安芸もみじ ─ Photographs, Historys, Railways,-JAPAN┃広島 -16ページ目

晩夏の猛暑に秋の便り

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猛暑の松茸


毎日が暑いのですけれど、気温は猛暑日クラスで持続していても。

太陽の光の射し方は、少し柔らかくなり始めました。

ホントね、マジでね、生きていることがツラいって思うほど、暑さに侵されて体調はグダグダだったのですけれど。

少し•••••••,そう、まだ″少し″だけなんですが、体調は楽に感じます。

松茸の食べ方その1

松茸の食べ方その2

夏の暑さもさることながら、昭和100年、被爆80年、そして私の活動25周年も相まって。

1日24時間しかないことに、やらなければならないことは山積みで、睡眠不足は雪だるま式の借金生活で。

日々、頭痛と吐き気の倦怠感に襲われ続け、水分摂るから尚更、胃が悪くなるから吐き気を増長。

口の中はもちろん、口内炎でした。

必殺,仕事がすんだら仕事だぜ,中村主水,藤田まこと

必殺,お盆も仕事だぜ,中村主水,藤田まこと

シベリア抑留の日の記事は、もう驚愕するほど誤字脱字の嵐が吹き荒れていて、直さないといけないのですが、手をつける気にならなくて。

25年前、自分にできることと言うことで始めたのですから、それを悔いたりすることはなく、反対に私のステータスにも育ちましたし。

でも今年は参ったわ(笑)── まだまだ暑い日は続くので、8月が終わって気が抜けないよう、注意しないと。

11月上旬まで暑いとの予想が出ていますが、秋の風物詩″松茸″も出てきました。

Cat, Ms.Chibi, Cats, Hiroshima, Japan

紅白トマト

国産ではなく輸入品ではありますが、気分的にも少し秋を感じて、癒されます。

そうそう2007年の5月と8月にUPした記事から、 古江駅のポスターをアップコンバートして転載してみました。

「仕事がすんだら仕事だぜ」「お盆も、仕事だぜ」と、藤田まことさんの中村主水が デザインされた、パチンコのポスターなんですが。

当時 ── 「仕事がすんだら松茸だぜ」に一瞬見えて、何のことやらと笑った思い出があります(笑)

チビたんも暑すぎてしばらく姿を見ませんでしたが••••••,あぁ、紅白トマトの白い方って食べられるんですかねぇ。

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みなもとくんの雑談日記 , Minamoto's chat diary

新幹線 LXXVII 500系-32 / V3編成の運用離脱

新幹線,500系,V3編成,岡山駅

久しぶりな新幹線の記事ですが、こちらも久しぶりとなる500系です。


500系新幹線 V3編成の、解体が始まるかも知れないそうです。


JR西日本は、飛来物検知機能の追加や、車両データ伝送機能の強化、バッテリーによる空調稼働機能の追加、個室の導入など新機能を搭載した、N700Sを新規投入します。


これにより、余剰となる「のぞみ」などで運用している16両編成のN700Aについて、10本を8両編成に改造する工事を実施中なんですが。


新幹線,500系,V3編成,岡山駅

新幹線,500系,V3編成,岡山駅

この8両化工事のN700Aは、一部にN700Sと同等に機能向上した車両で、地震時のブレーキ距離短縮や、大容量のデータ通信といった機能を有するようになります。


この高性能化短縮編成により、500系を順次置き換えていくこととなっているのですけれど、先陣を切ってV3編成が既に運用を外れていました。


500系は、1997年3月にデビューした車両で、「戦闘機」とも例えられる鋭いロングノーズの先頭形状が特徴となっています。


当初は16両編成で「のぞみ」を中心に運用に就いており、日本で初めて時速300キロでの営業運転を実現した車両でした。


新幹線,500系,V3編成,岡山駅

新幹線,500系,V3編成,岡山駅

700系そしてN700系シリーズと言う進化の下、現在は8両編成に短縮されて山陽新幹線の「こだま」中心の運用で、最後の務めを果たしています。


2025年現在、東海道・山陽新幹線 現役最古参の形式ですが、その美しいフォルムとかつての世界最速のギネス登録と言うブランドから、世界中で今も根強い人気を誇っています。


今年は山陽新幹線の全線開業50周年であり、その記念企画として「リバイバル500系 のぞみ」の運転も行われました。


これは昨年8月に「tabiwa by WESTER」にて、では、500系に関する企画のアンケートを実施した折、特に多かった回答が。


新幹線,500系,V3編成,岡山駅

新幹線,500系,V3編成,岡山駅

「500系のぞみの復活運行」だったため、引退を目前に控えたかつての世界最速車両に、花を持たせようと実施することになったもの。


運転日は今年3月10日で、新神戸駅を13時4分に出発し、博多駅に15時21分に到着するダイヤを組んで、停車駅は岡山・広島・小倉駅のみでした。


残念なことに新大阪発ではありませんでしたが、所要時間は2時間17分で1997年に500系がギネス世界記録に認定されたものと同じ時間とされました。


500系の完全引退はは、2027年度が予定されています。


新幹線,500系,V3編成,岡山駅

新幹線,500系,V3編成,岡山駅

そんな中で耳に目に入ってきたニュースが、500系V3編成の2号車が仮台車に載せた状況に•••••••,のニュース。


実は既にV5とV6の2本は2022年に用途廃車され、他の編成用のドナーカーとなり、500系引退のアナウンスが行われた時 には、6本が運用に就いていました。

ただ延命策として年々 充当列車の減少や運転区間の短縮が実施され、乗れるチャンスは激減しているのも現実だったのですが。


遂に任務終了の廃車が始まってしまいました。

1本、そしてまた1本と、順番に任務終了として、運用を外れていくのでしょう。

新幹線,500系,V3編成,岡山駅


新幹線,500系,V7編成

これで乗れるチャンスはますます減って行くのですけれど、少しずついなくなってしまうその終焉に、寂しさはひとしお大きく感じます。


V3編成は、実はひかくてきよく出会う、縁のある編成でした。


初めて乗った500系も、のぞみ運用の16両編成時代だったW3編成でしたし(笑)


今日の写真は、岡山駅で運用離脱直前のV3編成でした。


最後に鉄道ニュースへリンクカードを貼りました。


追記

500系 V3編成の解体工事風景をUPされていた方々の中から、こちらの投降へリンクを貼らせて頂きました。

ギネス登録もされた世界最速の新幹線は、その流麗なデザインから「日本製品は なぜかくにも美しいのか」と、欧米から賞賛されました。

一世風靡し世界から憧れられた500系新幹線。

その解体風景は、買い叩かれ移民が増えて、瓦解しつつある今の日本のイメージと重なって、心に突き刺さる虚無感と涙に包まれます。

500系の最期まであと5編成。

惜別 感謝 追悼 合掌

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新幹線 , Shinkansen , Railways , Japan

シベリア抑留の日 / 今年は中国が舞台で

August 23rd is the anniversary of the Siberian internment
被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ
1925☆☆☆昭和100年記念☆☆☆2025
1945☆☆☆戦後80周年記念☆☆☆2025

  シベリア抑留の日とは


1945(昭和20)年8月23日、スターリンが日本軍捕虜をソ連領内へ移送し、強制労働に従事させる命令を出した日です。

80年前の今日はシベリア抑留が始まった日として、毎年開催される追悼式典などが、今年も開かれてます。

昭和99年となる昨年、詳細な記事を終戦記念日と2回に渡って連載としましたが、ソ連の満洲国への軍事侵攻にて全ては始まりました。

終戦後にも多数の日本軍兵士や民間人がソ連軍によりシベリアへ移送され、連邦全土で極めて過酷な環境下において、強制労働に従事させられ多くの死亡者を出しました。

現在は千鳥ヶ淵戦没者墓苑などで、元 抑留者や遺族が追悼式典を開き、犠牲者の名前を読み上げるなど慰霊祭が行われています。

それと同時に国への訴えとして、元 抑留者や遺族は、いまだに帰還していない遺骨の収集や、歴史の全容解明、そして次の世代への歴史伝承などを働きかけています。


  8月15日で終わらなかった戦争


1945(昭和20)年8月6日、人類史上初の核攻撃が実戦使用され、3日後の8月9日には広島の市内電車が、一部区間で運転再開を始めました。

しかし同日、広島に続き2発目となる原子爆弾が長崎へ投下され、多くの犠牲者が出たところへ、ソ連には焦りがありました。

原爆の使用は連合軍には通知せずアメリカ単独で行っており、ドイツ戦の後始末が一段落してから、ソ連は対日本へ参戦する算段としていたのですが、8月6日に全ての予定が覆りました。

そこでスターリンはシベリア駐留部隊を、2発目の原爆を使用した8月9日に満洲国へ侵攻させ、その混乱の内にドイツから満洲へ部隊を移送することにしました。

原爆使用による日本の早期降伏を危惧し、素早い作戦変更と実施で、次々と満洲国内へ援軍はなだれ込み、また、樺太から北海道への上陸部隊も編成しました。

8月9日のソ連軍宣戦布告より電撃的攻撃を開始し、日本軍の支配地域 満州国、朝鮮半年北部、樺太南部、千島列島をまたたく間に占領。


日本降伏までの数日間で、日本領を占領すればそれは既成事実として、実効支配したエリア分はソ連領土となります。

1945(昭和20)8月14日、日本政府はポツダム宣言受諾を連合国に通告し、翌15日昼、昭和天皇はラジオ放送で戦争終結を国民に伝えました。

8月15日は終戦記念日(または終戦の日)と呼ばれますが、結ばれたのはあくまで休戦であって、戦闘の完全停止は2週間程度かかる見込みでした。

北海道では8月15日からのソ連軍侵攻による防衛戦が始まり、死闘を繰り広げました。

休戦はあくまでも停戦合意に基づく、相互の戦闘休止であって、どちらかが攻撃すれば休戦は破られているので、応戦は可能になります。

連合軍としてアメリカ軍もソ連軍へ攻撃中止を求めますが、スターリンによる絶対命令なので応じることができず、北海道防衛の日ソ戦が継続することになるのですが。

日本軍の強さは圧倒的で、ソ連軍の北海道上陸を阻止し、撃退したことは昨年の記事で記した通りです。

日ソ戦は意外と早く決着は着いたのですが、南方の前線では日米線がまだ継続しており、日米双方へ多数の戦死者を出しましたが、8月末日までには停戦が完了しました。

9月2日、戦艦ミズーリ号最上甲板にて、降伏文書の調印式が執り行われ、日本は降伏し表向きには戦争は終結しました。

そして1952年まで、日本はアメリカ軍とその連合国軍による占領下に置かれ、連合国最高司令官総司令部(GHQ)が、日本政府を通じて支配する間接統治でした。

しかし満州国に置き去りにされた女性や子ども、樺太の人たちや、強制労働のためにシベリアに移送された人、そして沖縄・小笠原諸島の人びとにとって、戦争は終わりにはなりませんでした。


  シベリア移送とは別の大虐殺


まだ日米双方が停戦を迎え切れていなかった8月23日、スターリンの命令により戦争で荒廃したソ連復興に必要な、労働力として60万とも70万ともいわれる軍人や一般の日本人が、満洲からソ連に連行されました。

零下40℃を超える酷寒のシベリアをはじめとし、モンゴルや中央アジアなどソ連全域の収容所に送られ、ロシアとその連邦国の復興作業に従事させられます。

しかしソ連国内へ連行されずに満洲国内にて、虐殺された日本軍兵士が多数存在します。

当時の中国は政府軍と反乱軍の争いが激化しており、共産思想を基に社会主義国の連邦を築いていたソ連は、反乱軍の支援をしていました。

満洲国へ侵攻したソ連軍は、日本軍兵士を武装解除させた後、反乱軍へ引き渡そうとしますが、日本人兵士はソ連軍に負けたのであって、テロリストに下ったのでは無いと投降を拒否。

武装解除をして丸腰の数千人が、反乱軍 = 共産党軍によって虐殺されます。

こうして手に入れた武器・弾薬はそのまま共産党軍の装備拡充へとつながり、やがて政府軍 = 民国軍を圧倒し始めます。

ソ連国境に近い満洲国北部から、避難して来た日本人は通化市へと集まり始めますが、当初は日本軍と共闘していた民国軍も、ソ連軍の南下に伴って弱体化します。

通化市内では女子中高生から30代頃の女性までが、昼間の道端でレイプされる事件が多発し、治安の悪化が著しく進行していました。

ポツダム宣言により満洲国内や朝鮮半島の日本人は、順次日本への帰国が実施されていましたが、あの巨大な一国分の人間を本土へ送り帰すには、膨大な時間を要していました。

年が明けて翌1946(昭和21)年の1月、この頃になると日本兵や民間人の中に、共産党軍へ寝返ったスパイが暗躍し、監視体制が強化されていました。

ある日、共産軍日本人工作員が何者かに殺害され、犯人の特定ができなかったために1月10日、共産党は日本人民 解放連盟 通化支部幹部、満洲国高級官僚、日本人居留民会指導者ら140名を連行。

 

その内、菅原 通化省次長、河内 通化県副県長、川瀬 警務庁長、林 通化市副市長の4名は、渾江の河原で公開処刑されます。


処刑が執行された後の遺体は、息を引き取っているにもかかわらず、何度も銃で撃たれた上、銃剣で何度も突き刺されたため、穴だらけの体となっていました。

 

日本本土への帰国がいつ実現するのか先が見えない中で、人権を無視した非人道的な圧政の下、遂に日本人は耐えられなくなります。


2月3日、重慶市を拠点とする民国軍と、残像していた航空隊と戦車隊の支援を充てにして、総勢約1千人が元 日本人将校の指揮の下で蜂起。


一連の流れで満洲国皇帝 愛新覚羅 溥儀の皇后と、皇弟 溥傑の皇后が巻き込まれますが、日本人密偵の情報で事前に察知していた共産党軍は、日本人将校らのみを射殺して事態を収拾。

事件は未明から勃発したのですが、昼前となって16歳から歳までの日本人男性が共産党宿舎前に集められ、事件に関与したかどうかは関係なく、連帯責任として数百人が処刑されました。

そして午後、日本人男性は全員が拘束され、一部には事件に関与したと思われる女性も含め、その人数は3千人以上とされています。

氷点下20℃の下、部屋着に防寒着はなく素足に下駄という姿で、1人1人の首を針金で結んで行進による連行です。

やがて長屋式の建物へ着くと、8畳程度の部屋に120人ずつ詰め込まれ、身動きが取れない中で酸欠状態に陥ります。

極度のストレスと酸欠状態な環境下で、トイレへ行くことはもちろん不可能で、拘留中はずっと垂れ流しだったよう。

この拷問は5日間 = 120時間継続され、途中で精神に異常を期した人間は、窓から見張り役の朝鮮人民義勇兵によって銃で撃たれました。


もちろん本人に当たる確率は低く、手前にいる人間が順番に死んで行くのですが、8畳の部屋へ120人も入っているのですから、拘留が終わるまで一緒に立っていることになります。


