毎回だらだら文章でご迷惑をおかけしております。
前半戦は御面倒でも前回分(補遺1/2)をご参照ください
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・・・前半戦1/2(前回)・・・
①「大英断・宇治山田駅建設」
途中で何度か出てきましたが・・・やはり書かずにはいられない
②賢島に行ってびっくりしたこと2題
1)賢島の「ローカル線用駅舎と特急用新駅舎」
2)優等列車が、退避駅で右追い越しをしていくのを見たカルチャーショック
③あとから知った「新日本紀行・ふたたび」にでてきた<たこで伊勢エビを採る方法:タコ伏せ漁>
④「赤福」のはなし
・・・後半戦2/2(今回)・・・
⑤「合同電軌」って、何と「ごーどー」してんの?
・・・はみでた・・・3/2・・・
⑥あくまでも個人的にですが・・・私が「大岡越前守忠相」がほんとにすごいと思っているところ。
・・・近鉄とぶぎょーが関係あるか?・・・②③があるなら・・・あるべ・・・
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<後半戦:補遺2/2の始まりであります>スイマセン、今回⑤だけです
⑤「合同電軌」って、何と「ごーどー」してんの?・・・え?「合同電気」なの?・・・「電車屋さん」ぢゃないの?
合同電気株式会社(ごうどうでんき)は、大正から昭和初期にかけて存在した電力会社であります。
最初の起業は、大正11(1922)年5月1日、三重県下の電気事業者3社(*)を統合し、津市に本社を置く、
三重合同電気株式会社(みえごうどうでんき)が発足しました。
(*)津電灯・伊勢電気鉄道・松阪電気の3社
その後も県の内外を問わず積極的に事業統合を進め、
①最終的な配電供給区域:三重県・奈良県・京都府・滋賀県・和歌山県・兵庫県・徳島県の7府県に拡大
②電気軌道の運営(●宇治山田地区●和歌山ー海南地区)
③都市ガス供給事業を経営
などを展開、昭和5(1930)年、大手電力会社でもあり親会社の東邦電力から、岐阜県の事業を継承した際、
社名から「三重」を取って「合同電気」と社名変更いたします。
その東邦電力には、昭和12(1937)年の日中戦争開始時、電力統制の運用効率化並びに企業体質強化のため、
吸収合併されます。
国策として已むを得ざるジジョーがあったのでしょーけれど、伸び盛りの企業が消滅したのはいかにも
惜しまれます・・・
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<図ー2>合同電気の軌道の運営①神都線路線図、昭和30(1955)年代
「神都線」の歴史は、電氣鐡道として全国7番目、明治36(1903)年8月5日の「山田ー二見間」
開業という大変由緒あるものです。最後の開通区間は「猿田彦神社ー内宮前間」で、大正3(1914)年11月16日でありました。
一方経営母体は、起業時まで遡ると
①明29(1867)年ー 宮川電機
②明治37年ー 伊勢電氣鐡道
③大正11(1922)年― 三重合同電気
④昭和5(1930)年ー 合同電気
⑤昭和12年ー 東邦電力
⑥昭和14年ー 神都交通
⑦昭和19年ー 三重交通神都線(戦時統合)
☆昭和36(1961)年1月20日ー軌道最終日、翌日バス転換
<参考>RM LIBRARY 137 三重交通 神都線の電車 中野本一 氏著 NEKO PUBLISHING 2011年1月1日
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<図ー3>合同電気の軌道の運営②和歌山軌道線路線図、
和歌山市内の軌道のプランは「和歌山-黒江間」の鉄道布設免許を取得した紀州鉄道を嚆矢と致しますが、
オイエソードーで明治37(1904)年、会社解散となってしまいます。
その後も、戦争、戦後不況の影響をうけ、立案者が現れては消え、計画は二転三転・・・
結局、「和歌山水力電気株式会社」が明治38(1905)年6月に設立され、直前の軌道プランナーでありました
和歌山電燈を買収し電燈供給事業を始め、さらに11月28日付で軌道敷設権を譲受、明治42(1909)年1月23日に
市内の「県庁前(廃線時は市役所前) - 和歌浦口間」を開通させ営業運転が開始されます。
引き続き同年の2月には「市駅 - 県庁前(廃線時は市役所前)間」、明治44(1911)年11月3日 「紀三井寺 -
