された竹の手水者から水がチョロチョロ出ている。そして本物の舞殿を守るために、簡易的な舞殿が正月時期に設置され、取り外し工事をやっていた。日本では参拝客が全国で第五位か第六位という位置に付け、ごった返すのでガッチリ固めなくてはいけない。家族旅行で一度は1月1日に来たことがあるけど、なかなか動けなかったのを覚えている。ロープで区切るんだと言うので後で調べたところ、神奈川県警による交通整理は今現在も変わっていない。詳しくは覚えておらず、とにかく段葛で動けなかったのを覚えているのみ。明治期の天皇崇拝から今現在の三が日の参拝が確立されたため、やはり一つにする執着はモダン的な思想で、江戸以前は家族やイエごとに参拝日が違っていたことからも、多様性が認められていたことがよく分かる。私がただ単に養老孟司教授を信じているだけだと思ったら、大間違いだ。日本の歴史がそうなっている。若いか中年か年寄りか、ではなく、そういう、つい最近までの太平洋戦争後の出来事ではなくて、長い目で眺めないと本当の姿が見えて来ない。記念写真を撮ってみるのも明治から。3歳から6歳の幼児であれば承認欲求が強いのは理解できるけど、インスタ自慢に使うのどうなんだろう。
【公式ウェブサイト】

