朝鮮人は日本へ併合された後、身分が低い者や被差別民は解放されたものの、貴族や身分の高い者は迫害され差別されたと感じていました。


これは日本と社会制度の違いで、支配者層は働かないことがステータスであり、労働者階級は奉仕することが義務とされいました。


Houten Shrine,Manchuria


  あの民族たちの本性


日本へ併合されたことにより、四民平等によって解放された朝鮮人は多かったものの、働かなければならなくなった支配者層は、迫害そして差別を受けていると感じていた訳です。


支配者層でも王族や高級貴族は、その身分が明治憲法下で保障されましたが、そうではない支配者層が戦後に発言権を持つことになります。


さて、拷問期間が終了して部屋から引き出されると、朝鮮人民義勇兵たちから日韓併合36年間の恨みだと、多くの日本人が撲殺されました。


人数が多いので殴る方も疲れるようで、撲殺を免れた人も多くが手足を折られるなどしています。


その後には共産党軍による拷問と尋問が待っており、5日間の過労により態度が悪く見えたりすると、こん棒で力いっぱい殴られます。


意識を失ったり痛みで動けなくなると、氷点下20℃の屋外へ投げ捨てられ、数分で凍死そして冷凍化してしまいます。


野生の動物がいる季節ではなく、また腐敗もする季節でもないため、凍ったまま遺体は外へ放置され、ある程度貯まったら材木要のトラックの荷台へ積み込み、谷間へ捨てに行っていたそうです。


これが毎日行われ、それでも生き残った人は、凍結した渾江の川岸に1人ずつ整列させられて、順番に銃殺されていきました。


南満洲鉄道 = 満鉄 最後の総裁だった大村卓一氏が3月5日に獄中死を迎え、3月10日には通化市内の百貨店で、2.3事件の展示会が行われました。


日本人からの強奪した戦利品と一緒に、通化 国民党部 書記長の孫耕暁氏が、元 関東軍大佐 藤田実彦氏と共に、見せしめとして3日間立ったままの状態でさらし者にされたと記録にあります。


孫氏は、中華民国政府の通化市での責任者(市長相当)だったので、共産党軍からさらし者にされた後に処刑されています。


藤田大佐は、2.3事件の首謀者とみなされていたため、展示品としてさらし者にされましたが処刑は行われず、死去した後に市内の広場で3週間さらされました。 


1949年、テロ組織だった共産党軍は政府軍を打倒し、革命を成功させたので10月1日、北京の天安門広場に面した壇上に、毛沢東氏が昇って中華人民共和国の建国を宣言しました。


日本が戦後復興そして高度成長期を迎える時代、鉄のカーテンと呼ばれて伺い知れなかった中国国内では、残留日本人に対してこのような残虐な行為が、繰り返されていました。

中国建国76年。

お国柄など、100年そこらで劇的に変わるものではありません。

ましてや人間に対しての価値観は古代の秦の時代と変わらず、今もって人権と言う価値観が無い国です。

そんな国が今でも、小学生から高校生に至るまで学校で、中国では苛烈な憎悪を煽っています。


小さい頃から洗脳のような教育をして、自分たちのことは棚に上げて秘匿して、そういう国でそうやって育ってきた人に。


日本人になってもらうなんてとんでもない話しです。


特に天安門事件以降、中国共産党が自分たちの存在の正統性を確保するために、日本軍があり得ないような酷いことをしたんだと、自国の子どもたちに教えて。


だからあそこのあの国に 報復するしかないんだという、それこそあり得ないとんでもない教育を行ってきて。


現実は戦時中は上記の通りテロ組織で、戦後になって建国した国であるにもかかわらず、存在の正統性が虚空なため、1つの中国を合言葉に。


当時の中華民国の政府であり戦勝国である台湾を、九州合併することによって連合国メンバーである事実を、手中に治めたい。


実際に日本人へは拷問や虐殺はしたものの、日本国とは戦争をしていないので、尖閣諸島を手に入れることで 日本国に勝ったと自己満足したい。


領土を奪えばその後の国際社会で面倒くさいので、尖閣諸島を中国の固有の領土だと言うことにして、それを取り返したと言うシナリオで押し通したい。


その結果、中国はアメリカやロシアに替わって、世界の盟主の国に名実共に君臨できると考えている訳で。


Senkaku Tonoshiro Ishigaki City Okinawa Prefecture,Inherited Japanese territory since ancient times,Senkaku Islands,Japan

  中国共産党が欲しているモノ


それ故に実際、中国の子どもたちが旧日本兵の格好をした人形に対して、槍を突き刺して行くような遊びを推奨したり。


あるいはある高校で安倍元総理の暗殺事件を模して、文化祭と思われる場所で、その場面を再現して。


そういう所で育った、そういう国でアイデンティティーを育み、メンタルを養ってきた人を帰化させるとは。


そういう人に 日本人になってもらうなど、日本を破滅へと導くと言う、ほんととんでもない間違いではないでしょうか。


今年の終戦記念日の記事で「国会議員の中で国賊でない者がだけが、この石破にまず石を投げなさい」と、イエス キリストのことばを流用しましたけど。


本来なら誰もが躊躇するはずですが、それを表に出さないでいきなり投げそうなのが、小泉進次郎氏あたりでしょうか。


彼は中国でなくアメリカ忖度信者ですからね。


もう日本は買い叩かれる国とか 価格の安さで勝負する国から脱却しましょう。


人口減少だから留学生でも誰でも良いというのは、日本を豊かにしないという哲学を明確に打ち出して欲しい••••••,とは、私もホントにそう感じます。


中国側から賄賂を渡したと明言されている岩屋外相は、日本国の信頼と言う意味で大臣を続けていていいのか?


しかも衆議院議員の河野太郎氏と同様に、不自然な中国贔屓を強行していますし。


妄想と現実の境界が曖昧な杉並区議会議員の洞口朋子氏みたいな人が、なぜ当選するのだろうと考えると、そういう人がいた方が得をする人種がいると言う現実があり。


維新の会の橋下徹氏のように、話し上手で好印象でことば巧みな人が、明らかにおかしいことをサラっと言ってのけるのは、何らかの利益享受があったのではないかと疑念を抱くしかないし。


とにかく、選挙で投票する人も、日本の未来、自分の将来、子どもたちの笑顔のために、ちゃんと考えて投票して欲しいところなんですが。

やはり選挙へ投票に行かない人が1番、罪が重いと思います。

1票で政治は変わらないと言う人もいますけど、選挙は1票で落選する人がいる以上、自分の未来をそこへ投函する重みと希望が、必ずあるんだと言えます。

中国人が車で事故を起こして、被害者が死亡しても罪に問われなかった事案が、あったことは皆さん知っているでしょう。

政治家や大臣が中国に媚を売り、省庁の官僚たちが中国に忖度している以上、法務省は信用できない可能性が出てきた訳で。

そうすると三権分立の警察・検察も裁判所も、どこまで信用があるのか疑わしい時代が訪れよとしています。

日本の法治国家の崩壊。

そんな時代が本当にやって来ることの無いよう、みんなでしっかりと目を光らせて国民統制を、していかなければなりません。

日本政府は訪日中国人向けビザを緩和しましたが、岩屋毅外務大臣は、「人的・文化交流は日中両国の協力と連携を具体化する重要な要素」と主張しています。

これは日本人の短期訪中ビザが免除となったことに対応してのもので、具体的には富裕層へのビザを、現在の5年から10年に延長するもの。

そして、団体観光客の滞在日数も現在の15日から30日に延長し、他に65歳以上の人には在職証明書の提出を不要にするなどの項目がある。

日本の外務省は準備ができた項目から順次実施していくとしていますが、日本では近年、靖国神社の石柱に中国人が「トイレ」と落書きした事件や。

中国人インフルエンサーが日本の市町村の議会に無断侵入したり、小学生の登下校の様子を写真や動画に撮ってSNSに投稿したりする事件が相次いでいて。

中国人の来日のハードルを下げることに対して、生活の安全性の喪失などの不安が拭えていません。


  北海道の水源地問題


と、日本国の舵取りと運営をしている政府と省庁が、インバウンドの励行や少子化対策の移民において、ちゃんと法整備をしないのも大きな問題です。

価値観が違えば道徳観や、それから端を発するマナーやお行儀と言ったものも、根底から日本人とは違うことを、お偉いさん方は忘れているのではないのでしょうか。

中国には中国の価値観があり、日本には日本の価値観があり、それぞれ違うルールやマナーは多いはず。

「中国人襲撃が日本各地で…」中国大使館が同胞に警戒喚起 富士登山や交通ルールの順守。

郷には入れば郷に従えと言うことばがありますが、日本へ来ても日本のルールとマナーが分からない人も多いのですが。

中国人のように、根底から別の生物だと言っても過言ではない文化の人たちとは、まさに他の惑星から来た異星人。

いろいろ歴史的にも、国際社会においても、立場や国策はちがいますが、敵対していても個人としてはやはり、配慮は必要なのではないのかと思います。

私も昭和100年そして戦後80年と言うことで、例年より少しキツい記事を記しているので、あまり擁護することばも真実味が薄いのですが。

付き合う相手のことを、ちゃんと知らないと大きなトラブルになることは、普段の人付き合いから分かると思いますが。

人種や民族と言った単位でも同じことで、中華人民共和国そして共産党とは、そういう国よと言う知識は大切です。

だから法整備が重要であり、ルールやマナーと言った道徳観の共有も大切になってくるのですが。

襲撃するような、感情的そして衝動的な行動は慎まないと、自分自身の人間としての価値を下げるだけですよ。

価値の低い人間が増えれば、その国はもう魅力的な場所ではなくなり、良い国そして豊かな国ではありません。

そういう意味においては、夫婦別姓や昭和100年移民問題は、重大な懸案事項ではあるのですが、こちらも何がどうなっているのか、全く意味不明な事件と言わざるを得ません。

「町民の水を守れ」北海道ニセコ町の水源ピンチ、公有地返還訴訟で自治体が異例の署名集め2025/8/21 14:33白岩 賢太ライフくらし記事を保存所有権を巡り係争中の水源地•••••••,だ、そうで。

原文そのまま引用と言うか転載なのですけれど。

「世界的なスキーリゾートで知られる北海道ニセコ町が、札幌高裁で係争中の公有地返還訴訟を巡り、この土地が「重要な水源地にあたる」と訴えて署名活動を始めた。

自治体が嘆願署名を呼び掛けるのは異例だが、高裁判決では1審に続き、再び敗訴する恐れもあり、町は「民意を示すことで、適切な判断を裁判所に求めたい」と説明している。

同町によると、係争中の土地は羊蹄山(標高1898㍍)の麓に位置し、町内人口の約8割、4千人の給水をカバーする水源地にある。

町内で最も給水人口が多い市街地を支える重要な土地でもあり、町は平成23年5月に地下水の保全を目的とした道内初の水道水源保護条例を施行した。

所有者とも協議を重ねたうえで、同25年に札幌ドーム3個分にあたる約16万3千平方㍍の土地を取得した。

ところが、元所有者である山梨県の企業から「過去に無断で売買された土地」であることを理由に所有権の返還を求められ、昨年9月の1審・札幌地裁判決では町側が敗訴した。

町側が控訴し、現在は2審の札幌高裁で係争中だ。

関係者によると、今年9月には元所有者との協議の場が設けられるが、不調に終われば、その後、高裁判断に委ねられる可能性もあるという。

町は土地購入後、開発されることのないよう水源保護地域としてこれまで守ってきたと主張する。

最初に土地が無断で売買されたとされる時期から17年が経過しており、「町として一切、落ち度のない、正規な法に則って取得した土地。

公共の福祉のため、町民の生命と暮らしを何より守りたい」(担当者)という。近年、羊蹄山の麓では無断で違法開発される事案が頻発する。

町の担当者は21日、産経新聞の取材に「今回の係争案件で、町は(過去に無断で売買された土地だったことを知らない)善意の第三者という立場だ。

ただ、同様の事例は今後、全国どこでも起こり得ると考える。

署名活動を通じ、こうした問題を広く知ってもらうきっかけになれば」と語った。町は今月25日までオンラインでも署名を受け付ける。

早ければ月末にも裁判所に提出する予定だ。(白岩賢太)」

企業は日本の会社なのか中国系資本なのかは分かりませんが、なぜ、このようなことが起こるのか。

誰が偽装して土地の転売が成立したのか。

北海道の地方裁判所は、なぜニセコ町を敗訴にしたのかなど、全く見えてきませんし、所有者はどうやってこの土地を手に入れたのかも不明。

そして元所有者とされる山梨県の会社とは、どのような話し合いの結果、告訴することになったのか。

住民の生活も守らねばなりませんが、個人の資産も守らなければいけません。

これだけの情報では、署名活動に賛同することは難しいですよねぇ。

ただ、全国で起こり得る事態と言うのは共感できるので、日本は今までこう言った問題が起こることを前提にしていませんでしたから。

法律の整備が遅れる過ぎていることも確かです。

グローバル化と言って日本を切り売りし始めて、もう30年以上経つのですから、こういった事態も想定済みでなければ、本来はいけないはずです。

これも自民党一党独裁が長すぎる弊害であることは、間違いありません。




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広電 広島駅開業 プレイベント 2

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今年の3月24日に広島駅ビル = ミナモアが開業し、8月3日には広電の広島駅ホームが開業しました。


プレイベントでの被爆電車 651号の展示は既にUPしているのですが、そこから毎年恒例の平和記事が続くこととなったので。


明日はまだシベリア抑留の日が控えてはいるのですけれど、まぁブログの通常運転へ向けて何から始めるかと。


まずは雑談日記を月曜日にUPしましたが、やはりここを最初に終わらせておかないと、先に進めない気がします。





広島駅前の地上ホームの最終日も既にUPしているので、やはりプレイベントの残りの写真を、全てUPするところから通常運転再開です。

イベントはNHK広島放送局が主催で、被爆80年プロジェクト特別企画「わたしが、つなぐ、ピースステーション」として開催。

埼玉から特別出演の″鉄どーもくん″がゲストなんですけれど、MCの末井櫻子さんがしっかりと!

