意味があること=価値があること?
新しい毛布を買った。
とても気持ちがいい。
ふわふわで柔らかで温かい。
でも、シングルサイズなので、こどもと一緒には眠れない。
三男は私と一緒の毛布に入りたがるが、暑がりでもあるので、高確率で毛布をはがされる。
今年の冬はうまく眠れず体調を崩したので、大きな布団を探していた。
しかし、私が買ったのは、シングルサイズだ。
西川の毛布である。
ワゴンセールに半額で出されていた。
隣にダブルサイズのプライベートブランドの毛布が売られていたが、私は、西川のブランドに惹かれ、シングルサイズの毛布を選んだ。
とても気持ちがいい。
しかし、気持ちがいいのは私だけで、息子が入れば狭すぎる。
新品の毛布にくるまりながら、私は考えた。
「私ひとりが気持ちよくなることに何の意味があるんだろうか」と。
「意味がないことに価値はなく、価値がないことをするのは無駄なんじゃないだろうか」と。
うすら怖くなったのだ。
母として、意味があるのは、価値があるのは、例え品質が良くなくても、こどもと一緒に入れる大きな毛布を選ぶことではないだろうか。
意味があることと価値があることは別物
私の頭によぎった考えでは、意味があれば価値があり、それは実行するべきことになる。
意味が無ければ、価値がなく、それは実行すべきことではなくなる。
なにをもって意味をなすのかと考えたとき、私は、母として自分の行動をなぞらえたときに、母にふさわしい行動と他者に胸を誇れるかどうか、他者から承認されるかどうか、が最初に浮かんだ。
価値とは何かと考えたとき、自分以外の人も幸せになるかどうか、社会の幸せの総量が増えるかどうか、と浮かんだ。
つまり、他人からどう思われるか、他人にどれくらいプラスの影響を与えられるかで自分の行動指針を決めていたのだ。
意味があることと、価値があることは、必ず同じではないと思う。
むしろ、同じであることの方が少ないだろう。
私は今、髪の毛を青と緑に染めている。
染めたことに意味はない。私に似合うから染めたのだ。また、黒髪よりも管理が楽なのである。メイクを明るくしなくても、髪色で明るい印象になるからだ。
価値もない。私が髪の毛を染めても、私が鏡を見るたびにちょっとだけご機嫌になるだけで。
意味も価値もないことでも、実行できる。しかも、ノーリスクで。
でも、私の髪の毛は青と緑だ。意味も、価値もないが。
それは現実にある。
なぜなら、私の髪の毛を染める染料を開発した会社や技術者、営業マン、製造者がいて、
美容師がカラーを施し、
私に給料を払う会社・組織が存在し、
給料から料金を支払ったからだ。
意味も価値もないことは実行しない方がいいのであれば、なぜ実行できる要素がここまで揃うのか。
それは、意味や価値がなくても「そんなの関係なく、やりたかったらやってみればいいから」である。
意味があって価値があることを実行したくなるのは何故
こども時代の誤学習が原因である。
母親から褒められることをすれば、承認してもえて、
褒められないこどもであれば、承認してもらえない環境だったからである。
(思い返せば、いい子であっても、親の機嫌が悪かったり、精神的に余裕のない時は構ってもらえなかった。結局、私の行動なぞ、同級生と同じであれば問題ない程度の関心しかなかったということだ。私の親もまた、世間からの承認に縛られていた被害者の一人でもある。)
私が一人で西川の毛布にくるまって、
肌触りの良さをかみしめることは、過去の呪縛をとき、
過去を再解釈させるきっかけになるに違いない。
↑意味もなく価値もないけど、爆発的に面白かった(⌒∇⌒)