からの続きです
ペテロシリーズ#34<vi>
クリスチャンの行動規範 (第一ペテロ2章11-25節)
ロバート・D・ルギンビル博士からの翻訳
神を恐れ、王を敬いなさい(17節):
……神を恐れ、王を敬いなさい。(第一ペテロ2章17節後半)
この二つの命令は、その直前の二つの命令と直接対応していますが、
ここでは順序が逆になっており、(いわゆる「交差配列[キアスムス]」)
世俗的なものが後に、霊的なものが先に置かれています。
このような配列には、キリストにある兄弟姉妹に対する私たちの霊的な責任と、
神に対する私たちの義務とを並べて置き、その両側を、この世の事柄に対する私たちの義務、
すなわち私たちが出会う不信者たちと、この現在の世を支配している権威の仕組みに対する
義務を述べた命令で囲む、あるいは包み込むという利点があります。
ほとんどの人の目に入るのは、確かに数もはるかに多く、
目にも見えやすい外側の二つだけです。
しかし、イエス・キリストに属する私たちは、すべての栄光があるのは、より尊く、
目には見えにくい内側の霊的な二つの責任であることをよく理解しています。
すなわち、兄弟たちを愛し、主を畏れ敬うことこそ、
この地上における私たちの真の霊的な焦点であり、この地上にいる本質的な理由なのです。
この世がそれとは異なる考えを持っていたとしても、そのことに変わりはありません。
主を恐れることは知恵のはじめである。
その戒めを行う者はみな、良い悟りを持つ。
主への賛美はとこしえに続く。
主を恐れることは知恵のはじめであり、聖なる方を知ることは悟りである。
(箴言9章10節)
愛は積極的な動機となります。
私たちは、兄弟たちを助けたいという心からの願いによって、
正しいことを行うよう促されます。
しかし、恐れ、すなわち畏敬もまた、私たちを動機づけます。
私たちが何よりも避けたいのは、主を不快にさせることです。
(そして、主の愛ある懲らしめを受けることです:へブル12章5-13節)
神は恵みによって、この両方を私たちに与え、私たちが左にも右にもそれることなく、
まっすぐ道を歩み続け、自分の十字架を負って、シオンへと続く高き道を
ひたすら前へ進んでいけるようにしてくださっています。(詩篇84篇5-7節)
そして、一方では、仲間のクリスチャンに対する正しい愛の態度によって、
(それは、彼らの霊的な必要に仕えることに表れます)
また他方では、主を正しく畏れ敬うことによって、(聖なる歩みをし、霊的成長、前進、
実を結ぶ働きにおいて、この世で主が私たちに望んでおられることを行うことによって)
私たちが正しく自分自身を動機づけているなら、すべての人(不信者を含む)を敬い、
王(あらゆる権威を代表するもの)を敬うという、外に向けられた二つの命令も、
私たちが愛する救い主にとって最も重要なことに焦点を合わせ続ける中で、
おのずと果たされることになります。
律法全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」
という一つの言葉によって全うされるからである。
(ガラテヤ5章14節; 参照:マタイ22章36-40節;ローマ13章8-10節)
第一ペテロ2章17節のこの文脈にある四つの命令を合わせて考えると、
それらは、この世にいるクリスチャンとしての、この世に対する私たちの責任のすべてを、
そしてまた、私たちの主とその御体である教会に対する責任のすべてを要約しているのです。
(9) それゆえ、[クリスチャンとして]この体にいるにせよ、この体を離れているにせよ、
私たちの願いは、主に喜ばれる者となることである。
(10) なぜなら、私たちはみなキリストの裁きの座の前に立ち、
それぞれが、この体を通して成し遂げたことに応じて、それが良いものであれ、
価値のないものであれ、その報いを受けなければならないからである。
(11) それゆえ、私たちは主を恐れることを知っているので、
人々を説得しようと努めているが、神には、私たちが[本当は]
どのような者であるかがすべて明らかである。
そして、私たちが[本当は]どのような者であるかが、
あなたがたの良心にも同じように明らかであると、私は信じている。
しもべたちよ、十分な敬意をもって主人に従いなさい(18節):
しもべたちよ、十分な敬意をもって主人に従いなさい……
(第一ペテロ2章18節前半)
ここで「しもべ」と訳されているギリシヤ語 oiketes は、
「家の一員」という意味で、実質的には奴隷と同義です。
というのも、一世紀のギリシヤ・ローマ世界では、親族だけでなく奴隷も含む大きな、
(時には非常に大きな)家が一般的だったからです。
(30) そして、ふたりを外に連れ出して言った。
「先生がた、救われるためには、何をしなければならないでしょうか。」
(31) ふたりは言った。「主イエス・キリストを信じなさい。
そうすれば、あなたもあなたの家の者たちも救われる。」
(32) そして、ふたりは彼と、その家にいるすべての者に主の言葉を語った。
パウロとシラスがピリピの看守とその家の者たちに福音を伝えたこの記述は、
現代人には奇妙に思えるかもしれませんが、当時の慣習、
そして古代一般の慣習には非常によく合っています。
家は社会の基本的な単位であり、その長に従って、一つのまとまりとして
行動する傾向があったのです。(エレミヤ35章2-19節参照)
ですから、この使徒たちの宣教によって看守の家の者たち全員が主に立ち返ったとしても
不思議ではありません。
そして、当時のギリシヤやローマの多くの家でも、家の者たち全員、
あるいはほぼ全員が信者となったことがあったと考えられます。
いずれにせよ、新しく信者となった者たちの多くは奴隷であり、
彼ら自身が(さらには主人までもが)キリストを信じるようになったからといって、
奴隷の身分から解放されたわけではありませんでした。
奴隷制度は恐ろしいものですが、世界史上ごく最近まで、至るところに存在する制度でした。
福音はすべての人に死からの解放を約束していますが、