カメラ目線を頂いてしまって、大変恐縮しつつもとてもありがたく感じています。



以前UP済みの″プレイベント / 651号の展示″でも、1枚だけですが冒頭の写真で貼らせて頂いています。


そして青く光る丸いモノ•••••••,お前は何だ? と言うことで、5109 被爆80周年プロジェクト電車をバックに、撮ってみました。


この球体の顔ね人の位置を感知して、360度ぐるんぐるんと回って、追いかけて来るんですよ。


しかもいろんな表情するし。





さて、先ほどサラっと流しましたが、この電車はGREENMOVER MAX 5100形を、被爆80周年のラッピングで包んだ5109号です。

広島県そして広島市など80年の特設サイトを立てていますが、NHKも特別プロジェクトを立ち上げています。

広島電鉄とコラボすると同時に、新しい世代が自分にできることとして、被爆体験をつなぎ そして伝える•••••••。

核兵器の無惨さは、他のどの国や人たちが訴えても、そこに説得力は今1つ欠ける中で、日本だけがそれを示し続けることができる国です。



広島,タレント,吉田櫻子

示し、伝え、そして未来へつなぐ。

今は聞かなくなりましたが、昔は「3発目の原爆は東京へ落とされれば好かったのに」と、被爆者への風当たりの強さから、そう囁く人も確かにいました。

日本が8月14日にポツダム宣言受諾を連合軍へ伝えたことにより、3発目の原爆は使われずに終戦を迎えました。

でも歴史にIFがあるとして、もし東京へ落とされていたら、日本はもっと核廃絶に真剣であったことでしょう。



そして被爆者の救済法や黒い雨の認定も、とっくの昔に完了して支援法も救済措置も、おざなりになっていなかったと思われます。

そして何より、占領軍が残留放射線に被爆して、アメリカでの核廃絶運動が起きていたカモ知れません。

そんな空想にも思考が回ってしまう被爆80周年の今年ですが、人類史上初の核兵器による被爆者の支援が、アメリカで始まったのは新しい変革です。

マンハッタン計画におけるトリニティ実験の被爆者については、今年の8月6日の記事で触れましたが、また来年もう少し詳細に述べられるように、ちょっと勉強してみたいと考えています。

最後にNHKの特設サイトへリンクを貼りましたが、末井櫻子さんのインスタグラムも貼ってみました。
 



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久々の雑談日記だったりします

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あなご重


 あなごです。

以前の日記でウナギを冒頭へ持って来たので、今回はアナゴにしてみました。

昔は「暑さ寒さも彼岸まで」と言っていましたが、まぁ南北に長い日本列島なので地域によって違うのでしょうけど•••••••。

広島の夏の暑さは11月上旬まで続く年が、比較的多くなりました ── ので、健康促進食品です(笑)

あなご重

うな重

うな重

でもやっぱりウナギもだよねぇと、ちゃんとうな重の写真も、新たに撮っています。

ウナギもね、高コルステロールならしいので、食べ過ぎには注意が必要なのですが、まぁコレステロールに負けないぐらいねぇ~。

お値段も高いので、食べ過ぎは残念ながらなれないんですよね(爆)

と言うことで、平和記念日も終戦記念日も終わって、通常運転のブログへ戻りますよ~。

雨の風景,西広島,己斐01

雨風景,西広島,己斐02

雨の風景,西広島,己斐03

今年は80周年だったこともあって、文章が長めとなっていましたが、6万文字しか入力できないアメブロアプリで。

広島平和記念日は5万6,427文字、長崎平和記念日は5万9,201文字、終戦記念日では5万9,969文字も、打ち込んでいたりします。

もちろん画像や見出し用アイコンも文字数に含まれますし、リンクを貼ると尚更 文字数爆上昇なんですけれど。

終戦記念日は実は軽~く6万文字を超えていて、表現を変えたり文面を削除したりして、ギリギリ6万文字以内へ納めたんですよ。

雨の風景,西広島,己斐04

雨の風景,西広島,己斐05

なので文面の流れとか文章のリズムとか、私の文章らしくない記事となりましたが、まぁこれはこれでね(笑)

さて写真は雨に変わっていますが、ホントねぇ、線状降水帯の長期停滞で毎日が豪雨でしたよね。

お隣の山口県は広島以上の降雨量でしたが、更に九州まで目を向けると、もうとんでもないレベルとなっていたようで。

被害に遭った方々もおられたようですが、皆さま無事で、再び訪れた夏をお過ごしされていますでしょうか。

雨の風景,西広島,己斐06

雨の風景,西広島,己斐07

日中の気温は相変わらずですが、朝夕は多少気温が下がるようで、太陽の高度も下がったためか、この雨が上がってから水が少し冷たくなりました。

まだまだ健康には油断大敵な季節ですが、こうしたささやかな変異が、季節が移り変わっているんだなぁと、染み入り感じる今日この頃です。

そうそう、7月30日の11時半ごろにね、我が家へ山村貞子がさ、現れたんかと思ったんよ!

だいぶん前の記事でテレビが壊れたと言うネタで書いたことがあるのですが、これね、スイッチ入れても液晶パネルが壊れているので、点かないんですよ。

Cat, Ms.Chibi, Cats, Hiroshima, Japan

雨上がりの空,01

雨上がりの空,02

私がお休みでうたた寝していたら突然、スイッチが入ってザザーって砂嵐画面になって、音もザーザー言ってるし。

寝ぼけていたのですが。地デジで砂嵐?とだんだん脳が覚醒してきて、何だこの怪奇現象は?としばらく見ていたら、音はフェードアウトして無音になって。

しばらくすると砂嵐画面もプチッと切れてさ。

スマホには警報やら何やらガンガンに送信されて来て、どうやらカムチャッカ半島でマグニチュード8.8の地震があったみたいで。

厳島神社とイルカ

夏の海

銀河と海

地震速報と津波の警報がおびただしく届いていたのですけれど、テレビはコンセントへはつないだまま放置していたので、緊急警報放送に反応したようです。

緊急警報放送は、緊急警報信号を使用して、待機状態にあるテレビ・ラジオ受信機のスイッチを自動的にオンにして行われる放送ですが。


砂嵐画面だったとは言え、壊れて点かないテレビも、ムリヤリパネルに通電して放送させる、そんな力があるとは知りませんでした。

いゃぁ、津波警報以上に驚きでした(爆)


あやとオーズのカフェ・コレクトスイーツ。

広島駅新幹線口から徒歩7~8分です。

ゴンに会いに是非、行ってあげてくださな。


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みなもとくんの雑談日記 , Minamoto's chat diary

終戦記念日2025 / 昭和100年の追悼

被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ
1925☆☆☆昭和100年記念☆☆☆2025
1945☆☆☆戦後80周年記念☆☆☆2025

  子どもたちの笑顔のために


さてクイズですが(笑)

3人で100円ずつ出し合って 250円の物を買ったので、50円のお釣りをもらいました。

3人で10円づつ分けて、余りの20円は募金箱へ入れました。

 1人100円ずつ出して 10円ずつ戻ってきたのですから、1人あたりの出費は90円です。

支払った合計金額は、90円 ✕3人で270円と募金した20円を足したら•••••••290円になります。

差額10円は どこへ消えたのでしょうか?

とまぁ、錯覚と混乱を利用した問題なのですが、インスタで見てコメント欄へ解答が多数寄せられていて。

思わず吹き出して笑ってしまった答えが「石破(総理)が悪いから」と言うものだったのですけど、他にも「石破(総理)がダメだから」「石破(総理)がクズだから」などが。

まぁ今の政府 = 与党 自民党を見ていると、そう答えたくなる気持ちもわかりますが。

立憲民主党の野田佳彦代表は、8月4日の衆院予算委員会での質疑応答にて、石破総理へ問いただしました。

選挙において2度も大敗するも、総理が続投する意思があるとするならば、まだやり残したことがあるから、どうしてもやらせて欲しいということがあるかどうか•••••••,と。

野田代表も民主党政権時代に総理大臣を経験されていて、現在の党内におけるパワーバランスから、自分の思うことが何もできない、言えないと言う状況を、察してのことばだったのだと思われます。

石破茂氏と言えば、2007~2008年の防衛大臣時代に、自衛隊員から「もし戦争となって戦死したら、日本への連れて帰ってくれるのは石破大臣だけ」と、信頼の厚い人でした。

まぁ全ての自衛官がそう思っていたかどうかは分かりませんが、陸海空で私の知り合いはそのような認識でした。

当時「へぇ~、そーなんだぁ」と思ったことを記憶しています。

石破総理のことを、本来のあの人らしさを発揮させたら、史上最大の国賊と化すとも言われていますが、日本国と日本人の未来よりも自分の利益のみに固執する世界で。

イエス キリストのことばを引用するならば。

「国会議員の中で国賊でない者がだけが、この石破にまず石を投げなさい」

と、国会議員や省庁官僚の雇用主である国民は、声を大にして言っても良いのではないでしょうか。


私は名言の多いイエスさまのことばを、時々ですが引用するものの、キリスト教徒ではないので、史実へと話を振りますけど。

このことばは当時、ローマ帝国の支配下に置かれたエルサレムで、占領行政府の総督府と旧態依然のユダヤ教会へ、批判的な感情を持っていた頃に口にしたセリフです。

マグタラのマリアが何らかのイジメを受けていた時に、それを助けたイエスが加害者たちにそう言ったのですけれど。

マグタラのマリアはこの後にイエスの妻となりますが、聖書の中では妻マリアは売春婦として描かれ、その後もずっと卑しい存在として記されます。

そのように事実を捻じ曲げられて記録されたのには、いろいろな事情があるのですが、今でもカトリックでは聖職者は未婚であることを見れば、おのずと推測はできます。

キリスト教が教団として成立する前に、母マリアではなく妻マリアへ信望が集まったため、嫉妬した一番弟子の聖ペテロ(シモン・ペトロ)が画策したと伝わります。

また反対に、聖ペテロはローマ国内で布教活動を継続し、後に逮捕されて殉教者となりますが、妻マリアにそう言う目に遭わせないために、話を捏造したとも一説にあります。

彼はイエスに最も信頼され、十二使徒の中でも筆頭格でありながら、イエス処刑後に裏切りの筆頭としても描かれています。

後の世の者が、史実をどのように捉えて、どのように記録へ残したのか、それによって事情はどうであったのかが、推測されるのですが。

聖書は当時のできごとを残しているものの、結局、ローマ帝国が国教として成立させるために認書められた書であるので、その価値観が隅々に反映させられている物語です。

政治でも組織の執行部であっても、常に政権争いはあって、それは古代でも現代でも変わらず、その記録は勝者によって残されます。

私のアメーバプロフィールにも記している「過去や現在進行形の歴史を見る時、または主張や演説そしてSNSなどを見聞きする折、1つの意見に傾倒することは危険です」

「私人、政治家、専門家などの個人発信でも、報道機関や専門書であっても、誰かのことばは必ずその人の「考え方」や「立場」に基づいて反映されている、そのことを絶対に忘れてはいけません」は。

そう、これは教科書においても同じです。

今必要なのは、石破総理の力量や立場なのではなく、自民党に対峙できる政党を国民が育てることと。

自民党内に巣くう、アメリカ忖度教徒と共産主義者の、駆逐こそが日本の正常な未来を築く唯一の道です。

現実問題として、自由民主党には健全に戻って頂かないと、日本国も日本人も困るんですよ。

80周年を迎えた終戦記念日だからこそ、日本の未来、自分自身の将来、子どもたちの笑顔のため、これは推していかなければなりませんと、強く訴えます。

AI photograph,A day that Japan must never forget, Okinawa, Hiroshima, Nagasaki, life is precious, so that the spirit of Japan can be conveyed to the world

  新たなる戦 ── 中国との関係


一般に中国と呼ばれる国は、英語では China と呼ばれ、発音はチャイナですがそもそもの発音は「シナ」と読みます。

シナ•••••••,それは日本では″支那″と書かれますが、これは始皇帝が君臨した″秦″の国名が未だに生きている証しの呼び名です。

秦は発音が清に近いこともあって、中国人的には支那は差別的に聞こえるらしく、中国と呼んで欲しいとの希望が中華民国から届き。

日本の外務省は正式に中華民国の略称を中国と、1930年に定めました。

これに素直に応じたのは、元々「中国」という呼称自体が、はるか昔からあったためで、本来は略称であっても呼称を変えるのは長い手続きが必要となります。

しかしこの略称は国際関係における中国への忖度が強く、現在のように中国大陸の国家に対し「中国」と公式に呼ぶようになったのは戦後となってからです。

実際に紛争の名称においても、日支事変、日華事変、日中戦争など呼称もさまざまです。

そもそも日本が戦争したのは清国との日清戦争と、日中戦争の相手は中華民国 = 台湾であって、現在の中国 = 中華人民共和国とは戦争をしていません。

日中戦争~第二次世界の頃の共産党は反政府派のテロ組織であって、戦後に革命が成功して中華人民共和国を樹立させています。

この辺りのことは昨年の 終戦記念日2024 と シベリア抑留の日 へ、連載でUPしています。

 誤解をし錯覚しやすい原因は中華民国も中華人民共和国も中国と呼んでいることからですが、現在は中華民国のことを中国と呼ばないところに、歴史の認識を歪めている根本があります。

中華民国を日本やその他の国は承認していないので、国際法上は国ではないものの、中華民国は今も存在して便宜上 台湾 と呼ばれています。


すなわち中国が中華民国ではなく中華人民共和国を指すのであれぼ、日本と中国は戦争をしておらず、戦勝国と敗戦国の関係は無いので、賠償問題や過去の侵略といったことも、言われる筋合いはありません。

これまで幾度となく公式声明を出し、つい去日にも日本を指して「軍国主義へ戻ることを許さない」と宣っていましたが。

軍国主義とは軍事力を背景に外交を行う、恐喝国際政治であり、それを言うなら中国こそが世界一の軍国主義国家です。

これは世界では普通の認識なのですが、日本国内ではなぜかそう言う扱いをせず、今の岩屋外相も忖度外交にご熱心な様子です。

何かにつけて中国に「日本が右傾化していると言われたら困る」との発言で、日本国民を守る法案は提出前に潰すことをしたり、諸外国人の中で中国人を優遇する制度を、堅持する姿勢を崩しません。

が、これは岩屋外相の考えによるものではなく、外務省や法務省などが組んでそのように日本を導こうとしているもの。

 財務省と合わさって、日本を事実上動かしている権力組織が巨大過ぎて、各大臣や総理大臣と言った個人が、どうにかできるレベルではないのため、意向に従うしか術が無いのが現状です。

