源内、お前もか・・・ | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

「源内先生(*1)、野◇岩(*2)さんのご主人様がご相談したい件がおありとお見えなのですが・・・?」
「なに?あの、鰻の名店のか?」
「さようで。お約束もないことですし、本日のところは、日を改めて・・・」
「ナニを失礼なことを!!さっさとお通ししなさい!!!」
「はは。」
・・・・・・・・・・
「野◇岩のオヤジにございます。お約束もなく、お伺いいたしまして・・・・
気になることができまして・・・当代一の学者先生であらせられます、平賀源内先生におかれましては、ご多忙の極みではないかと愚考いたしましたが、何せこの歳になりますと、気になり始めましたら不安はドンドン大きくなりますし、ご無礼を承知で・・・」

「いやその辺で勘弁して、面を上げてください。私、ご覧のとおりの気楽な人間でございまして、そのように過分なご挨拶をされますと、却ってこちらがキンチョーいたします。

そちらのお店こそ、鰻の品定めはもとより、お若い方、串ウチ3年、焼き8年といわれた修行を、どなたも落伍されることなく、みな一人前の職人さんに育っておられると伺いました。

おい、こら、お客様に茶の一杯も出さんでドーする気だ?

それに比べますと、私のところのイソーローはあんなフーに気も利きませんで・・・
お恥ずかしい限りです。

よい後継者がたくさん巣立つということは、優れた指導者がおいでになるということに、他なりません。」

「畏れ多いお言葉で・・・」

「そのお店のご主人が、悩みなどなさそうでありますが・・・

あー、また私のような機械屋に何ぞ作れとでもいったご相談ですか?」

「いえいえ、最近6月以降、気温も上がり、手前どもは、鰻の季節かなーと思うとりました。
ソシテ、将軍家治様(*3)が福山藩の家臣団から呼び寄せた、阿部のナニガシ(4*)、今度勘定方の老中に抜擢されたのですが、その阿部ナニガシ、実は金勘定などわかるのかといった25歳のワカゾーでございましてな、いきなり「阿部乃金剛(*5)」なる経済政策を打ち出しまして、
「これで大和の国は鬼に金棒じゃー」とかウソブイテいているのでございます。
しかし、庶民の生活はあまり豊かになったとはいえず、むしろ警戒気味で、財布の紐は硬くなり、<鰻などは高級品>とみな避けて通るようになり、先日の8月1日新月の日の売り上げも惨憺たる勘定でした。」

「それはおきのどくなことですのー・・・」

「そこで、先生には、鰻を食べると、何かいいことがあるよ、といった<きゃっちこ・・・>ぢゃなくてですね・・短い名台詞を考えていただき、手前どもの売り上げを伸ばす算段をを考えていただきたいのですが・・・もちろんただで、とは申しません。」

「むむむ・・・」
「いかがでしょー、むずかしーでしょーか?」
「いや、多少心当たりがあります。ただそのことを書いてある本がどの辺にあったものやら探すまでには、半刻(=はんとき、1時間)ほど時間をいただきませんと・・・このままお待ちになりますか?
それとも今日はお帰りになって、明日にでも私が仰せの方角に何か書いたものをお持ちいたしましょーか?」
「そんな、滅相もない、大先生にお遣いをさせるなんて・・・お邪魔でなくば、このまま待たせていただきます。」
「かしこまりました。では探してまいります。」

***♪ぴぽー、ぴぽー、ぴぽー(30分経過)***もこず きっち・・・混線してますね~

「先生、短くございましたね。四半刻ほどでございましょーか?」
「いや、大切なお客様を長くお待たせせず、ほっとしております。
ご主人、これをご覧下され。
世界最古の料理の本ということになっているらしいのですが・・・」
「それは、興味深々でございますな。」
「<斉の桓公(*6)の宮廷料理人の「覚書集」を後世の人がまとめて、そのワザが連綿と受け継がれているといったことらしいのですが・・・。
<斉王の御厨屋・みくりや・・・どっかの駅名にあったっけかなー?(*7)>と申すそうですよ。」
「さー、存じ上げませんね。私の勉強不足なのでしょうね。」
「いや、ご主人こーいったものは、内容は<口伝>、本のほうは原本がないから写しの写しとか言ってにせものがたいがいと伺います。
私どもの世界でも、あまり大きな声では言えませんが、南蛮渡りの道具立て通りで実験をしてもうまくいくのは、10回に1回ほどです。

ま、それはさておきまして、その桓王様が活躍されたのが今から2300年ほど前らしいのですが、たまたま2-3年続けて、カボチャが豊作となり、
えー、ここに書いております・・・」
「ははぁ、なるほど、<人々、南京(=カボチャ)食すに飽く>とありますな。」
「そーです、そーです。
そこで、困った農家では、返品は来るわ、在庫は腐ってくるわで、困っていると、やはり、こーゆー時ってーのは、頭がイーヤツが出てきて何か方策を考えるもんだなーと思いましたね。」

「ほー、何か、カボチャの売り上げに、貢献したような事実が書いてあったのですね?」
「さすが、お察しのとおり!、
①食べる目的の日を作る
  ここでは「カボチャを冬至に食べると風邪を引かない、息災でいられる」とふれまわった、とあります
②でもその効果は期限付きであることも付加せよ
  次に冬至にまた食べようね、と書いてあって、他にも、品物の末尾が「ん」で終わるものは同じ効果があるんだよで締めてありました。

ですから、この本では<とうじかぼちゃ>といっておりますですが、鰻も<##鰻>と銘打って特に食べる日を決めておけばいいと思います。

そうすれば、当日不都合で食べられなかった客も、その前後の日付に無理してでも必ず来店するようになるのではないでしょうか?

