こんにちは!

12月!

またまたご無沙汰です(´;ω;`)





先日読んだ

村上春樹『女のいない男たち』つながりで

チェーホフ「ワーニャ伯父さん」を読みました。







その前にAmazonプライムで

映画「ドライブ・マイ・カー」も観まして!



映画を観てからの方がよりいっそう

「ワーニャ伯父さん」を読みたくなりました。



「ワーニャ伯父さん」の前に

「ドライブ・マイ・カー」の感想を

少し語らせてください・・!



映画を観ること自体ひさびさで

(運良く我が子がお昼寝している間に

観ることができました^^)

一本の映画を観るだけで達成感に

満ち溢れたのですが



「ドライブ・マイ・カー」を

観終わった後、しばらくずっと

作品のことを考え込んでしまうような、

余韻が残りすぎて

作品世界からなかなか抜け出せない

中毒性のある作品でした。



原作でひっかかった

「男女の線を引きすぎている」感もなく、

(男、女、を意識させない演出だったと思います)

さらにグローバルで多様性に富んだ

物語にもなっていて



「ドライブ・マイ・カー」は

原作(村上春樹『女のいない男たち』)とは

まったく別の作品だと思いました。



大切なものを失いたくなくて

身動きがとれない中年の葛藤

映画ではとても巧みに描かれていて



大切な「いま」を壊したくない

だけど現状に悶々としていて

やりきれない思いがあるという

相反する思いがせめぎあって

揺れる気持ちが人ごとに思えず

作品世界に引き込まれました。。



ちょっと自分の話をしますが

わたし自身も試行錯誤している時期で

母業も仕事も全部頑張りたいけど

結局どっちも中途半端になっていて

どっちかに全力投球すべきか・・でも・・

と揺れているところなのです。



で、結局問題を先送りにして

ずるずるとグレーで中途半端なまま

変えられず、、今に至るわけですが、



こういう、物事をグレーにしたまま

先送りにしちゃうというのは

年を重ねると「あるある」なのか?と

考えさせられました。。



なんでも白黒つけりゃいい

ってもんでもないですよね。

(と、自分に言い聞かせています)



手放しきれない大切なものが

たくさんあるということは

ある意味恵まれたことなんだとも

言えるだろうし、

引き続き試行錯誤したいと思います。



で、映画の話に戻りますが

この作品は大切なものを

壊したくなくて身動きがとれない

からこそ起こる悲劇の物語で



主人公の葛藤、悲しみ、痛みが

瀬戸内海の静かな海や夜景、

北海道の寂しげな冬道など

ドライブ中に見える景色と

絶妙にリンクしていてグッときました。



視覚、聴覚にフルに訴えてくる

映画ならではの没入感が

久しぶりで新鮮で、

とても濃密で充実した

時間を過ごせました。



映画の感想、少しだけといいつつ

めっちゃ長くなってしまった・・



けれど、映画の感想を語らないと

「ワーニャ伯父さん」の感想も

語れないと個人的には思っていまして、、

ここまでお付き合いいただいた方

ありがとうございました。



映画のなかでも

「ワーニャ伯父さん」が

ところどころ引用されているのですが



「ワーニャ伯父さん」という物語が

あるからこそ「ドライブ・マイ・カー」

という作品が出来上がったのだなと

思わされるほどに

「ワーニャ伯父さん」は映画の

支柱を担っていると感じました。



「ワーニャ伯父さん」のあらすじは

40代を過ぎ、中年となったワーニャが

これまでの自分の人生を振り返り、

後悔と他者への羨望の念がつのり

破滅的な行動をとりたい衝動にかられる、、

というもの。



本作は小説ではなく戯曲として

つくられているので

テキストは全体的に「!」が多くて

激情的?な感じです。



1890年代につくられた作品ですが

自分の人生を振り返って

「なんでこうなっちゃったんだ…」と

後悔するシーンは人ごとに思えず、

どれだけ時を経ても、時代が進化しても、

変わらない人の悩みはあるのだなぁと

改めて考えさせられました。



「ワーニャ伯父さん」を

読んでいて切ないのは

後悔してももう遅い、ということが

自分でわかってしまっているから。



どれだけ後悔したところで

現状を変えるほどの力を持たない

(体力的にも経済的にも)

ワーニャ伯父さんは、



他者をうらやみ、

何もかもぶち壊したい

衝動にかられながら

自分の人生を悲観するのです。



物語のクライマックスで

ワーニャ伯父さんは

つもりつもった不満が爆発するのですが

ワーニャの姪にあたるソーニャが

気持ちをなだめるように、

そしていさめるように



ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。

長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。

運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。

安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも、働きましょう。

そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。

そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。

すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ、そして、ワーニャ伯父さん、伯父さんとあたしは、明るい、すばらしい、夢のような生活を目にするのよ。

あたしたちはうれしくなって、うっとりと微笑みを浮かべて、この今の不幸を振り返るの。

そうしてようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ。

伯父さん、あたし信じているの、強く、心の底から信じているの……。



と語りかけるのです。



ソーニャの語りは

力強くて、謙虚で、

現状が変わるわけではないけれど

少しだけ目の前がほの明るくなるような

そんな力のこもった

あたたかい語りでした。



この先の人生、

たとえ自分の中で「これが最適だ!」

という道を選んだ確信があったとしても、



「こういう人生もあったかもしれない・・」

という「ありえたかもしれない人生」を

想像しては、ちょっと悔しくなる。

そんなときもあるかもしれない。



だから、どんな人生を歩んできたとしても

何かしら後悔してしまうのは

避け難いことなのかもしれない。



そう思うと、

ソーニャが言う

「ほっと息がつける」未来を信じて

現状を、現実をおとなしく受け入れる

ということが、中年期以降は

とても大事になってくるのではないかと

考えさせられました。



そういうソーニャ自身は

若い娘として描かれているのが

やるせない気持ちになりますが・・



この名文は

映画「ドライブ・マイ・カー」でも

使われていて、映画の

見どころのひとつでもあります。



試練にぐっと耐える時期

というのは皆平等に、とは言わなくても

誰にだってきっと起こるはず。



そういうときに、

身近にある不満を見つけては不幸だ!

と言う不満中毒になるのか

ほっと息がつける時を信じて

ぐっとこらえて生き抜くのか・・



不満中毒になると

余計にむなしくなるだけですよね・・



いまのわたしは

ほっとひと息つける未来を信じて

ぐっと耐えるべき時だと

強く思いました。



そんな試練の時だからこそ

深く刺さった名作古典でした。


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