だからこそ、選挙へは多くの人が投票に行かなくてはなりませんし、去日の例えば財務省解体デモのような、間違いに対する国民の声を届けることは重要なのです。

日本人1人1人が毎日働いて得た給料から、お金を出し合った税金で、国会議員も省庁の役人も雇用しているのですから、雇用主が公僕へ圧力をかけるのは正常な行為です。

ところで話が少し逸れるのですが、先ほどの″支那″や″中華″には実は使い分けがあって、中華は国家を指すようです。

そして支那は地域を示すようなのですが、この使い分けは曖昧で、秦の時代における概念が時代が変わると共に、意味合いも変化しているようです。

尚、略表記の「中」が使われ始めたのは、中華人民共和国成立以降で、中華民国 = 台湾に対しては、今でも「華」の表記が使われます。


  日本が中国人を擁護する理由


今、中国から出られない外国人が急増しており、アメリカ人だけでも100人程度が中国内軟禁されています。


これは中国の反スパイ法と言う法律に基づいて、中国の出国禁止措置により帰国できない外国人が急増していることから。


この法律が一昨年に改正されてスパイの定義が拡大し、それに伴う罰則規定も多様化したためで、国家監察法など関連法規も細かく制定されています。


これの恐いところは、国外追放や強制送還とは違い、中国国内へ一生涯閉じ込めると言う合法的拉致であって、もちろん中国国内で就労などできません。


人道的配慮はするが人権は無い国家なので、国内へ閉じ込めはするが生活の補償はしません。


収監されるものの、釈放後は野となれ山となれて、厳しい監視の下に置かれて他の都市への移動は認められません。


自国の大使館や領事館との連絡も、国際法の定めによって収監中のみで、釈放後は連絡も盗聴され、住まわされている街の外へはつながらないよう操作されるようです。


始まりは外国メディアへのどう喝だったのですが、現在では観光客に対しても適用を拡大しています。


この出国禁止処置は各国との外交交渉の末に解除されるのですが、中国にとってに有益な条件を提示することにより、小出しに帰国が可能となります。


アメリカのあるビジネスマンは出張で中国へ行き、取引相手の中国企業とトラブルが発生し、本国企業へ連絡した後に帰国しようと空港へ行ったところ、出国禁止になっていることが発覚。 


しばらくすると中国企業から、身に覚えのない高額の損害賠償請求の書類が送られてきて、反論しようにも訴えるべき公的機関はが設置されてなく、未だ中国で足止めされています。 


トランプ大統領の中国外交は強行姿勢のままで、こういった人質はいつアメリカ本国へ帰れるのか、全く先は見えていない現状となっています。


出国禁止になる事案は中国政府、警察、公安、出入国管理局、中国企業が連携して実施しており、報道陣の次にビジネスマンが餌食になりやすいようです。


中国へ入国するには招喚状が必要なので、元々 問題のある人は入国拒否となるのですが、めぼしい人間には入国する時点でマークしているようです。


収監された後に投獄され囚人生活をすることになる人もあるようですが、そうなると帰国はもう叶わないと諦めた方が良いようです。



かつて中国はSL大国で、世界中から鉄道ファンが集まっていましたが、機関区は軍用施設でもあるので、撮影には十分な配慮が必要でした。


機関区への立ち入りは事前許可制で、写真を撮った後は「個人の趣味の範囲で、写真はアルバムの中だけで」と、念押しされて機関区をあとにした思い出があります。


それは今も守ってこのブログにUPしているのも、瀋陽機関車陳列館のパシナを数枚だけで、後はアルバムの中で時を止めているのですが。


この当時、それでも普及し始めたインターネットのホームページや、写真集を個人出版したりなどがあり、中国政府から各国の外務省へ苦情は寄せられていたそうです。


今ならその場で逮捕されて、反スパイ法で即 実刑判決となるのでしょう。


鉄道写真のみでなく、普通に記念写真やスナップを撮っていたら、空港で出国禁止を伝えられ、観光客であっても帰国は困難となる可能性が高い現状です。


アメリカ、カナダ、オーストラリア、英国、日本などの各国政府も、「観光目的であっても中国へ渡航する場合、出国制限のリスクがある」と警告し、「できれば中国へ行かないように」と注意喚起をしています。


が、これは外国人に対してだけでなく、もちろん中国人に対しても同等のリスクが課せられていて、中国人は数十万人が旅券没収と事態はより深刻なようです。


中国人の出国禁止対象者は、中央官僚、地方公務員、大学教授、弁護士、医師、記者、芸術家、企業家と言った面々。 


理由は公表されていないものの、汚職犯の国外逃亡や、資産の海外持ち出し、政治亡命が疑われたり、国外で対中批判や人権擁護活動を行う恐れがあると判断されたりした人々と伝わります。


ある人権派弁護士は日本へ留学中の娘さんが病気かかり、意識不明の重体になったため日本へ渡航して娘に会おうとしました。


ところが、「国家の安全」を理由に出国を禁止、その後逮捕されて保釈された後も、厳重な監視下に置かれました。


昨年春、娘さんは中国へ帰国も叶わず日本で孤独に亡くなりましたが、父親は告別式にも参列できませんでした。


今問題のアメリカから追い出される留学生は、祖国へ帰ると受け入れ先が無いばかりか、非人権的な圧力もかけられる可能性が高く。


日本は救済措置として、それら学生を日本の大学で受け入れようと、その門戸を開いたのですが、日本にはアメリカのような国防の法整備が無いことが問題で。


法整備をするには時間がかかる上に、中国から右傾化していると難癖をつけられ、優遇処置までも献上することになっています。



  在日や移民を増やす危険性


 日本国民の声によって、優遇処置の一部は是正されるようですが、それでも日本人の税金で日本人が豊になれない制度は堅持されます。


1つはそう言った人道的な処置として、日本が行き先の無い中国人留学生を受け入れると言うもの。


普通に考えれば、アメリカの大学へ行った中国人が、日本の大学へ行きたがるだろうか?との疑問もあり、恐らく志望しないと思われます。


そこで優遇制度の登場となるのですが、もしそれに乗って日本の大学へ転入して来た人は、何らかの使命に加担していると警戒すべきです。


2つめは、主従関係にある日米同盟の是正に、中国を活用しようとしているのではないか?の疑惑があります。


表の顔で日米同盟の強化や、対中戦略などを共有しつつ、中国人を大量に受け入れて永住権を乱発し、在日中国人の数を増やしてアメリカを牽制する作戦。


一旦、中国化した日本は中国の主導で日米同盟が運用されることとなり、相互の関係の再構築が必要となります。


日本人が日本を取り戻せれば良いのですが、現実的には中国の属国化が待っていることになり、異民族の下で日本人は生きていかなければならなくなるでしょう。


それでも共産主義者が自民党内に巣くう限りは、この路線から逸脱することは難しいかも分かりません。


しかし沖縄沖では、日中の艦船が常に対峙している現状もあり、尖閣諸島付近を航行する護衛艦に、中国艦が発砲する事態も起きています。


日本の政府と省庁によるダブルスタンダードが、将来の日本をどう導くのかは不透明です。


が、実際に少しずつですが中国や韓国の思惑に沿った、日本の国家体制へ組み換えが進みつつある現状は、このままだとかなり危険と言わなければなりません。


日本の政治政党を手に入れる•••••••,は、日本国籍を手に入れた人が、国会議員に立候補できる日本の法律では、もうかなり進んでいることは確かなようです。


学校を支配する•••••••,は、現実的に子どもたちを教育の名の元に洗脳する訳ですが、帰化人政党と帰化人の公僕が手を組めば、意外と簡単に陥落させられます。


マスコミに潜入する•••••••,は、もう昔から工作員が雇用されており、新聞社による事件も起きたりしていますが、TV局のスポンサーによって資本が入り、1番乗っ取りが進んでいる界隈と言えます。



放送局、映画会社、出版社などの重要なポジションを陣取り、日本社会の価値観をコントロールすることは、既に行われているところです。


卑猥だったり廃頽的な文化を定着させ、娯楽によって洗脳することで危機感を麻痺させ、その上で日本文化の破壊を始めています。


日本特有の道徳基準を破壊して堕落・乱交を正常・自然・健全なものとして認識させ、浮気や不特定の異性や同性との交渉を一般化させる。


制度としての家族を信用させないようリードして、乱婚など安易な離婚を推奨し″選択式夫婦別姓″は、その入口とされています。


すなわち、①教育とメディアを使って日本人の思想を弱体化させて、危機感の無い状態で抵抗させない。


② 政治的な思想を分散化させて興味を薄れさせ、価値観を乱立して多様化の名目でアイデンティティを破壊する。


③ 同じく政治的な思想を分断して、日本経済を弱体化させ、利益は上げるが豊にならない社会構造の構築。


④ 中国本土から大量に移民を入れて、企業や土地の買収をし、日本人の生活圏を支配。


⑤ 軍事的な情報戦を制して日本国内から日本を制御し、中国人による日本人支配•••••••,が、日中合意で進められている途中であると、そう認識しなければならない可能性は、恐らく思っている以上に高いかも知れません。


なぜ日本は、アメリカやその他の国のように、国籍取得後に生まれた子どもしか、議員になれないような法律が無いのか。


今から整備しようにも、自民党は弱体化しており、内部に巣くう共産主義者や帰化人が幅を効かせる野党に阻まれ、法制化は難しいのが現状。


戦後80年と言う長い時間の中で、こういった事態が国政にも省庁にも、蔓延る状況になってしまったことは、日本人の戦後の平和ボケの所以たる所なのかも分かりません。


21世紀の習近平政権は、中国を「巨大な鳥かご」に仕立て、誰も逃げられない新たな刑罰を発明したと総評されていますが。


侵攻せずに侵略戦を制して、隣国を手に入れる術は、中国が建国して76年の歴史において、歴代の政権の功績と呼んでも良いのかも知れません。


が、日本人もこのまま、異民族に支配されるつもりはありませんよね?


まずは財務省、法務省、外務省に巣くう一部の国賊 = 売国奴たちを、何とかするところから始めなければなりません。



  戦後100年に向けての日本


政府は防衛用無人機配備に向け、2026年度予算の概算要求に1,000億円の調達費を計上する方向で、調整に入ったそうです。

将来的にはドローンなど軍事用機を生産する体制構築を目指しますが、無人機を活用した攻撃や偵察能力など、実務レベルの運用を向上させます。

そのための試験運用として、低価格の無人機を導入する予定もあり、陸海空の3自衛隊へ早期配備を重視。

今年4月の「サロンカーなにわ特別展示 -③ / 戦艦大和喪失80周年」と言う記事で、呉海軍工廠の跡地で操業してきた日本製鉄の。

その跡地について防衛省が取得すると言うお話しを記しましたが、先日、土地の取得が合意した呉が、このドローンの主要施設となる見込みです。

海軍工廠から戦後、民間へ渡った伝統の地が再び、防衛の工業施設へと戻ります。

当時の世界最大そして最新鋭の戦艦大和が誕生した地で、最先端技術の防衛装備が再び生まれてきます。

過去の戦争は既に起こった歴史的事実であるので、私は否定も肯定もしないことはこれまでと変わりません。

私は反戦活動はしない立場であるものの、未来における戦争は否定されなければならないと思っています。

が、近年の日本を取り巻く状況から、防衛力は残念ながら高めていかなければならず、それが未来の日本の平和を確約するのなら。

やはり呉へ防衛拠点が戻ってくることは、喜ばしいと感じます。

ちなみにドローンの話題だけでなく、退役する護衛艦の輸出にも積極的な姿勢を取るようです。

あぶくま型護衛艦は1988~1993年に就役した護衛艦で、運用開始から相当の年月が経過したことから、システムのアップグレードも限界に達しています。

クルーの人員数をもっと削減できる新型艦の開発 導入に伴い、退役することとなったあぶくま型護衛艦は。

シーレーンの要衝である東南アジアと、安全保障面での連携を強化する狙いから、フィリピン、インドネシア、ベトナムへ輸出される見込みとなりました。


技術的なアメリカとの関係や、もし中国に捕獲された場合など、あらゆる面を想定して改装することとなっています。

日本は東南アジア諸国連合の大国であるインドネシアとの関係を重要視しており、1月の防衛相会談では、海洋安保分野での連携強化に向け、実務者間の協議体を立ち上げる方針で合意しています。

中国による海洋侵略行為が顕著な近年、全方位から台湾を包囲する訓練が実施されたり、他国の水域で漁船に海警船が同行したりと、目に余る違法行為が横行しています。

先日の護衛艦に向けての発砲もしかり、近隣諸国との連携強化は、重要なプロジェクトと位置づけられています。

今、くしくも奇跡の駆逐艦 雪風の映画が、全国で公開中ですが、戦艦大和の最後を看取り、戦後は復員輸送艦となり、1947年 7月1日付けで中華民国に譲渡されました。

終戦記念日と終戦の日
終戦記念日 日本战争结束周年纪念日。那天我宣布放弃战争,但发誓如果我们被入侵,我将消灭敌人。
~2021 2022~


  終戦記念日と終戦の日


以前も同じことを語っているのですが、やはり80周年記念なのであらためて「終戦の日」と「終戦記念日」は何が違うのでしょうか。


8月15日には当初、名称は付けられておらず単にお盆であることから、先祖霊として戦争犠牲者や戦死者の御霊をお迎えしていました。


終戦は国際法に則り9月2日とされていましたが、国内における混乱や連合軍による占領など、戦闘は終了したものの日本は国家として主権を失ったまま年月は推移していました。


戦前に元々あった世界トップクラスの工業技術力が、戦後にやっと活力が戻り始め自動車産業、電気機械業、化学工業、造船業などのメーカーは、海外から革新的な技術の採り入れを試みます。


そこから始まった技術革新に後押しされて、日本の経済が一気に向上し年平均は10%もの成長を続けたことから、1955(昭和30)年から高度成長期へと突入します。


終戦から10年目にしてGDP = 国内総生産が戦前の水準を上回ったことから、日本政府は経済白書にて1956(昭和31)年7月17日に、あの有名な「もはや戦後ではない」を宣言しました。


日本全国で荒廃した都市は加速度的に復興が進み、1958(昭和33)年には電車特急のこだま号が走り始め、東京~博多間にはブルートレインの特急あさかぜが誕生します。


テレビ放送も全国へ普及し、プロ野球やプロレスの中継の他、鉄腕アトムや月光仮面などヒーローが活躍。


映画館ではハリウッド映画の他に、石原裕次郎や勝新太郎そしてゴジラが人々を魅了した時代となりました。


戦争によって開催返上をした1940(昭和15)年の東京オリンピックも、再び東京で開催することが決まり、その豊かさが増す中で日本人の心の片隅に、大切な忘れ物があることが次第に大きくなり始めます。


それまで非公式に政府や省庁ではお盆に、慰霊の祭典を執り行っていましたが、法的に終戦日の法制化は実施されておらず、1963(昭和38)年に8月15日を″終戦の日″と閣議決定されました。


終戦の日が法制化されたことから、政府主催の全国戦没者追悼式が行われるようになりましたが、お盆であることから追悼式は8月15日で構わないが、終戦の日の呼称については受け入れがたいとの抗議の声が上がります。


8月15日の段階ではまだ日本と連合軍の間で戦闘行為 = 戦争は行われており、その前線における戦死者の御霊を愚弄するものである••••••••と言うのが、抗議の趣旨でした。


抗議グループによってはお盆でなく、追悼式の日付そのものの変更を声にする抗議もあり、日本政府は「終戦の日」はあくまで記念日であり、英霊を追悼するための日であると説明します。



