雪まつりが潮まつりに化けたとかいうお話 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

 
今夏も、もう、「堂々の小樽名物」になったといっていいと思います。
7/27(日)「49回潮まつり」が閉幕いたしました。

潮まつりは、毎年、7月の最終(金・土・日)と行われますが、始まりが
昭和41(1966)年と、それほど「古すぎる」というほどの祭りでは
ありません。
しかし、この祭り、「小樽の宿泊客」を増やしてはいませんが、
日帰り客の集客を確実に増やしています。
昭和41年と言いますと「小樽も斜陽か?」と言われる程度で
今ほど深刻な、「人口減少+高齢化」の町ではありませんでした。

ですから、祭りを立ち上げた方々、今にして思えば、「小樽の
夏の景気づけ」に多大な貢献をしていることは間違いなく、
先見の明があったということになる・・・と私は最近まで信じて
疑いませんでした。
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手稲駅に貼っていた今年のポスターを無断転用
 
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ところが、同じ職場に、実家が小樽・手宮(鉄道が
北海道で一番に通ったところ)という同僚がおりまして、
そいつが言うには
「札幌雪祭りの、元となったのは、<北手宮小学校>の
冬の雪像つくり大会である(ホントーの話です)。
小樽市は、雪像づくりと、新しく集客が沢山できる祭りと
両方にずーーーッと金を補助する財力がないので、
「雪像づくり」を切って、新しい祭り(潮まつり)を立ち上げるのに
賭けた。
手宮の雪像祭りを札幌に売ったんだ!!」
とタイソーご立腹でありました。

地元が「小樽市政」から見放されたと思った同僚は、今でも
小樽市をうらんでいるそーで、こーゆーことは住んでいる人間でないと
実際の心情ははわからないものです・・・

それはさておき、今年も、小樽から、最終イベント終了!解散!!用の
臨時列車が。札幌方面と余市方面に出ました。
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手稲駅電光掲示板、快速運転のお知らせ(1)時刻表
  
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のべ33輌
33x170人/輌=5610人(1輌定員170人・・・としました。

まぁ、こんな輸送力ぢゃ焼け石に水、山火事にノミのオシッコだろーなと
思いながら、今のJR北海道では精一杯?と考えますと
悲しいですね。
普段の倍しか本数が増えていません。
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  道内版時刻表(2015,4)とくらべると等間隔
運転ではなさそうですが
21:00台は10分間隔、以後15-20分間隔といったところ
でしょうか?
臨時快速は札幌近郊客の停車駅も配慮して、
通常の快速に、「桑園」が停車駅に加わっておりました。
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太字が「祭り用」臨時便.実際の時刻表との比較をしてみました
  
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同じく手稲駅電光掲示板、快速運転のお知らせ(2)停車駅案内ほか
 
 
 
*通常の快速の停車駅に「桑園」が追加されていました
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以上、今年の「潮まつり」ジョーホーと申しますより、
私が、「潮まつり」のできたいきさつに驚かされた話・・・

といったほうが適切でしょーか?をお伝えいたしました。

最後までおつきあいくださいました方々ありがとございました。

 カラスのクンセイ 拝