
スワローエンゼル近況 -② / 京都鉄道博物館
C62 2 脱線 その後 -②
蒸気機関車の記事でありながら、ブルートレインの写真から始まる安芸もみじです(笑)
トワイライトプラザを歩いていると、24系客車 オロネ24形の窓から、SLひろばの蒸気機関車が、珍しく見えることに気づきました。
普段は、ここから見える位置に止められていないので、何はともあれすかさず写真を撮ります。
実はオロネ24形の方向幕が、いつも″特急日本海 大阪″の表示なのですが、この日は″特急日本海 青森″になっていました。


例年だと概ね年3~4回、京都鉄道博物館へは訪れるのですが、今年は諸事情で2月2日に銀河鉄道999展へ行ったっきり。
この10ヶ月の間に、ひょっとしたら私の切望している「特急日本海 函館」の表記も、掲出していたカモ知れません。
日本海と言う列車、日本を表すことばではなく、日本そのものが列車名となっている、独特な響きと郷愁があるネームド トレインですが。
歴史的にはC57-1号機が土石流に遭遇して、脱線 転覆したのは、急行時代の日本海でした。



そんな思いを胸にSLひろばへ出てみれば、オロネ24から見えていた8620形 8630号機の奥隣には、テンダー = 炭水車を失ったスワローエンゼルの姿がありました。
先端部から見れば、C62-2号機と8620形8630号機、そしてC61-2号機と言う、旅客機の名機によるトリオの景観です。
C62-1号機とはほぼ正対する位置でもあったので、1号機・2号機で向かい合ってる姿も、抑えておきたくて。
新製時は共に広島機関区へ配置され、その後、宮原・函館と転任して特急つばめや急行ニセコを牽引し、引退時に梅小路へ帰ってきた2号機。




晩年は広島鉄道学園の校庭へ学習教材として静態保存されていた1号機と、栄光の列車を牽引し続けて、今はSLスチーム号の牽引機として余生を過ごす2号機。
動けなくなった2号機と動かない1号機は今、どのような思いで向き合い、何を語り合っているのか、私には聴き取ることは叶いません。
でも、普段は決して見られる姿ではないC62形 蒸気機関車の、貴重な炭水車の無い運転席回りを、こうして観察できる機会となっています。
キャビン = 運転室の床下へ伸びる謎の筒は、整備士でなければ一生 お目にかかれない、伝説のストーカー = 自動給炭機の″給炭管″部分。




1号機が完成する際に、自動給炭機は満鉄で使われていた大型のものしかなく、急遽 設計されたC62形専用のマシンです。
2号機も完成時にはパシナ形と同型の物を搭載していたと伝わり、広島時代に正規品と交換されたと言われています。
国鉄広島工場 ── 現在のJR貨物 広島車両所での換装でした。
パシナ形の自動給炭機は大阪発動機 = ダイハツ工業製のものでしたが、C62形専用はどこのメーカーのものなのか、それとも国鉄オリジナルのものなのか•••••••,それは分かりません。



C62形が特急あさかぜなど寝台特急を牽引していた時代は、広島ではなく徳山~下関間がまだ非電化で、しかも流れ星マークを挿す制度も無かったのですけど•••••••,ちょっとイタズラ心です。
1号機側から2号機も撮ってみましたが、その2号機のテンダーはどこにいるのと言えば、12月13日は扇形庫の中で、修復作業中となっていました。
そのスワローエンゼルのテンダー右側 ── 冒頭は24系ブルートレインから始まった今日の記事ですが、ラストはガラスの向こうに見える青い車体 ── 何だか気づきましたか?
↑↑ステレオグラフもとき・交差法↑↑
分かり辛いのですが、元祖ブルートレインの20系客車 ナシ20形で〆となります ── だったのですけれど、プロムナードへいるC62-50号機も最後に(笑)
これは2月2日の″銀河鉄道999展″での写真なんですが、本来はステレオグラフにする積もりで撮った写真ではないんですよ。
日頃、立体視をしない人にはキツいかも知れませんが、ちょっとソレっぽく見られるので、疑似ステレオグラフに加工してみました。
今年1月8日に発生したC62-2号機は、999号としてSLスチーム号の牽引をし、最終便運行後に脱線したのですが。
予算も手間も必要ながら、時間をかけてゆっくりと確実に、その確かな技術の下で修復されつつあると、現場を見てそう感じることができました。
-安芸もみじ⛩️広島-

