8月15日が終戦の日である根拠は、「天皇陛下が国民に降伏を受け入れた詔を発せられた日であり、お盆という日本の伝統行事によって戦没者の御霊を追悼するに相応しい日である」ためです。


ただ、戦争が過去へ遠くなるにつれ8月15日で戦争は終わり、8月15~31日に戦死した英霊のことは、誰も知らない忘れられる犠牲者となりかねないとの懸念は、抗議として収まることはありませんでした。


政権側も国際法による終戦日となる9月2日または前日へ日付を変えるか、8月15日から日付のの変更は行わず名称を変えるか、の議論が行われます。


9月への移動は、アメリカを始めとした連合国が戦勝による祝賀ムードの記念日を催す中で、戦争放棄による追悼式を半永久的に継続するにあたり、日本人の心理的な影響を考慮した場合に、あまり良い案とは言えずに選択肢から早い段階で消えます。


そこで名称の変更という話しになりますが、どのような名称への案も難色を示す関係者が多く、今更 終戦の日から変えられる名称が無いという現状から抜け出せなくなります。


そして20年が経過し1982(昭和57)年になり、戦争を知らない世代に平和の尊さを伝える日として、やっと「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に名称変更が実施されました。


終戦の日は廃され一般的には終戦記念日と呼ばれますが、公式には″終戦の日″も″終戦記念日″も制定されおらず、あくまでも通称です。


なのでそれぞれが自由に呼んで構わないのですが、終戦の日はやはり歴史的な背景のある日として、混乱を避けるために9月2日を指す場合が多いです。


そこで終戦記念日ということばが、公式名称が長いために略称として使われる場合が多いのですが、近年はこの終戦記念日という表現に抵抗を感じる人も多いようです。


 新聞各社も2020年頃から終戦記念日の文字を使わなくなり、2022年には報道機関全社で公式には、略称として使用されなくなったようです。


そもそも数年前に「8月15日って何の日?」や「8月15日は何でもない日」と発言して疑問を呈する人が現れ、軽い流行となりました。


その流れから「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の略称を、旧称である「終戦の日」と表記するのに倣って、アメブロでもブログスタンプをそうしたのだと思われます。


しかし終戦の日を8月15日にしたくないという、家族や友人・知人を8月15日以降に戦死で亡くした遺族の思いは、蔑ろにされてしまい少し心が痛く感じている人も少なくありません。


便宜上とは言え、先人の心を汲み取れない現状は、やはりアイデンティティの喪失と言わざるを得ません。


Four days that Japan must remember




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今日は日本が連合国へ降伏を伝えた日

被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ
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Hidenori Watanave/ 東京大学大学院情報学環教授/Professor at University of Tokyo /Visualization & Information Design / Digital Archives/OSINT /「記憶の解凍」

昔から「正月三日 盆二日」と言われる通り、今日明日は″正盆″となります。

まぁ労基の関係や会社の規則などで、もっと長い連休の人や、シフトで交代で休みとなる人など、さまざまな現代です。

そんなこたぁ分かっとるわい、じゃけんどーした言うんなら~と、言わないで下さいな。

8月14日、お盆休み いかがお過ごしでしょうか?  なんて、言えない時代だよなぁと、ちょっと思っただけだったりします。

さて、毎年不定期更新の記事で「D51-639の日」と言うシリーズがあります。

これは岩国大空襲をベースに日本で一番短命だった機関車の、追悼を兼ねた平和記事として記しています。

しかし少しずつ、岩国空襲ばかりの記事ともいかなくなるのも、自然発展の摂理でもあります。

そもそもタイトルの通り、D51-639号機が廃車となった日と、私のブログ更新日が重なった年に、UPする記事なので。

最後の岩国空襲があった日とは、日付的には無関係だったりします。

D51.639の日については、やはりもっと大きな括りで平和記事を語るべきと感じますし、そうすると8月14日の岩国空襲は。

昭和100年・戦後80年の今年、別口で記事にしようかと、今日のUPとなりました。

「日本は負け戦のやり方を知らなかった」

そう評価する歴史家は国の内外に多いのですが、国際間紛争において日本は、負けたことが無い国でした。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と勝ち戦を経験して、第二次世界大戦で初めての敗戦を経験します。

ヨーロッパでは古代からEUが成立するまで、何百年にも渡って戦争を繰り返してきました。

岩国空襲の爆撃と建物

なので、勝ち戦と負け戦の引き際を心得ていて、国が滅びて無くなる恐れのあるまで、戦争を長引かせなかった歴史があります。

日本は近代戦において引き際が分からなかった故に、特攻を敢行し本土決戦なる考えも起こし、壊滅的な最後を迎たとも言われます。

全国の主要都市は空襲で焼き払われ、広島と長崎は人類史上初の核攻撃を受けて。

戦争が終結すると、敗戦国は賠償責任が発生しますが、それは次の戦争で勝つと立場が逆転し、支払った賠償分を回収できることになります。

が、日本は徹底的に闘ったため、降伏後には戦争の放棄を強要され、永遠の敗戦国の地位を受けることとなります。

負け時を悟ってそれを認めることは大切ですが、そうすると手に入れていた占領地や利権は失われてしまいます。

が、実は全てが失う訳ではなく、今でも日本は第一次世界大戦時の、戦勝国としての利権は保有したままなことは、意外と国内では知られていません。

もし日本が負け時をちゃんと見極めていたならば、満州国はその後も独立国として存在した可能性は大きく、大連の租借も残っていた可能性はあります。

国際社会で求められていたのは、満州での貿易と利権であり、日本が傀儡政権を樹立させたことによる、利権独占こそが日米戦の最もたる理由であったからなのですが。

ただ、アメリカによる日本人への差別は、戦争中から大きなものであったため、満州国への日本の影響力は断絶させられていた可能性もあります。

原爆の開発はドイツとの競争で、先にナチス党政権がアメリカへ向けて使用される訳にはいかなかったので、アメリカは開発に莫大な予算をかけました。

しかしヒトラー総統が自ら存在を滅して、ドイツ政府は敗戦を受け入れたことにより、原爆の投下は日本へ向けて実行されました。

が、当時のアメリカの新聞では、ドイツ人は我々と同じ白人だが、日本人は野蛮な有色人種である。

何もためらったり良心の呵責なども必要なく、地球上から殲滅しても構わないヤツらだ ── と、プロパガンダキャンペーンを繰り広げていました。

本来、戦争は敵国領土を攻撃する場合、民間人を標的にした無差別殺戮は禁止となっていますが、空襲はあえてその禁止を犯す戦法です。

供養具と灯り

そう、差別すべき相手であるので、国際法は適用されないと言うのがアメリカの考えで、その連合軍もトップダウンによる右倣えで、無差別殺戮を実施しました。

8月14日。

もう日本政府から連合軍側へ、降伏を受け入れる旨を伝えてあった日のこと、大量に余った武器 弾薬を使い切るために、各都市へ空襲を行いました。

パイロットへ伝えられた命令は「爆弾投下は間隔を1mと開けるな」と、戦闘機には「鶏でも犬でも人間でも、動くものは全て掃射せよ」でした。

見えるのが女性だからとか、子どもだからとかで、機銃を討たないという愚かなことはせず、全て駆逐せよという命令です。

これに対して連合軍司令部は、降伏をする旨を聞いた時には、既に攻撃隊は出撃した後であったため、中止命令は間に合わなかったと、戦後に述べています。

が、論理的に考えれば、そんなことはありません。

各都市の空襲は最後の惨劇を生み出しましたが、岩国への空襲は「史上最大の空襲」と呼ばれるほどの、大編隊での来襲でした。

先日、私が記した「生きた人を、紙くずのように燃やし尽くした」のことばは、原爆に関したことだけではなく、全ての空襲を行ったアメリカを指します。

この日の爆撃目標は岩国駅と機関区で、108機のB-29が計約700トンの爆弾を、岩国駅周辺にばら撒いて、爆撃の結果については報告書へ「excellent results(優れた成果)」としるされています。


但し、アメリカ本国では日本人を差別して扱っていても、現場ではさすがにアメリカ兵も女こどもに照準は合わせにくかったのでしょう。


8月14日に空襲を行うと、予告のビラが事前に撒かれたことも、必ず記さなければならない事実だと思います。


しかしこの用意周到さこそが、日本が降伏したにも関わらず、空襲を強行した理由ではないか?とも、言われています。


予告ビラに関しては、岩国だけでなく、他の都市でも実施されているようですが、日本がアメリカへ講話を申し入れたのは、まだドイツが降伏する前だったことも、日本国民は知ってなければなりません。


日本が負け時を分からなかったのではなく、アメリカが日本の降伏を受け入れなかった事実は、フーバー大統領の回顧録から世界が知ることになりました。


8月14日は毎年、岩国駅前西口広場 乙女の像の前で、慰霊祭が催されます。


赤と青の彼岸花

今年も本日、空襲が始はじまった、午前11時15分のサイレンに合あわせて黙祷されます。


今の若い世代には空襲があったことを知らない人もい多く、戦争の悲惨さを風化させてはいけません。


イスラエルによるガザ、ロシアによるウクライナ、今の時代もこの惨状は世界中で繰り返され続けています。


慰霊祭では参列者が平和記念碑「乙女の像」に花を手向け、80年前と今の世界へ思を馳せ巡らせます。


そして若人へ問う「今、もし戦争が起きたら国の為に戦うか?」


外国人に蹂躙されないよう日本を守らねばなりませんが、戦うと答えた人の割合は日本人は13.2%、ウクライナ人は56.9%だったそうです。


ウクライナも専守防衛が基本であったが為に、モスクワを攻撃する能力を持たず撃たれ放しで戦局の打開に苦戦しています。


日本も今の現状を考慮すると、国民の意識を改善させて、防衛戦略を再構築すべきかも知れません。

日本人はWGIP、プレスコードに支配されたマスコミにより国防意識が薄く、政治が国民意識と乖離してでも、防衛力を高めなければかなり日本は危ない状況にあります。

今は親日家のプーチン大統領なのでロシアは憂慮する必要は低いのですが、もし世代交代した場合には巡航ミサイル、中距離核ミサイル、SLBM、SLBMは必須であると言えます。

何のことか分からない人は、グーグル先生に聞いてくださいね。

実際、表向きは仮想敵国としている中国ですが、実際に交戦はしていないものの戦闘を前提に、お互いが対峙している以上は事実上の敵国です。

岩国空襲そして全国の戦災地のような惨劇を、2度と繰り返さないために、敵性国家に蹂躙されない国防体制は重要度を増していると•••••••,そう言わなければならない現実が、日々繰り広げられています。

明日は終戦記念日です。






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被爆80周年 広島被爆電車 156号走る / 長崎原爆の日

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レトロな列車と都市の風景

広島へ人類史上初となる、核兵器による攻撃が実施されたのは、8月6日のできごとでした。

一瞬で都市が消失し、4万人が瞬時にその人生を閉じさせられ、その後も継続して17万人が命を剥奪されました。

そんな中、3日後には市内電車の運行が再開され、広島市民に生きる活力となりました。

6日から3日後•••••••,その日は2発目となる、長崎へ核攻撃が敢行された日でもありました。

被爆電車156号と711号の走行風景

被爆電車156号と711号が広島の街を走る

被爆電車156号、広島の街を走行

被爆電車156号、記念走行

被爆電車156号、記念走行と被爆80周年

爆風や衝撃波による損壊が、軽微だった訳ではありませんが、復旧の手がつけられる所から作業は始まり。

まずは己斐~西天満町間で運転が再開されたのですが、戦後 広電の線路はところどころルート変更がなされています。

現在の区間に比定すると、西広島~観音町間に相当なのですが、電車が走るには線路だけでなく。

電気が通らなければなりません。

広島の被爆電車と取材陣

撮影クルーがカメラで取材中

路面電車714号と人々

被爆電車156号と714号、集まる人々

被爆電車156号を撮影する人々

わずか数百メートル ── その短距離であっても、都市が壊滅している中での復旧作業は、並々ならぬ懸命の努力があったことでしょう。

壊れた設備だけでなく、道具や材料も揃わない中で、作業をされるご本人も傷つき満身創痍だったはず。

そう、被爆したのですから。

何もかもが破滅を迎え、人も絶望の中を漂う中で、作業員も心は折れていたであろうに、その責任を果たすために、広島市民に希望の光を灯しました。

被爆電車156号と現代の路面電車

被爆電車156号、広島の歴史を伝える

広島の被爆電車156号と最新型グリーンムーバーLEX

被爆電車156号が走行

路面電車1004号の窓に映る街並み


被爆80周年。

車齢100歳となる広電最古の電車も、もちろん被爆電車なのですが、復旧初日を記念して150形 156号は走りました。

昭和100年、そして被爆100周年へ向かって、更にその向こうにある世界平和をつなげて。

大正14年生まれの小さな体を揺らして、力強く駆け抜けるその姿に、21世紀を生きる私たちにも活力を与えてくれます。

被爆電車156号と昭和100年記念

広島の被爆電車156号と1909号

被爆電車653号と101号

被爆電車156号が牽引する広島電鉄

被爆電車156号と作業員

本当は地元の中の地元である西広島駅で撮る予定にしていたのですけれど、時間を勘違いしていて。

江波車庫周辺での撮影へと急遽変更して、小雨の降ったり止んだりの下で、久しぶりに156号が動いている姿を見ました。

江波ってあまり用事がなくて、たぶん•••••••,2000(平成12)年の 電車の解体風景 / さよなら903号の時以来のような。

ちなみに運行経路なんですが、広電本社を7時40分に発車して → 原爆ドーム前 8時頃通過 →  広電西広島 → 観音町 → 横川 と走り、江波へは9時20の到着でした。

被爆電車156号と人々

被爆電車156号と713号、広島の路面電車

被爆電車156号と712号

被爆電車156号と712号

150形電車、大正14年製、2020年全検

1945(昭和20)年8月6日8時15分には、江波付近に留置されていて、中破の損害を受けた被爆電車です。

 先述の通り復旧から80年が経ったその日に合わせ、最初に復旧した区間を記念走行しました。

そしてこれは、2020(令和2)年以来、5年ぶりの本線走行でもありました。

156号と言えば中学生の頃、江波車庫へ友人と遊びに行って初めて出会ったのですが、その後 1987(昭和62)年の復活運転では乗った思い出があります。



被爆電車、平和を願う156号と653号

核攻撃直後の被爆電車156号

被爆電車156号、被爆前と更新後

  内閣総理大臣あいさつ・長崎


被爆電車156号が走ったのは8月9日 ── 長崎の平和祈念日だったので、石破総理大臣のあいさつ文を併載します。


広島と長崎の平和宣言などは、8月9日の記事へUP済みです。


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本日ここに、被爆80年目の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、内閣総理大臣として、犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げますとともに、今なお後遺症に苦しんでおられる方々に、心からのお見舞いを申し上げます。