それに合わせて必ず、体にいいことがありますよーと、夏を乗り切るような薬用効果もくつければ一層の繁盛は期待できると思いますが、実際に商売をおやりの方がお考えになってみていかがでしょうか?
ソシテ余った分は経木か何かに包んで持ち帰りができるようにしてはいかがですか?

うたい文句の方は・・・そうですねー・・・たとえば・・・そうですねーーー
「夏の疲労回復は鰻に限る」ですとか

「土用の丑の日に鰻を食べると精がつく」ですとか・・・」

「いーですねー。さすが平賀先生。
根拠になる御本までお示しくださって(*8)。」

今の文章そのまま頂戴してもかまいませんか?」

「えー、どーぞどーぞ」

「それでは、今度の夏から使わせていただきます。
このお礼は改めて。」

「いえ、ご主人。
手柄はこの本ですから。」

次の夏から、野◇岩では、店外の路上に席を設けるほど連日の大賑わいだったという。
ソシテ平賀先生のところには、年2回の鰻の日(*9)には、お店から最上級のうな重が必ず届いていた。

「いや、ヒトのネタをパクッて、こんなイー鰻があたるなんて、わるくないねー。」
と平賀先生は毎年野◇岩さんに感謝するのでありました。

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えんでぃんぐ・ろーる(出演順)
平賀源内(*1):1728-1779?80?
いわずと知れた、日本初?の科学者、文学者です。治世は徳川10代家治将軍の時代。
野◇岩(*2)
こちらも知る人ぞ知る鰻の名店。創業200年。
将軍家治様(*3)
徳川幕府10代征夷大将軍家治、生年:1737-1786年、在位:1760-86年
阿部のナニガシ(*4),生年:1819-1857年
福山藩第7代藩主、阿部正弘。1843年、25歳で老中に抜擢され、安政の改革を行いました。
実際にこの人を老中職に取り立てたのは、12代将軍家慶(いえよし)です。
阿部乃金剛(*5):「アベノミクス・・・安倍之混合」とも・・・・さては、おまえはこれだけのためにこのブログを書いたな?解りきったこと聞くな!!
斉の桓公(*6)
春秋時代初期「春秋五覇」といわれた諸侯のなかの最強の国王、在位紀元前684-643。
・どっかの駅名(*7)
青い森鉄道の盛岡から青森に向かって二つ目の駅に「厨川・くりやがわ」がありました・・・わすれてください・・・
根拠になる御本(*8)
「ウナギを夏場に食べるきっかけづくりになった」そんな本はありません。
今までの時代や、活躍した人脈地図にずれがあったりして、物語が500%作り話だということはお気づきだと思われます(人物はすべて実在の人物です)。
ウナギの話は「源内先生のオリジナル」ということに今の学説ではなっているようです。

日本最初のCMソング「歯磨き粉・漱石膏」を作った人ともいわれていますので、(近代的音楽とは言えないので、日本最初のCMソングは<静岡電鉄(現・静岡鉄道・静岡清水線に作られた「ちゃっきり節」>であろうとするほうが大勢を占めているようですが・・・)音楽的才能もあったようですし、俳人としても俳号を持っているくらいですので、キャッチコピーを作るのはお手の物だったのかもしれません。

さて、「カボチャを冬至に食べる根拠となる本」は、多数あるようで、内容をまとめますと
①カボチャは、「日本かぼちゃ」と「西洋かぼちゃ」に大別できます。
②「日本カボチャ」は16世紀ころ、カンボジアからもたらされ、(「かぼちゃ」の名は、このときの伝来先に由来しているというのはご存知かと思います)、
江戸時代に普及し、この日本かぼちゃしかない時代に、江戸時代中期から風邪の予防にかぼちゃを冬至に食べる風習が根付いたといわれています。
緑黄色野菜の少ない冬にカロチンやビタミンの多く含まれるかぼちゃを食べ、風邪等への抵抗力をつけようとしたとされますが、一方でまだまだ冬野菜は貴重品で、地方によっては祭壇にささげてから、ヒトの口に入れていた地域もあって、「冬至カボチャ」の全国的定着とまでには至っていなかったようです。
③片や、「
西洋かぼちゃ」は、肉質がほくほくしているところから栗かぼちゃとも呼ばれています。
幕末にアメリカ人が持ち込んだのが最初で、その後、明治初期に開拓使によってハッバードなどの品種が導入され、その後、甘みの強い「えびす」や「みやこ」などの品種が育成され、現在では、このハッバード系のかぼちゃが全消費量の多くを占めています。
④西洋カボチャの導入で、収量が安定し、日本全国で冬至にかぼちゃが食されるようになったのは、明治期に入ってからということです。

・年2回の鰻の日(*9)
土用(どよう)とは、五行に由来する暦の雑節で、1年のうち、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日の間をいいます。季節の変わり目で、古くは土木工事の新規着工は忌み嫌われたとあります。

土用の丑の日(どようのうしのひ)は、土用の間のうち十二支が丑の日で、最近は、夏の土用の丑の日のことしか言わなくなりましたね。

干支のめぐりあわせの関係で、夏の土用には丑の日が年に1日と2日の年があります(平均1.57日)。
2日ある場合はそれぞれ一の丑二の丑といいますが、これも死語となりつつあります。
 ◆最近の土用の丑の日:平成23年(7/21.8/2),24年(7/27),25年(7/22,8/3),26年(=来年,7/29)