*富良野線の「美瑛駅」さん
昭和27(1952)年の御作と伺っております。
「美瑛軟石」をフンダンに使った、それはそれは「石のゲージツ品」であります。
美瑛町様も「思わず建設に当たってはリキ」が入りました。
建設総額404万円のうち、美瑛町様が113万円(約45.7%)もご負担されたのですから(同町HP)。
え?今で言うと、どのくらいの貨幣価値かって?
なかなかむずかしいですね~。
当時国鉄初乗りが10円。現在JR北海道初乗りが160円ですが、他のJRさんの初乗り運賃を拝見しますと、130円のところがまだありますですね。
で、物価上昇を当時から15倍とでもしてみましょうか?
すると、駅建築費用は6060万円、美瑛町様のご負担が約1700万円(平成24年度実績であれば歳出の約0.6%に当たります)となりました。
町の鉄道を大切にするお気持ちが伝わって参ります。
*私鉄の駅と申せば、定山渓鉄道さんの今や「駅舎」の唯一の遺構となりました「元・石切山駅(現・石山振興会館)」さん。
「札幌軟石」使用の建造物であります。
なに!!札幌市内で「硬石山行き」のバスをご覧になったですと?!
隠し立てしても仕方ありますまい・・・
実は、石山地区(札幌市南区)は豊平川を挟んで西側を硬石、東側を軟石を採掘していた時代がありまして、今でもそのまま当時の停留所名を使っております。
*さて、私こと、登別駅でございますが、2Fはハーフティンバー(真壁造り)で、階下部は「登別軟石(=登別溶結凝灰岩)」をウェストライン あたりから張り付けたものでございます。
当初はすべて石造りという話もあったのでございましたが、駅改築が昭和10(1935)年とロンドン軍縮条約の年に当たっておりました。
しかし、洋の東西を問わず軍縮ムードはさらさらなく、この年、ナチス・ドイツがヴェルサイユ条約破棄、そして再軍備宣言と、かえって軍事的緊張が高まるばかり・・・・
そんな、緊迫して、物がない時代に、「ハリボテ」ながら、うまく貫禄を出して下さった地元の職人さんの顔を立てて、私に「石造りの駅舎」の名前を頂けないものでしょうか?
<登別駅:階下部のそのまたウェストラインから下は「登別軟石」を張り付けたものだそうです。昭和10(1935)年竣工。平成25年3月31日撮影>
そして、付近の路線図ですが、
長万部方←・・・[東室蘭]ー[鷲別]ー[幌別]ー[富浦]ー[登別]ー<虎杖浜トンネル>-[虎杖浜]ー・・・→苫小牧方
登別の自治体所在地駅となりますと、市役所、消防署、警察署がある(登別には市立病院はありません)「幌別」がその任に当たるわけですが、特急の停まる本数を見ても、登別の方が圧倒的に多いのです。
元々この付近は「幌別村」といっておりましたし、昭和26(1951)年、町制施行の時もそのまま幌別町となりました。
ところが、道外の観光客に幌別町ではインパクト・知名度もイマイチと思ったに違いありません。昭和36(1961)年、登別町に改称。
昭和45(1970)年、市になる際も、官庁街は幌別に置いたまま、結局登別市になりました。
まー、「幌別市」になっていたら・・・特急が幌別に近づくたびに「登別温泉においでの方は次に停まります登別で下車ください・・・なんて車内放送がはいっていたのかもしれません。
やっぱり、「幌別市の登別温泉にしなくてよかったのかも・・・」
さて、道内最初の特急列車は「サンロク・トォ」こと昭和36(1961)年10月に登場しました、函館ー東室蘭ー札幌ー旭川と走った「おおぞら」号でありました。
もちろん、当時は「キハ82系」でしたが「食堂車、1等車(現・グリーン車)2輌付き」の豪華編成でした。
ところがところが、ここ登別と洞爺(当時の駅名は、町名に合わせた虻田)は、始めのうち、雪の無い観光シーズンの5/1から10/31の半年間だけでした。
これが、通年停車になるのは、昭和43(1968)年から、またおおぞら系統が函館まで行っていた最後の1往復が撤退、札幌ー釧路間特急に専念したのは昭和61(1986)年11月1日改正以後のことでありました。
◇登別駅海側の2本の留置線(☆)は「団体臨」用というのは本当か?
<登別駅構内配線>
◇退避設備は原則上り方向(長万部方面行き)のみです 。ただし、追い越し列車が登別で客扱いをしないのであれば、中線を通って、下り方向(苫小方面)に追い越しは可能です。
◇また、現在、東室蘭ー登別間の区間列車が運転されていますが、一旦下りホームに到着。折り返し時は、渡り線を2回使って上り本線に出ています。
◇西側の留置線(☆)は団体専用列車の留置線ときいておりまして、この2線はPC枕木化されバラストも厚く、よく整備されておりますが、非電化線であ りました・・・ということで海峡線から一気に本州客を引きこむ作戦でも練っているのだろーかとも思ったものですが・・・
私は転勤で、昭和62(1987)年11月1日から63(1988)年2月10日まで登別駅の近くに、また平成2(1990)年9月から8年7ヵ月東室蘭に在職しておりましたが、<虎杖浜トンネル>であちらの世界の方に、一度お目にかかりましたが、団体列車の留置にはついぞお目にかかりませんでした。
この、留置線の運命はこれからどーなるのでしょーか?
何とか、立場を認めてほしい登別駅 了