今から80年前の今日、この街は、一発の原子爆弾により、一瞬にして一木一草もない焦土と化しました。


広島に投下されたものを上回る威力のプルトニウム型爆弾によって、7万ともいわれる人々の命と未来が一瞬にして奪われ、その多くは一般市民でした。


惨状の中でなんとか一命をとりとめた方々も、長く健康被害に苦しまれてきました。


80年を経た現在、核軍縮を巡る国際社会の分断が深まり、極めて厳しい安全保障環境に直面をいたしております。


しかし、いかに険しい状況にあろうとも、唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の取組を主導していくことこそが我が国の使命であり、一歩一歩、着実に努力を積み重ねます。


この上で基礎となるのは、国際的な核軍縮・不拡散体制の中心となる核兵器不拡散条約です。


来年のNPT運用検討会議に向けて、我が国は、「ヒロシマ・アクション・プラン」に基づき、核兵器保有国と非保有国の双方に対し、対話と協調の精神を最大限に発揮をし、一致団結して取り組むよう粘り強く呼びかけるとともに、現実的かつ実践的な取組を進めます。


被爆の実相を伝えることは、核軍縮に向けたあらゆる取組の原点として極めて重要です。


世界中の指導者や未来のリーダーに長崎・広島への訪問を呼びかけ、多くの方々が来訪されました。


昨年、長年にわたり核兵器の廃絶や被爆の実相に対する理解の促進に取り組んでこられた日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞という栄誉ある賞を受賞されたことは、誠に意義深く、心より敬意を表します。


私は内閣総理大臣着任後、先の大戦において多くの命が奪われた硫黄島、沖縄のひめゆり平和祈念資料館、被爆地となった広島を訪れ、本日、ここ長崎に参りました。


80年前、この国で、この地で何が起きたのか。


戦争の実態と悲惨さ、原子爆弾の被害の過酷さを、決して風化させることなく、記憶として継承していかなければなりません。


被爆の実相の正確な理解を、世代と国を越えて、一層促進していく決意であります。


高齢化の進む被爆者の方々に対し、今後とも、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を進めてまいります。


原爆症の認定について、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行うよう努めてまいります。


被爆体験者の方々についても、昨年12月から、幅広い一般的な疾病について被爆者と同等の医療費助成を開始をしており、引き続き着実に実施してまいります。


先ほど、80年の時空を超え二口揃ったアンジェラスの鐘が、ここ平和公園の長崎の鐘とともに、かつてと同じ音色を奏でました。


ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ。


長崎医科大学で被爆された故・永井隆博士が残された言葉であります。


長崎と広島で起きた惨禍を二度と繰り返してはなりません。


天を指す右手は原爆を示し、水平に伸ばした左手で平和を祈り、静かに閉じた瞼に犠牲者への追悼の想いが込められた、この平和祈念像の前で、今改めてお誓い申し上げます。


私たちはこれからも、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現と恒久平和の実現に向けて力を尽くします。


原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊安らかならんこと、併せてご遺族、被爆者の皆様並びに参列者、長崎市民の皆様方のご平安を祈念して、私の挨拶といたします。


2025(令和7)年8月9日

内閣総理大臣 石破 茂





普段は江波車庫内に留置されている156号ですが、同じ被爆電車の653号や101号と一緒に眠っています。

156号は8月4日に、こっそりと千田車庫へ回送されていたようですが、しっかりと写真に撮られていた方もいたようで(祝)

それと、101号はデッキタイプのスタイルをした再現レプリカですが、ベースとなった基の電車は157号なので、101号も実は被爆電車なのです。

先日開業した新しい広島駅ですが、その勾配40‰を通過する試験で元157号の101号は、何の問題もなく走っていたので、156号もいつか広島駅へ入線することがあるのかも知れません。

ラストに被爆前の156号と現在の156号を、AI写真で作って並べてみました。

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長崎平和祈念日 / ヒロシマ ナガサキ 平和宣言2025

被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ
1925☆☆☆昭和100年記念☆☆☆2025
1945☆☆☆戦後80周年記念☆☆☆2025

昭和100年の記事内容
 ┣被爆80周年に強く思ったこと
 ┣忘れてはならない被爆者たち
 ┣長崎平和宣言2025
 ┣広島平和宣言2025
 ┣湯崎広島県知事メッセージ
 ┣石破総理大臣あいさつ
 ┗日本被団協 声明

  被爆80周年に強く思ったこと


広島市と長崎市は、姊妹友好都市50周年を迎えました。

両市は この節目に当たり、 外国人旅行者等の誘致推進と更なる友好促進による地域経済の発展を図るためのプロジェクトを推進しています。


共同して平和文化の発信をはじめとするプロモーションや、平和学習を取り入れた新たな観光ブログラムの造成等の、連携事業に取り組むこととしています。 

 当該事業の実施主体となる「広島・長崎連携観光キャンペーン事業実行委員会」では、その取組の一環として、令和6年8月1日から広島平和記念資料館及び長崎原爆資料館へ来館された方を対象に、相互に両市への訪問を促すためのPRを行っています。 

アメリカ合衆国を始め世界各国では、核兵器の使用を肯定しない人たちが、若年層から広がっています。

ICANや日本被団協のノーベル平和賞受賞に対して、アメリカでは一応ニュースでは触れるものの、極力関わらない施策をしていました。

それでも平和学習の効果は大きく、少しずつではありますが、核兵器廃絶へ向けての意識は浸透しつつあります。

日本では「憲法9条を保持したまま核武装を」と言った、核抑止力を持たない矛盾した意見を主張する人たちも増えつつありますが。

アメリカを始めとした核保有国や非核保有国では、核兵器の保有が国の安全を脅かしているとの、そういう認識が増えつつあります。

パレスチナは、常にイスラエルによる核兵器の脅迫を受けているが故、脅しに屈しないアイデンティティを大切にしていると発言し。

ウクライナはロシアによる侵略で、核兵器を手放さなかったら、こんなに蹂躙される侵攻は受けていないと訴えます。

この主張は共に、一見すれば当を得た真理のように聞こえますが、そもそも論を考慮すれば、そのようなことは無いことに気づきます。

基本的に世界中どこの国でも、加害者扱いされる侵攻側の主張は、報道でもSNSなどでも伝えられません。

しかし被害者とされる侵攻を受けた側の言い分は、悲劇の主人公的な扱いを受けて、まるで洗脳のように伝えられます。

歴史は勝者が語るもの•••••••,そうであるならば、歴史として記された物の中には、真実は無いことになります。

そんな下で、アメリカ合衆国の国務省では、広島への原爆投下から80年の節目として、「広島市民の和解の精神が日米同盟を強化」したと声明を発表しました。


声明を出したのは8月5日ですが、時差の関係から日本時間では8月6日となります。


国務省のブルース報道官は「あす(6日)は広島の市民と、彼らの平和と希望のメッセージを称える、厳粛な回顧と追悼の日です。


80年間、彼らの不屈のたくましさは世界に影響を与え、和解の精神は日米同盟を強化し、平和と繁栄への日米のコミットメントを深化させてきました」と述べました。


Atomic bombed Christian church,Urakami Cathedral,Nagasaki,Japan


また、「80年前、アメリカと日本は破壊的な戦争を終了させた。


それからの80年間、アメリカと日本は太平洋の繁栄を守るため、肩を並べて協力してきた」と話し、現在のアメリカと日本は「団結し、目的をもって未来に向き合う緊密な同盟国」だと強調しました。


確かにその通りであり、そう聞くと美談でもあるのですが、歴史を語る上で勝者の価値観のみで語られていることばでもあります。

なぜあの戦争は起きたのか、アメリカにとって都合の悪いことは封印され、日本国内でも学校教育で真実を教えられない今の状況で。

アメリカ国務省の声明は、アメリカ少し変わったなとの感想と同時に、一種の白々しさも拭えません。

2016(平成28)年5月27日、第44代アメリカ合衆国大統領のバラク オバマ氏が広島を訪問し、核兵器の廃絶を訴えました。

アメリカ軍によって核兵器が投下された日本の都市へ、現職の合衆国大統領が訪問するのは初めてのことでした。

あれから9年の月日が経ちますが、世界を取り巻く国際情勢の中で、アメリカ自身も変わっていかざるを得なくなっているのでしょう。

それでも現職であるトランプ大統領は、アメリカ軍によるイランの核施設への攻撃は、日本への原爆投下と本質は同じであると発言。

あの年代特有の「戦争を終結させた」との信仰は強く、何の疑いもなく悪気もなく発言してしまいます。

戦後80年。

日本もいつまで戦後〇〇年と言い続けるのでしょう。

「もはや戦後ではない」と言わせしめたのは、1956(昭和31)年の経済白書で、戦後の復興期から高度経済成長期への移行を象徴することばでした。

これは日本経済が戦前の水準へ回復し、経済成長の新たな段階に入ったことを宣言するものでした。

それから69年。

日本はいつまで戦後なのか。

戦後100周年へ向けて、この戦後〇〇年 のフレーズは、少しずつ死語にして行かなければなりません。

25年間、いろんな内容のことをこれまで記してきましたが、その全ての主張を総括すると、この一言に尽きることに気づきました。

 生きた人間を、紙くずのように燃やし尽くした国と、本当の同盟国になるには日本も変わらなければなりません。



  忘れてはならない被爆者たち


そして過去の記事でも記していますが、決して忘れてはならない被爆者も存在します。

福島の被災者や遠洋船 まぐろ漁船の第五福竜丸の乗組員もそうですが、実は海上保安庁の測量船 柘洋と巡視船 さつまが水爆実験に巻き込まれ、113名の乗組員が被爆しています。

1958(昭和33)年7月に発生したこの事件は「第四の被曝」と呼ばれ、乗組員の一部はその後、急性放射線障害による病気で亡くなりました。

日米で交わされた合意文書では、事件の経緯や日本社会の反応が詳細にまとめられており、「日米で巧みに対処」という記述もあるとNHKが報じました。

これを基に日本政府は、明らかな放射線障害の諸症状があるにもかかわらず、被曝線量は微量で、白血病との直接的な関連づけは困難という見解を発表しました。

乗組員が公務員であったことから口外禁止令を出し、家族も何が何やら分からないまま、保障も受けられずに夫や息子を失っていきました。

事件は隠蔽されましたが、NHKの調査報道により、事の詳細や政府の対応、日米間の文書などが明らかになりました。

放射線を浴びると、体内から細胞が破壊され生命維持活動の剥奪症候群が起こりますが、細胞も放射線を発するので。

被爆していない同僚や家族も放射能を被曝することになります。

それを内密にしていた事件でした。

また、広島・長崎の原爆投下は人類史上初の、核兵器実戦使用でしたが、それよりも前の原爆による被曝者がアメリカにいます。

1945(昭和20)年7月16日 午前5時29分45秒(現地時間)。

ニューメキシコ州 トゥラローサから北西に約80キロ離れた砂漠の真ん中で、マンハッタン計画に基づいて世界初の核実験(トリニティ実験)が行われ、原住民が放射線障害 = 原爆症を発症します。

これについてアメリカ政府は自国民を見殺しにし、生き長らえた人も放射線障害による体調不良を抱え、当時13歳で被爆した少女は現在、生命活動剥奪症候群に苦しみながら93歳を迎えています。

過去の記事でも記しましたが、核攻撃を受けた被曝量は「爆」の文字を使い、事故で放射線を浴びた人は「曝」の文字を使います。

第五福竜丸の船員と海上保安庁の乗組員は、確かに事故ではありますが、原因は原爆・水爆によるものなので、「被爆者」であると、私自身は主張したく思います。

そしてもちろん、ニューメキシコ州の人類初の原爆による被爆者も、日本語で記す時には被曝量ではなく、被爆者と記して欲しく思います。

ニューメキシコ州トゥラローサ地方と言えば、ロスアラモスやアラモゴートなど、地名や研究所の名称が検索で出てきます。

ロスアラモス研究所での臨界実験で被爆死した科学者の名前は出てきますが、トリニティ実験で被爆した被害者については、最近になってやっとAIにて答えご表示されるように鳴りました。



表示されるようになった経緯は、トリニティ実験場跡付近に、実験による被爆者がいるとの説明板が追加されたため。


核兵器の日本への実戦使用から80年の今年、放射線障害への新たな法改正が行われた結果、ロスアラモスの住民への補償が始まったことによります。


アメリカ国内では、トリニティ実験による被爆者がいることは隠されてきまため、専門家以外は殆ど知られていません。


まだ認知度は低いものの、広島への原爆投下以前に、国内へ被爆者がいたという事実に、合衆国の国民には衝撃が走っています。


アメリカ政府は放射線障害について、まだ詳しく把握はできてなったものの、放射線による人体への影響はある程度は知っていたとされ。


にもかかわらず、住民に何の説明も保障もなく、その後の補償もせずに放置していたことから、活動団体からの糾弾も始まりつつあります。


この地域の発ガン率や白血病の発症率が、異常に高いにもかかわらず、州政府も連邦政府も関与することなく、また本人たちへの説明もないので、無知なまま80年を過ごさせてきました。


放射線障害による健康被害だけでなく、残留放射能による土地や財産も剥奪されたままとなっており、それに対する補償が不十分であると、弁護士団体も争う姿勢となっています。


この辺については、過去の記事で述べたマーシャル諸島とフランスの関係と、非常によく似た状況となっています。


マーシャル諸島とフランスは国際問題ですが、トリニティ実験による被爆者はアメリカ国内の問題なので、もっとフレキシブルな対応が可能なはずなのですが。


お押っ広げに行うと、広島・長崎への原爆使用の是非も、やがて議論として台頭してくる可能性も高く、原爆の正当性を揺るがし兼ねない世論へとつながる可能性も大きいので。


そこは秘密裏に穏便に済ませたいと言うのが、アメリカの本音のようです。


核兵器に関しては、アメリカにおいても闇は深いと言うところです。




  長崎平和宣言 2025


1945年8月9日、このまちに原子爆弾が投下されました。


あの日から80年を迎える今、こんな世界になってしまうと、誰が想像したでしょうか。 


「武力には武力を」の争いを今すぐやめてください。


対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化しています。 


このままでは、核戦争に突き進んでしまう――。


そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです。 



1982年、国連本部で被爆者として初めて演説した故・山口仙二さんは、当時の惨状をこう語っています。 


「私の周りには目の玉が飛び出したり 木ギレやガラスがつきささった人、首が半分切れた赤ん坊を抱きしめ泣き狂っている若いお母さん。右にも 左にも 石ころのように死体がころがっていました。」 


