昼は総集編です

この後、西本願寺が登場するため、リンクしておくのに総集編をアップしておきます


西本願寺も地味に何度となく行ってました

特別公開されてたとこは、一回行ったとこには数年開く僕でもよく行ってることが如実に表れています🤣


西本願寺

住所・京都市下京区堀川通花屋町下ル

HP 西本願寺 

御本尊 阿弥陀如来

駐車場 無料のがあり

弘長2(1262)年、親鸞聖人が90歳で没したあと、遺骨は東山大谷に納められる

文永9(1272)年、聖人の末娘・覚信尼(かくしんに)が吉水の北に聖人の墓を移し、六角の廟堂を建てる

そこに木像を安置して、御影堂と呼んだのが本願寺の起こりということです

本願寺と称するようになったのは、3代覚如上人のとき

室町時代、蓮如上人(第8代)が宗門を栄えさせる

寛正6(1465)年、大谷本願寺、比叡山衆徒に破壊される

その後、蓮如上人は、近江・北陸で布教し、勢力を回復したのち、京都山科に本願寺を再建

天文元(1532)年、日蓮宗徒と六角定頼の焼き討ちで炎上し、大坂・石山へ移る

ここで寺域を広げ、大勢力に

11代顕如上人のとき、石山合戦となり、天正8(1580)年焼亡

その後、各地を転々とする

天正19(1591)年、豊臣秀吉の寺地寄進を受け、現在地に移る

文録元(1592)年、顕如上人が急逝したのち12代の後継者を巡り内紛が起こる

慶長7(1602)年、本願寺は東西に分裂

(京都大知典参照)

東山大谷には現在地も祖廟があります

比叡山は信長信長焼き討ちで被害者だったことが大きく伝わってますが、比叡山もけっこうなことをしてた時期があった訳です😓

白河天皇が思うようにならないものとして「加茂河の水、双六の賽の目、山法師」と言われたと言いますが、その山法師は比叡山の僧だったということらしいですから😒

蓮如上人が、北陸へ行かれ、また戻られるときの各地にその後足跡がなどが残っています

僕が訪ねたとこでは、熊川宿や、美山なんかにもその跡がありました

この北陸へ行かれたことにより、北陸で本願寺門徒の力が強くなり、戦国時代に北陸で一種独特な勢力となったのは歴史の面白いとこだと思います😄

戻ってこられた山科にもその跡があり、そこも訪ねています

それらもリンクしてたらキリがないので今回はしませんが、それらもいずれまとめ記事としてアップ出来たらと思ったりしてますニヤリ

一般人が本願寺で一番知ってる(認識してる)のは大坂に移ったときの石山合戦じゃないでしょうか!?

これも歴史の綾ですよね♪(*´艸`*)

おそらく山科に居たままだと、信長とここまで対峙することはなかったでしょうから?

そして歴史の綾と言えば、東西に本願寺が別れ、西本願寺の近くに東本願寺の寺地を徳川家康が寄進したのも、本願寺勢力を分断するためだと読んだことがあります

実際、近年まで東西本願寺は反目しあってた訳ですから

長くなってしまいましたが、まずは本願寺の歴史と雑感でしたf(^^;


まずは西本願寺の詳細記事です

1-1(2019.10.12) 太鼓楼、阿弥陀堂門、経蔵、阿弥陀堂


1-2(2019.10.13) 御影堂門、御影堂、逆さイチョウ、沓石、天の邪鬼、鐘楼


1-3(2019.10.13) 猪熊門、大玄関門、台所門、唐門


1-4(2019.10.14) 書院、旧仏飯所、唐門(境内から)、大玄関


1-5(2019.10.15) 阿弥陀堂、御影堂、スタンプ(西本願寺に御朱印はありません)


上記は通常で見れるとこですが、特別公開などで行ったことを下記にリンクしておきます

唐門通り抜け(2017.6.22) 

これは唐門が修復される前にあった催しです

あれからあっという間に時間が建ったんだと愕然としちゃいます笑い泣き


飛雲閣公開(2020.6.23) 

修復中の公開で、滄浪池(そうろうち)に水が無いという貴重?な画像ですニヤリ


ライトアップ(西本願寺花灯明) にも行きました(2017.7.13)

この時、書院内部も見ることが出来ましたが、撮影禁止だったので残念ながら画像はありません😞


過去記事になりますが、読んで頂いた方はありがとうございました(..)

では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