琴の浦間」が開業、明治45(1912)年の4月18日に「琴の浦 - 黒江間」を開業させて当初の免許線をすべて
開通させました。
その後は、支線・本線の延長は、相変わらず経営母体の変更が続く中、行なわれます。
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●大正2(1913)年10月2日に、和歌の浦支線「和歌浦口 - 新和歌浦間」を開業
●黒江以南、大正7(1918)年6月21日に黒江 - 東浜(当時は日方口)間を部分開業、
昭和4(1929)年6月1日には 東浜 - 海南駅前(当時は内海)を開業。
☆この間大正11(1922)年7月1日には和歌山水力電気は京阪電気鉄道株式会社に合併され、
同社の和歌山支店の経営となります。
さらに、昭和5(1930)年5月10日、京阪電気鉄道は和歌山支店の業績不振と新京阪鉄道との合併に伴う
費用の捻出を理由に、同支店の事業を合同電気株式会社(#) に譲渡。
●合同電気が、昭和5年6月16日には公園前 - 和歌山駅前(当時は東和歌山駅前)間を開業し全路線が開通。
合同電気株式会社(#) :上の「合同電気」にお示しした通り
三重合同電気(大正11,1922年)➡合同電気(昭和5,1930年、社名変更)
➡東邦電力(昭和12,1937年、親会社への吸収合併)
☆昭和15(1940)年)に東邦電力は和歌山地区の軌道線を
阪和電氣鐡道に譲渡。、
阪和電気鉄道は「和歌山電気軌道株式会社」を設立して、同社の経営とします。
阪和電気鉄道は同年12月に南海鉄道に合併され「南海鉄道・山手線」となります。
免許申請時、阪和線は1435mm鉄道で出願しておりましたが、南海鉄道線の買収に失敗していた鉄道省は、
是が非でも「阪和間鉄道の国有化」を狙っておりましたので、「阪和鉄道を1435mm軌道にしてはアカン」と
ばかり、「山沿いの、特に河内ー和泉国境(山中渓付近)のごとき狭隘な地形に1435mm軌道の複線分の
土地が取れるわけあらへんやろ」とかあることないこと、ないことないこと等々フッかけて狭軌鉄道にする
ことに成功します。
しかし、世の中わからんもんで、このいじわるの50年後(阪和線路線免許許可は1923年)、
昭和48(1973)年、本邦初代フリコ電車381系の営業運転の先陣を切った、中央西線、L特急「しなの」に
引き続き、ここ阪和線ー紀勢線に、二番手「フリコ特急」として、昭和53(1978)年、「くろしお」が就役、
その後の発展・活躍は皆様ご承知の通りであります。
あの時高圧的な鉄道省役人がいなければ現在の・・・おとなしく引っ込んでくれた阪和の上層部さんの
甲斐あってのありがたいオハナシなのであります・・・どこまで話しましたっけ・・・)。
☆あ、そーそー、南海はさらに、
昭和19(1944)年6月に関西急行鉄道と合併して近畿日本鉄道となったことで、和歌山電気軌道も近畿日本
鉄道の傘下となりました。
戦後、近鉄系、南海系は比較的すぐ分社しますが、
第二次世界大戦における被害は甚大で、壊滅的線形・路線状態、とりわけ病院前以北は営業休止、
可動車7輌のみながら、資材調達はめどは立たずといった困難をきわめた時期がしばらく続いたようです。
☆戦後期は順調に推移し、昭和32(1957年)11月には和歌山鉄道(現・和歌山電鐵貴志川線)を吸収合併、
昭和36(1961)年11月には南海電気鉄道と合併し同社の和歌山軌道線となり、やっと落ち着いたかに
見えましたが・・・世はすでに車社会・・・チンチン電車は「時代遅れ、邪魔者」と冷たい視線・・・
南海側は和歌山軌道線の全線廃止を決断し、昭和46(1971)年の1月に「和歌浦口 - 海南駅前間」、
同年4月1日に残りの区間が廃され、62年の活躍に幕を下ろしたのでした。
<参考>Wikipedia、南海和歌山軌道線
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モーしわけありません
⑤⑥をチンタラやっておりましたら、⑥の途中で字数制限となりました・・・
続きは次回とユーことで、どーか、どーか、御目こぼしを・・・
カラスのクンセイ 拝
近鉄雑感<最終回>、補遺、ちっぷす・あ・補遺2/2 了
後半の後半に続く
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