そして、演説の最後に、自らの傷をさらけ出しながら、世界に向けて力強く訴えました。 


「私の顔や手をよく見てください。世界の人々 そしてこれから生まれてくる子供たちに私たち被爆者のような 核兵器による死と苦しみを 例え一人たりとも許してはならないのであります。」


「ノー・モア・ヒロシマ ノー・モア・ナガサキ ノー・モア・ウォー ノー・モア・ヒバクシャ」 


この心の底からの叫びは、被爆者の思いの結晶そのものです。


証言の力で世界を動かしてきた、被爆者たちの揺るがぬ信念、


そして、その行動が評価され、昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。


日本被団協が結成されたのは、1956年。


心と体に深い傷を負い、差別や困窮にもがき苦しむ中、「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」という結成宣言をもって、長崎で立ち上がりました。 



「人類は核兵器をなくすことができる」


強い希望を胸に、声を上げ続けた被爆者の姿に、多くの市民が共感し、やがて長崎に「地球市民」という言葉が根付きました。


この言葉には、人種や国境などの垣根を越え、地球という大きな一つのまちの住民として、ともに平和な未来を築いていこうという思いが込められています。 


この「地球市民」の視点こそ、分断された世界をつなぎ直す原動力となるのではないでしょうか。


地球市民である、世界中の皆さん。 


たとえ一人ひとりの力は小さくとも、それが結集すれば、未来を切り拓く大きな力になります。


被爆者は、行動でそう示してきました。 


はじめの一歩は、相手を知ることです。


対話や交流を重ね、互いに理解し、小さな信頼を重ねていく。


これは、私たち市民社会の大きな役割です。 


私たちには、世界共通の言語ともいえるスポーツや芸術を通じて、また、発達した通信手段を使って、地球規模で交流する機会が広がっています。 


今、長崎で、世界約8,500都市から成る平和首長会議の総会を開いています。


市民に最も身近な政府である自治体も絆を深め、連帯の輪を広げています。 


地球市民として、共感と信頼を積み重ね、平和をつくる力に変えていきましょう。 


地球市民の一員である、すべての国の指導者の皆さん。 


今年は、「戦争の惨禍を繰り返さない」という決意のもと、国連が創設されてから80年の節目でもあります。


今こそ、その礎である国連憲章の理念に立ち返り、多国間主義や法の支配を取り戻してください。 



来年開催される核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は、人類の命運を左右する正念場を迎えます。


長崎を最後の被爆地とするためには、核兵器廃絶を実現する具体的な道筋を示すことが不可欠です。


先延ばしは、もはや許されません。 


唯一の戦争被爆国である日本政府に訴えます。


憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、一日も早く核兵器禁止条約へ署名・批准してください。


そのためにも、北東アジア非核兵器地帯構想などを通じて、核抑止に頼らない安全保障政策への転換に向け、リーダーシップを発揮してください。 


平均年齢が86歳を超えた被爆者に、残された時間は多くありません。


被爆者の援護のさらなる充実と、未だ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。 


原子爆弾で亡くなられた方々とすべての戦争犠牲者に、心から哀悼の誠を捧げます。 


被爆80年にあたり、長崎の使命として、世界中で受け継ぐべき人類共通の遺産である被爆の記憶を国内外に伝え続ける決意です。


永遠に「長崎を最後の被爆地に」するために、地球市民の皆さんと手を携え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くしていくことをここに宣言します。


2025(令和7)年8月9日

長崎市長 鈴木 史朗




  広島平和宣言2025


今から80年前、男女の区別もつかぬ遺体であふれかえっていたこの広島の街で、体中にガラスの破片が突き刺さる傷を負いながらも、自らの手により父を荼毘に付した被爆者がいました。

「死んでもいいから水を飲ませて下さい!」と声を振り絞る少女に水をあげなかったことを悔やみ、核兵器廃絶を叫び続けることが原爆犠牲者へのせめてもの償いだと自分に言い聞かせる被爆者。 

原爆に遭っていることを理由に相手の親から結婚を反対され、独身のまま生涯を終えた被爆者もいました。

そして核兵器のない平和な世界を創るためには、たとえ自分の意見と反対の人がいてもまずは話をしてみることが大事であり、決してあきらめない「ネバーギブアップ」の精神を若い世代へ伝え続けた被爆者。

こうした被爆者の体験に基づく貴重な平和への思いを伝えていくことが、ますます大切になっています。


しかしながら、米国とロシアが世界の核弾頭の約9割を保有し続け、またロシアによるウクライナ侵攻や混迷を極める中東情勢を背景に、世界中で軍備増強の動きが加速しています。

各国の為政者の中では、こうした現状に強くとらわれ、「自国を守るためには、核兵器の保有もやむを得ない。」という考え方が強まりつつあります。

こうした事態は、国際社会が過去の悲惨な歴史から得た教訓を無にすると同時に、これまで築き上げてきた平和構築のための枠組みを大きく揺るがすものです。


このような国家が中心となる世界情勢にあっても、私たち市民は決してあきらめることなく、真に平和な世界の実現に向けて、核兵器廃絶への思いを市民社会の総意にしていかなければなりません。

そのために、次代を担う若い世代には、軍事費や安全保障、さらには核兵器のあり方は、自分たちの将来に非人道的な結末をもたらし得る課題であることを自覚していただきたい。

その上で、市民社会の総意を形成するための活動を先導し、市民レベルの取組の輪を広げてほしいのです。

その際心に留めておくべきことは、自分よりも他者の立場を重視する考え方を優先することが大切であり、そうすることで人類は多くの混乱や紛争を解決し、現在に至っているということです。

こうしたことを踏まえれば、国家は自国のことのみに専念して他国を無視してはならないということです。


また、市民レベルの取組の輪を広げる際には、連帯が不可欠となることから、「平和文化」の振興にもつながる文化芸術活動やスポーツを通じた交流などを活性化していくことが重要になります。

とりわけ若い世代が先導する「平和文化」の振興とは、決して難しいことではなく、例えば、平和をテーマとした絵の制作や音楽活動に参加する、あるいは被爆樹木の種や二世の苗木を育てるなど、自分たちが日々の生活の中でできることを見つけ、行動することです。

広島市は、皆さんが「平和文化」に触れることのできる場を提供し続けます。

そして、被爆者を始め先人の助け合いの精神を基に創り上げられた「平和文化」が国境を越えて広がっていけば、必ずや核抑止力に依存する為政者の政策転換を促すことになります。


世界中の為政者の皆さん。

自国のことのみに専念する安全保障政策そのものが国と国との争いを生み出すものになってはいないでしょうか。

核兵器を含む軍事力の強化を進める国こそ、核兵器に依存しないための建設的な議論をする責任があるのではないですか。

世界中の為政者の皆さん。

広島を訪れ、被爆の実相を自ら確かめてください。

平和を願う「ヒロシマの心」を理解し、対話を通じた信頼関係に基づく安全保障体制の構築に向けた議論をすぐにでも開始すべきではないですか。


日本政府には、唯一の戦争被爆国として、また恒久平和を念願する国民の代表として、国際社会の分断解消に向け主導的な役割を果たしていただきたい。

広島市は、世界最大の平和都市のネットワークへと発展し、更なる拡大を目指す平和首長会議の会長都市として、世界の8,500を超える加盟都市と連帯し、武力の対極にある「平和文化」を世界中に根付かせることで、為政者の政策転換を促していきます。

核兵器禁止条約の締約国となることは、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会を含む被爆者の願いに応え、「ヒロシマの心」を体現することにほかなりません。

また、核兵器禁止条約は、機能不全に陥りかねないNPT(核兵器不拡散条約)が国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として有効に機能するための後ろ盾になるはずです。

是非とも来年開催される核兵器禁止条約の第1回再検討会議にオブザーバー参加していただきたい。

また、核実験による放射線被害への地球規模での対応が課題となっている中、平均年齢が86歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩にしっかりと寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。


本日、被爆80周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、決意を新たに、人類の悲願である核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、

そして思いを同じくする世界の人々と共に、これからも力を尽くすことを誓います。

2025(令和7)年8月6日
広島市長 松井 一實




  広島県知事 平和メッセージ 2025


被爆80年目の8月6日を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊に、広島県民を代表して謹んで哀悼の誠を捧げます。

そして、今なお苦しみの絶えない被爆者や御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。


草木も生えぬと言われた75年からはや5年、被爆から3代目の駅の開業など広島の街は大きく変わり、世界から観光客が押し寄せ、平和と繁栄を謳歌しています。

しかし同時に、法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、剥き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、私達は今、この繁栄が如何に脆弱なものであるかを痛感しています。


このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。

しかし本当にそうなのでしょうか。

確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。

一方で、歴史が証明するように、ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。

なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。


自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。

あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。

我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、身を以て示しています。


実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、核兵器使用手続の意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。

国破れて山河あり。

かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。

国守りて山河なし。

もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。

概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味あるのでしょう。


抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。

そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。

核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。


核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。

被爆で崩壊した瓦礫に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進み、最後は抜け出して生を掴んだように、実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標です。


“諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。そこに向かって這っていけ。”(THE NOBEL FOUNDATION, STOCKHOLM, 2017 広島県による翻訳※)

這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか。

広島県として、核兵器廃絶への歩みを決して止めることのないことを誓い申し上げて、平和へのメッセージといたします。

2025(令和7)年8月6日
広島県知事 湯崎 英彦




  内閣総理大臣あいさつ 2025


今から80年前のきょう、一発の原子爆弾がさく裂し、十数万ともいわれる貴い命が失われました。


一命を取り留めた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。


内閣総理大臣として、原子爆弾の犠牲となられた方々のみ霊に対し、ここに謹んで、哀悼の誠をささげます。


そして、今なお被爆の後遺症に苦しむ方々に、心からのお見舞いを申し上げます。



2年前の9月、広島平和記念資料館を、改装後初めて訪問しました。


80年前のあの日、立ち上るきのこ雲の下で何があったのか。焦土となり灰じんに帰した街。


黒焦げになった無辜(むこ)の人々。


直前まで元気に暮らしておられた方が4,000℃の熱線により一瞬にして影となった石。


犠牲者の多くは一般市民でした。


人々の夢や明るい未来が瞬時に容赦なく奪われたことに言葉を失いました。 


広島、長崎にもたらされた惨禍を決して繰り返してはなりません。


非核三原則を堅持しながら、「核兵器のない世界」に向けた国際社会の取り組みを主導することは、唯一の戦争被爆国であるわが国の使命です。 


核軍縮を巡る国際社会の分断は深まり、現下の安全保障環境は一層厳しさを増しています。


しかし、だからこそ、国際的な核軍縮・不拡散体制の礎である核兵器不拡散条約(NPT)体制の下、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現に向け、全力で取り組んでまいります。 



来年のNPT運用検討会議に向けて、対話と協調の精神を最大限発揮するよう、各国に引き続き強く呼び掛けます。


また、「ヒロシマ・アクション・プラン」に基づき、核兵器保有国と非保有国とが共に取り組むべき具体的措置を見いだすべく努力を続けます。


「核兵器のない世界」の実現に向け歩みを進める上で土台となるのは、被爆の実相に対する正確な理解です。 


長年にわたり核兵器の廃絶や被爆の実相に対する理解の促進に取り組んでこられた日本原水爆被害者団体協議会が、昨年ノーベル平和賞を受賞されたことは、極めて意義深く、改めて敬意を表します。 


今、被爆者の方々の平均年齢は86歳を超え、国民の多くは戦争を知らない世代となりました。


私は、広島平和記念資料館を訪問した際、この耐え難い経験と記憶を、決して風化させることなく、世代を超えて継承しなければならないと、決意を新たにいたしました。 


政府として、世界各国の指導者や若者に対し、広島・長崎への訪問を呼び掛け、実現につなげています。


資料館の年間入館者は、昨年度初めて200万人を超え、そのうち3割以上は外国からの入館者となりました。


日本だけでなく、世界の人々に被爆の実相を伝えていくことも、私たちの責務です。 



「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」は、施行から30年を迎えました。


原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、引き続き、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を進めてまいります。 


結びに、ここ広島において、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。


原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊の安らかならんこと、併せて、ご遺族、被爆者の皆さまならびに参列者、広島市民の皆さまのご平安を祈念いたします。 


「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」。


公園前の緑地帯にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれた、歌人・正田篠枝さんの歌を、万感の思いを持ってかみしめ、追悼の辞といたします。


2025(令和7)年8月6日

内閣総理大臣 石破 茂 




  日本被団協 被爆80年 声明


広島・長崎に原爆が投下され、人類が核時代に入って80年。


熱い夏が老いた身に格別にこたえます。


廃虚の中から立ち上がった先人たちが初めて表舞台に出た第1回原水爆禁止世界大会から70年の節目でもあります。


日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成の出発点になった画期的な年でした。


今や、被爆者健康手帳所持者は10万人を割り、平均年齢は86歳を超え、残された時間は少なくなりました。


一方で、核リスクは極限に達し、科学者が警告する「世界終末時計」が終末まで89秒とこれまでで最短時間を示すなど、かつてない危機に直面しています。


ウクライナやパレスチナ・ガザ地区の惨状、イスラエル対イランや印パの報復の連鎖•••••••,戦争は収まらず、いずれも核保有国が関わって第三次世界大戦、核使用の危機が増しています。


国際法も無視した核軍拡競争に、核拡散に歯止めがかかりません。


日本被団協は昨年、ノーベル平和賞を受賞しました。


私たちが一貫して訴えてきた「核兵器をなくせ」「戦争をなくせ」「ふたたび被爆者をつくるな」に今こそ耳を傾けようと、ノルウェー・ノーベル委員会が世界に呼びかけたのです。


危機感の薄さへの警鐘です。


裏返せば、国際社会が被爆者の声にすがらなければならないほど、危機打開の手立てに窮した表れとも言えましょう。 


今、最優先の課題は、私たちにそっぽを向いている核保有国を、そのリーダーたちを1ミリでも動かすことです。


「核軍縮から廃絶」と「核被害者援助」を進める唯一の実効力ある核兵器禁止条約に早く近づけることです。


それには、「唯一の戦争被爆国」を自称する日本政府の役割が不可欠ですが、同条約の締約国会議へのオブザーバー参加さえも拒否。


防衛費を増大し、有事を想定した日米演習に核使用を求めるに至っては、「核共有」へ進む危うさがぬぐえません。


国是の非核3原則の破壊、「核なき世界」への逆行を到底、許すことは出来ません。


「国家補償」を軍人・軍属には適用し、受忍論を盾に一般戦災者を置き去りにしてきた日本政府。


この憲法違反の不条理・不公正を是正せずして戦後は終わりません。 


また米国は、明白な国際法違反である核使用(原爆投下)の責任を逃れることはできません。


核時代を深化させた科学者の責任の重大さを問い、平和研究を強化する要請も急がなくてはなりません。 


私たちの運動は国内外の多くの支援のおかげで持続してきました。


この運動を次の世代のみなさんがさらに工夫して築いていかれることを期待します。 


私たちは、核兵器が人間とは共存できないことを、命ある限り訴えてまいります。 


国民と世界の皆さん、平和国家の道を確かにして人類の危機を救うため、ともに核兵器も戦争もない人間社会を求めてまいりましょう。 


2025(令和7)年8月5日

日本原水爆被害者団体協議会




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広島平和記念日 2025 / 被爆80周年の夏

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被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ
1925☆☆☆昭和100年記念☆☆☆2025
1945☆☆☆戦後80周年記念☆☆☆2025
Peace Memorial Ceremony, Hiroshima, Japan

