「何故」は新たな思考の始まり | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

「不思議」は完結した言葉であり、「何故」は始まりの言葉であり意志。

常に「何故」と言う道理を追う意志を持ち続ければ思考は進む。

 

不思議」を直訳すれば「思議すべからず」。

つまり「通念では理解出来ない」の意。

 

「不思議」と「何故」の思考は対極にある。

「不思議」は思考の停止であり退化。

「何故」は新たな思考の始まり。

 

迷路に入り結果も出せず、引き返さなければならない学問・常識はいくらでも存在する。

気付いても確信と具体的手法がなければ引き返せない。

 

何故という疑問により思考の基点が決まり、決まれば後はさほど難しくはない。

 

 

多くの人は風邪をひく

しかし人に近い猿と馬鹿は何故風邪をひかないのか

 

風邪ひかない猿と馬と鹿に対して

人は体に何をしたのか

衣服、洗剤、タワシ・・幾つかある

 

その中の余計なことを止めれば人も風邪ひかない

何が余計かは 仕組みがわからなければわからない

常識の言う仕組みが間違っていればさらにわからない

 

「何故」「思考の基点」の一例だな

 

皆目わからない病の原因についても

何故病は治せないのか

原因がわからないから病は治せない

学問が間違っていれば原因もわからない

 

何故猿はガンや糖尿病などにならないのか

人と猿の食べ物 何処が違うのか

耕起、肥料、農薬・・幾つもないな

無農薬野菜で病が避けられないなら残りが原因

 

食べ物以外の原因も考えられるが

そこで結果が出れば考えずに済み 思考の省エネ

研究室は必要ないな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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