難読<青森県>、補遺再び・・・ホイホイ・・・「撫牛子」へのムボーな邪推 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

青森県の難読シリーズとしましては
 ・本編
 ・「風合瀬」のみ取り上げました、昨年8・31の「補遺、あ・補遺」

に続きます3回目であります。

「撫牛子ナイジョウシ」の<読み>については、さぞ議論百出したことでありましょう。
私、某方面から
「読みについてはついに決着がついた。」
と伺い、がっかりしておりました。

しかしながら、せっかくトチューまで調べたことを記録しておかないのも、
いつもの自分らしくていーぢゃナイの!!・・・・ではなくて、
これでは今までと何ら進歩がない!!
とユーことで、今まで調べたヨタを皆様にゴヒローすることにいたしました。

最後まで、ゴヒローしないでおつきあい下さいませ。

&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&
まず「撫牛子」駅付近の周囲の探検をしてみましょー・・・
と言っても、地図上での特徴探しだけなのですが・・・・

・・・と、でてきました・・・
撫牛子駅から半径4km以内に、神社・寺院・仏閣が30社(*1)ありました。
撫牛子駅の由来に関係があるかどうかは別にして、ほかの駅周辺では
あまり見かけない光景であります。

門前町の駅でありました「国鉄・大社駅=出雲大社」や「旧・加越能鉄道
鉄道線・井波駅=高瀬神社」周囲より大きな寺社群を形成しております。

「そりゃー、ヒロサキの寺町でないべか?」
ご指摘ごもっともであります。

特に、今に伝えられている、弘前城の天守閣ですが、あれは三階櫓あります。
以前は5層の天守閣が存在したとか。。。?
それは、落雷で焼失したと伝えられており(*2)、心細く感じた、弘前城の守兵は、
寺町を城外の出城の役割を持たせんとしたことは、十分考えられます。

しかしこの30寺社は、撫牛子駅の北西部に6、北に1、東南東に当たる
弘前城周辺に14、そこから2kmほど南にある「弘南電鉄・大鰐線、中央弘前駅」
付近に5、とほかはほぼ散在と分布しており、

さすがに弘前城付近は多いのですが、これら寺社が一塊となっている、
あるいは輪状になって、有事の際、砦になりうるといった並びにはなって
いないようです。
*************************************
<参考>
(*1)Mapiion
撫牛子駅 神社・寺院・仏閣
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M06005/02202/ST20733/
一番近い建物が高福寺 駅から755m
一番遠い建物八坂神社    3737m
############################
(*2)Weblio辞書
弘前城
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%BC%98%E5%89%8D%E5%9F%8E_
%E5%BC%98%E5%89%8D%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%
A6%81#.E5.A4.A9.E5.AE.88.EF.BC.88.E5.88.9D.E4.BB.A3.EF.BC.89

******************************
最初の天守は、弘前藩2代藩主の津軽信枚公により1609年(慶長14年)頃に
本丸南西隅に建てられた5重の建物であります。
1627年(寛永4年)9月の落雷で出火し、天守内部に収納されていた火薬に
引火して(4重目に吊るされていた釣鐘が落下して下層に収納してあった火薬に
引火したとも)大爆発を起こして本丸御殿や諸櫓とともに焼失しました。
天守は再建されることなく、今でも天守台を支えていた石垣は本丸南西隅に
そびえています。


さてさて・・・これらの寺社・仏閣で動物の慰霊はやらなかったのか?
と思いました。
農耕に牛馬を使っているだろうからと考えたからであります。
もちろん、根底には、これら寺社・仏閣と駅名の関係に、屁理屈でもいいから
関連性を持たせられないだろうかといった下心が99.99%程度入っておりますが・・・

青森は、江戸期まではコメの北限でありましたし、農業用労働力として
「牛」が使われたのではないかと・・・

「①撫」「②牛」「③子」

①の撫の文字は「慰める、慰撫する」という意味ではないか?英語流に
動詞が前で、目的語が後ろ・・・

では何を?

「②③」をということになりますが・・・
②は「本当の字」を使うと地名として残酷になるので、
その漢字の一部を使い、なんとなく「雰囲気だけ」は
伝わるようにしたい、といった先人のアイディアだったと
考えてみました。。

漢字の中で、「牛の字(部首)」を使い、読みが「じょう」の字は
「牲=いけにえ」ただ一文字であります。

すなわち
「撫牛子」
とは
「牲」となった廃牛の子、あるいは、いけにえになったものを憐れんで
「牲子=いけにえになった哀れなちっぽけな存在」といった意味
なのかもしれませんが・・・
そういった、動物=おそらく農耕用で歳をとって使えなくなった
「牛」たちを「撫でる=なでる。慰撫する」
寺がいっぱいある場所・・・

と解釈してみました。

そして、寺社においては、「獣」を扱い難いところがあるでしょうから
「牲 引く 生 = 牛」となった・・・

長い年月の間で、「牲子を慰撫する場所、寺社が多い場所⇒撫牛子」となった。

以上で、熱帯夜の私の与太話はおしまいです。
最後までおつきあいしてくださった方、明日の熱中症には注意して
お体ご自愛くださいませ。

 カラスのクンセイ 拝