  80周年の今年に語りたいこと


今年は被爆から、そして終戦から80年を迎える節目の年となる、広島平和記念式典です。

毎年、広島では平和について考えるさまざまな行事が行われますが、やはり節目の年となるとさらにさまざまな団体や個人の方が•••••••。

それぞれの方法で、できることをやろうとされ、その多様性から熱いものを感じ取れます。

反戦や反核を訴える人たちの活動から、80年間 日本が戦争をしなかったお祝いするお菓子屋さんとか。

80th Anniversary Memorial of the Atomic Bombing, Hiroshima, Japan

80th Anniversary Memorial of the Atomic Bombing, Hiroshima, Japan

Re-enactment of the aftermath of the atomic bombing, Hiroshima, Japan

思いはそれぞれであって、だからこそ思いを馳せるだけでも、世界平和や核兵器廃絶への第一歩になります。

皆さんも核兵器のない、平和な世界の実現のために、 自分たちにできることを考える日にしてみてはいかがでしょうか。


あの日 何が起こったのかを知ることは大切ですが、ではこれからも起こらないようにするにはどうしたら最善なのか。

広島平和記念資料館 = 原爆資料館へ行かれると、道端へ転がっている無数の、赤ちゃんや小学生の炭になった姿を目撃することになります。

Peace Memorial Park, Towa no Michi, Hiroshima, Japan

Symbol of peace, Orizuru Tower, Hiroshima, Japan

Symbol of peace, Orizuru Tower, Hiroshima, Japan

日本全国の都市で、毎日 昼夜問わずに繰り返された空襲。

多くの人々が被害に遭い大勢の命が失われてしまいましたが、中には同じように炭と化した人々が街中に、溢れ返った状況も無数にありました。

誰かは必ず誰かの大切な人•••••••,尊い命の犠牲の上に、今の日本がありますし、その御霊の優劣が亡くなり方や国籍によって存在するものではありません。

しかし1つだけ核兵器で ── 原爆で亡くなった人々は、少しだけ異なります。

Tram, damaged and abandoned streetcar, No. 651, Hiroshima, Japan


Enkobashi Town in 1945,Hiroshima Station and the Atomic Bomb Pump,Hiroshima, Japan

Tram, current No. 653, and its bombed pump, Hiroshima, Japan

かつて被爆者の中には、放射線を浴びて体調不良を発症された方々の中にも「戦争じゃけん仕方ない」と、そう言われる人もいました。

被爆者のことばで心情を表す「生きていてごめんなさい」とは、対を為すかのようなことばですが。

実は、植えつけられた同じ心の闇から生まれている心の声で、仕方ないのだと自分を諭すことばであって、それを聞いた非被爆者がことばのままに受け止めて良いものではありません。

炭になって道端へ安臥できた人は幸いである•••••••,そう言わせしめる根拠が、生き残った後の体調不良にあります。

Atomic bomb damage Pump,Groundwater pump,Tram,Enkobashi town, Hiroshima,JAPAN


A bridge used for both roads and railways,Kōjin Bridge,Soon to be closed,Atomic bomb heritage, Atomic bomb bridge, Hiroshima, Japan


New Hiroshima Station, No. 651 exhibited at the opening ceremony, Japan


放射線障害 ── 原爆症と呼ばれる体内から破壊が進む、悪魔の所業のような生命活動剥奪症候群は。

数日で人生を閉じてしまった人も多かった反面、今も御存命な方もおられますが、放射線による体内の細胞破壊は、その進行の速度が違うもの。

長く生きれば、生命活動剥奪の苦しみを長く味合うことになります。


イメージして下さい。

千羽鶴と「世界平和」の文字

折り鶴の千羽鶴、平和への願い

色とりどりの千羽鶴の吊り下げ装飾

洗濯した後や髪を切った後など、非常に小さな髪の毛が、被服の隙間に刺さって肌を刺激して、痛い未満の不快感を感じたことはありませんか?

それは服をよくはたいたり、ブラシやガムテープで対処したり、着替えたりすれば治まるものです。

が、その同じ不快感の根源が着ているものではなく、皮膚の中にあったら?

体の重ささや痛さとは別に、そういった不愉快な感覚が絶えず体のどこかにある毎日 ── そして今日は元気でも、明日は来ないかも知れない毎日。

折り鶴と平和への願い

色とりどりの千羽鶴が連なる様子

折り鶴に平和への願いを込めて

さっきまで普通に歩けたのが、突然 立つこともままならなくなり、しばらくすると再び元に戻る、の、繰り返しの人生。

核分裂の際に放出される中性子は体を通り抜けて行くため、さまざまな障害をもたらす上に、その惨劇から精神的ショックも計り知れません。

被爆直後から記憶を無くしたまま、数十年も人生を過ごして、記憶が戻らないまま人生を終える人もいました。

知能も低くなく知識や教養が高いにもかかわらず、思考回路の一部を失って善悪の区別を無くした人も、自覚がないまま人生を終えた人もいました。

平和を願う折り鶴アートと地球、虹色の文字

平和への祈り、色とりどりの折り鶴

平和を願う折り鶴と白鳩の絵

それでも、そうではない被爆者と同様に、細胞は毎日破壊され続け、被爆者特有の諸症状は日々進行し、甲状腺異常や白血病そしてガンなどを患います。

そう、生き残った後の苦しみが一生続くのが、放射線障害であって、前の2つのことばの真意となります。

これまで25年間続けてきました″被爆2世が語る 平和記念日と世界史″のシリーズですが、過去に「なぜ核兵器は廃絶しなければならないのか」について、述べたことがあります。

言うなれば、今回のこれが2つめの答えであると言っても、差し支えありません。

Four days that Japan must remember.
memorial service day,Hiroshima
memorial service day,Nagasaki
memorial service day,Okinawa
memorial service day,JAPAN
Peace symbol
ICAN symbol mark
SDGs


  原爆投下「正当化」に米 世代差


7月30日、全国の新聞で報じられた″原爆投下の正当化に米 世代差″の文字が、とても印象に残ります。

アメリカ調査機関ビュー・リサーチ・センター

は7月26日、広島と長崎への原爆投下について、合衆国の成人の35%が「正当化できる」、31%が「正当化できない」と答えたとする世論調査の結果を発表しました。

30歳未満では「正当化できない」 との意見が44%で最多だったようです。

平和記念公園の平和の灯

平和記念公園の火の灯る慰霊碑

平和記念公園の池と噴水

アメリカでは原爆投下が第二次世界大戦を終結させ、両国の戦死者をこれ以上増やさずに終わらせられたとして。

核兵器の使用を正当化する声が根強く語られてきましたが、その主張に陰りが生じていることが浮かび上がる結果となりました。

今回の調査は、人類史上初の核兵器実戦使用から8月で80年を迎えるにあたり、6月2~8日に実施して約5千人が回答したそうです。

設問の中で、原爆投下の背景を「深く知っている」「少し知っている」と答えたのは計88%に及び、核兵器開発がアメリカを「より安全にした」と回答したのは20%で、「より安全を低下させた」 と回答したのは41%だったようで。


平和記念日の献花と供花

広島平和記念資料館の被爆建物


噴水と都市のビル群

原爆投下に否定的な回答は若い世代になるほど増加の傾向が顕著で、「正当化できる」と「正当化できない」の回答は65歳以上では48%と20%、50~ 64歳で40%と27%でした。


しかし30~49歳では29%と34%へと逆転し、18~20歳はその差が広がり27%と44%でした。


また、原爆投下の是非が「分からない」との意見も成人の33%に%上り、同センターは他の調査にも触れて、原爆投下直後に回答の大多数を占めた肯定論の割合が、歳月の経過とともに低下したと指摘しました。

尚、党派別では与党 共和党寄りは「正当化できる」 が50%、「正当化できない」が 20%で、野党 民主党は 25%対12%だったようです。

イベント会場の芝生とテント

空とテントの屋根

原爆ドーム、平和記念公園の残骸

そして、広島原爆資料館を訪れた外国人約1,000人に、共同通信が実施したアンケートでは、広島と長崎への原爆投下を「正当化できない」と回答した人が7割超に上ることが判明しました。


資料館を見学後に、原爆投下を正当化できないと認識を変えた人もいたとのことで、そもそもの来館理由では、核兵器を巡る世界情勢への懸念を4割超の人が挙げました。 


広島原爆資料館での調査では、アメリカ軍による原爆投下は68.4%が「正当化できない」と回答。


正当化できると考えていたが「展示を見て考えが変わった」人が6.2%で、両方を合わせると74.6%に達していました。


被爆建物 レンガ壁の残骸

損壊したレンガ造りの煙突

古い建物の破損した壁と空

尚、「正当化できる」と答えた人は7.2%で、「分からない」と回答したのは12.8%でした。


その中でアメリカ人(196人)に限ると、「正当化できない」としたのは48.5%で、全体と比較し「正当化できる」は13.3%と2倍近くの人数が出ました。 


しかしアメリカ本国での調査と同様に、「正当化できない」と答えた人が、圧倒的多数となる意識の変革が現れたようです。


そして核兵器は「廃絶すべきだ」と回答した人が55.6%と過半数越えをし、「すべきだが現状困難」と答えたのは359%で、反対に「核廃絶はすべきでない」と答えたのは3.0%に留まったようです。 


被爆遺構、崩れたレンガの残骸

原爆ドームの残骸と平和への願い

石造りの遺構とレンガの壁

  1.01の法則は希望の輝き


広島でのアンケートは今年6~7月に実施し、1,012人が協力して、有効回答者は計62ヶ国・地域の1,000人と、かなりの高回答率だったようです。


過去の記事で、反核活動や平和運動に参加する人へ、これからのメッセージを綴ったことがありましたが、ICANや日本被団協のノーベル平和賞受賞が。

やはり地道な活動によって共感者が増えたことによる、世界規模での意識の変革が起こっていると、改めて深く感じるところです。

今の若い世代がやがて各国の官僚や政治家になり、首相や大統領にもなる時代が訪れた時に、現実と理想の狭間で、歴史が動き始めるものと信じます。


Peace Memorial Park,Motoyasu Bridge and Atomic Bomb Dome,Hiroshima, Japan


Walking,Mahatma Gandhi Statue,Motoyasu River Promenade,Hiroshima, Japan

Walking,Former site of the Hiroshima branch of the Agricultural Association,Memorial monument for the victims of the atomic bomb,Motoyasu River Promenade,Hiroshima, Japan

その頃には被爆者も被爆2世も、もうこの世に生存していない時代となっているのでしょうけれど、新たな核攻撃が防げれば被爆者が生まれ出ることはありません。

福島の原子力発電所の事故のような、新たな放射線障害者も誕生させないよう、未来のエネルギー政策にも期待はかかります。

今、人類は脱炭素・カーボンニュートラルに向かっているように、やがては脱原子力の時代が訪れるのか。

そんな世界を見ることは、私には叶いませんが、ちょっとしたきっかけで、そう言った世界規模の活動が盛んになる ── そんな夢は思い描いていたく思います。


Memorial for the high school girl victim,The Memorial Monument to the Victims of the Atomic Bomb Hiroshima Municipal Girls High School,Hiroshima, Japan


Norman Cains Memorial, Hiroshima, Japan


Barbara Reynolds Memorial, Hiroshima, Japan

昨年の8月6日の記事が「名作」だったと評価され、せっかくの80周年なのでそれ以上の記事を模索したのですけれど。

80周年だからこそ、今年はこんな感じの記事となりました。

被爆者の方々が核廃絶を訴え始めた時、それは誰もいない浜辺で海へ向かって叫び続けているような•••••••,誰にも声が 思いが届かない孤独感に包まれていたと話されていました。

80年が経ち、今、世界へ間違いなく浸透しつつある核廃絶は、まだまだ遥か遠くで輝く星のようではありますが。

日本被団協ノーベル平和賞と平和への願い


Panel Exhibition,Commemorating the Nobel Peace Prize to Nihon Hidankyo,Hiroshima Peace Memorial Museum,Japan


Nobel Prize Medal Relief

間違いなく未来への希望の光であることは、核心を持てる時代が訪れました。

私も何をどうするか手探りながら始めた活動参加でしたが、こうして25周年を迎える頃には、思いや考えをたくさん語るごとができるようになりました。

未来を背負う若い世代よ、臆することなく声を上げてください。

それが今を生きている証しなのですから。

1を何乗しても1でしかありませんが、ほんの少しだけ•••••••,1.01の力でも毎日頑張れば10年後には378に増えます。


Memorial Bell, Original Peace Bell, Hiroshima Peace Memorial Park, Japan


Peace Bell No. 2, Hiroshima Central Park, Japan


International Day of Peace, Peace Bell, New York City, USA

有名な1.01の法則ですが、この微小な努力を世界の1%の人が行えば、核兵器に原子力エネルギーさえも、一瞬で不用にしてしまうことが可能になります。

そこには必死な努力など必要なく、1人1人ができるレベルのことを継続すれば、脱原子力はある日突然やってきます。

核兵器は小さな太陽を地球上で発生させる莫大なエネルギーですが、原子力発電はそのエネルギーを利用した ── ただの水力発電です。

核エネルギーに代わる代替エネルギーは、今の科学技術力でいくらでも選択肢はあるものの、利権と言うしがらみで実現が不可能に陥っているだけです。


桜の花と緑の背景


World Heritage,Island of the Gods,Sakura,CherryBlossom,Miyajima,Japan


World Heritage,Island of the Gods,Sakura,CherryBlossom,Miyajima,Japan

核兵器の無効化も、核の連鎖を止めれば核爆発は起こらないので、今の科学技術で実現は簡単なのにもかかわらず、核保有に超大国の3ヶ国が並んでいるからです。

核の抑止力と言う傘の下にいる国々は、核保有国のパワーバランスによって守られているので、親分国を崩壊させる核兵器無効化の開発など、行う由もありません。

だから、次世代を担う若者の意識改革が重要になってくるのですが、そういう人たちが先進国や核保有国の中枢を担うこととなっても。

直ぐには核廃絶へは世界は動かず、その「時」が訪れるのを待つしか為す術はありません。

願わくば、その「時」が訪れるまで、核戦争が勃発しないで欲しく感じます。


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