3.11から9年目の日.

 

「Fukushima 50」を観てきました.

 

9年前のその日に想いを馳せ,過去にはならない今に続く現実を受け止めました.

 

 

こんにちは

 

正食千葉教室おちこち,ライフオーガナイザー,メンタルオーガナイザーの向後あき子です.

からだ健やかに,こころ豊かに,暮らしをつなぐ知恵や折々の思いをつづります.

 

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夕ご飯の後で,夫と一緒に出掛けました.

 

映画館は閑散としていて,観客は私たち夫婦と他に男性が一人のみ.

 

遅い時間とはいえ,平常時では考えられない状況でした.

 

 

 

 

映画は俳優さんの迫真の演技がすばらしく,現場の臨場感に飲み込まれました.

 

 

 

事実こういう状況であったろうと想像され,胸が熱くなりました.

 

 

原発は人間が作り出し,そして人間の手には負えなくなった大きな魔物のように見えました.

 

そして同時に,共に力と知恵を振り絞り,何とかしようとする強さ,

 

苦しい状況の中にあってもお互いを思いやるあたたかさ,

 

そういうことができる,人間という存在のすばらしさも感じました.

 

 

 

映画後半,吉田所長さんが「俺たちは何かまちがっていたのだろうか」とつぶやく場面があります.

 

亡くなった後のお手紙の中で,

 

「そのことが今なら分かる,俺たちは自然をなめていた,自然を支配できると思っていた」とつづられていました.

 

 

 

便利さや効率や経済を追求する社会の仕組みの中で,その恩恵にあずかっている私たち.

 

その中で,自然への畏敬と感謝,自然の力の甚大さを忘れてしまっていないか?

 

そのことはいつも自分に問いかけたいことです.

 

それを心の中において,暮らしの中に反映できることを,少しずつでも実践したいと思います.

 

 

 

 

9年前,3月11日から3か月たった日,被災地に行きました.

 

しっかりと見ておきたい,目に焼き付けておきたいと思ったからでした.

 

日帰りできる距離だった釜石まで行き,町を歩き海に行き高台に上り,限られた時間いぱいを過ごしてきました.

 

長男が同行してくれたので,同じ光景を胸に刻んできました.

 

 

大学1年生だった二男は,その夏,自転車で三陸海岸を北上してきました.

 

一度「心が折れそうになった」というメールが届きました.

 

 

小学生だった二女とは夏休みに,海岸部を含め東北をめぐる旅をしてきました.

 

 

何を見ておきたかったのか,何を胸に刻んでおきたかったのか,子どもたちにもそうして欲しかったのか.

 

それはやはり自然の脅威,自然への畏敬の念であり,その土地に住む方たちへ思いを寄せることであったと思います.

 

 

 

福島にも足を運びました.

 

会津の漆器を使うようになったのもこの時からでした.

 

 

 

昨晩の夕ご飯には,娘の夫のご両親が届けてくれたカニをごちそうになりました.

 

ご両親は実家が釜石です.

 

震災よりずいぶん後のご縁でしたが,奇遇なことでした.

 

9年前の惨状を思い出しながら,こうして三陸の特産品がいただけるようになったことをありがたく思った食卓でした.

 

 

そして,今も現実であることを胸に刻んだ「Fukushima 50」の映画でした.