この世のほかの苦難からの解放を約束しているわけではありません。
救われたからといって、病気がいやされるわけではなく、負っている金銭上の負債から
解放されるわけでもありません。
救われたからといって、結婚上の義務から解放されるわけでもありませんし、
(第一コリント7章12-16節参照)
そのような大いなる救いを与えられる前に
奴隷であったなら、奴隷の身分から解放されるわけでもありません。
そうである以上、聖霊に導かれたペテロにとって、
奴隷のくびきの下にあった新しい信者たちが、以前にもまして敬意を払い、
自ら進んで従いながら、その身分において忍耐し続ける義務があることを
確認するのは重要なことでした。
結局のところ、信者が救いの時に受ける真に重要な身分の変化は、
地上のものではなく、天に属するものだからです。
(21) 奴隷である時に召されたのか。そのことを気にしてはならない。
しかし、自由になることができるなら、むしろその機会を用いなさい。
(22) 奴隷であって主にあって召された者は、主によって自由にされた者であり、
同じように、自由人であって召された者は、キリストの奴隷だからである。
現代の世界にも奴隷制度が存在しないわけではありません。
(ただし、その大部分は違法であるため、一般には目につきません)
しかし、生計を立てるために働かなければならない私たちは皆、
健康や住まいや家族を維持するために必要な賃金に、
ある意味で「奴隷」となっているとも言えます。
古代ギリシヤのあることわざにあるように、貧しいとは生活のために
働かなければならないことであり、極貧とは他人のために働かなければならないことです。
そして、私たちの大部分は後者に当てはまります。
そのため、信者である奴隷の正しい振る舞いについて新約聖書に与えられている教えは、
雇用主のもとで働く私たちの大部分にも当てはまります。
聖書的に言えば、雇用主は事実上、私たちの主人に相当するからです。
(5) 奴隷たちよ、肉による主人に、恐れおののきつつ、真心をもって、
キリストに従うように従いなさい。
(6) 人に喜ばれようとする者のように、目の前だけで仕えるのではなく、
キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、
(7) 人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。
(8) 奴隷であれ自由人であれ、だれでも良いことを行えば、
その同じものを主から受けることを知っているからである。
(22) 奴隷たちよ、肉による主人に、すべてのことにおいて従いなさい。
人に喜ばれようとする者のように、目の前だけで仕えるのではなく、
神を恐れ、真心をもって従いなさい。
(23) 何をするにも、人に対してではなく主に対してするように、心から行いなさい。
(24) あなたがたは、主から相続という報いを受けることを知っているからである。
あなたがたが仕えているのは主キリストである。
(25) しかし、不正を行う者は、自分の行った不正に対する報いを受ける。
そこにはえこひいきはない。
(1) くびきの下にある奴隷たちは皆、自分の主人を十分な尊敬に値する者とみなしなさい。
それは、神の御名とその教えとがそしられないためである。
(2) また、信者である主人を持つ者たちは、
彼らが兄弟であるからといって軽んじてはならない。
むしろ、いっそうよく仕えなさい。
その奉仕によって益を受ける者たちは、信者であり、愛されている者たちだからである。
これらのことを教え、勧めなさい。
もちろん、重要な違いもあります。
機会があれば、私たちは一つの仕事を辞めて別の仕事に移る自由があります。
しかし、私たちの大部分が人生のどこかで経験しているように、
良い仕事を見つけてそれを続けること――あるいは、より良い仕事に移ること――は、
必ずしもそれほど容易ではありません。
いずれにせよ、雇われている間は、私たちを雇っている組織や個人に対して、
誠実に仕える義務があります。
それは、真の主人がイエス・キリストである者にふさわしい仕え方、
すなわち、主に栄光を帰し、私たちがその御名によって呼ばれる祝福を受けている、
その栄光ある御名に何のそしりも、もたらさない仕え方なのです。
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日々のデボーションの為には【休息と癒し】のサイトに掲載されている
過去記事の「ひとしずく」も、どうぞお役立てくださることをおすすめします
はじめての方へ | 休息と癒し (kyusokutoiyashi.jp)

「ダーク・トゥ・ライト」https://darktolight.jp
私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
また、ご意見、ご感想、また
「オーディオクラス」に関心のある方は、
shizuku365@proton.meまでご連絡ください。
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苦しみにあったことは、わたしに良い事です。
これによってわたしはあなたのおきてを
学ぶことができました。
(詩篇119:71)
感謝します
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(備忘録)
昨日、早速大家さんに、二階の窓から一階の押し入れへの雨漏り修理を
お願いに行きました
すぐに業者の方に連絡して下さったのですが、台風後のこともあり
他にも仕事が何件も入っているため、暫く待たないといけないようです
それでも、良かったです
(大変な被害に遭われている方々の為に、お祈りしています)![]()
大家さんはお彼岸で、これからお墓参りに行かれるとのことで
💐白い花束を抱きかかえていました
数年前に御主人に先立たれ、今は独り暮らしされています
🌰栗をお裾分けに持っていくと、
「お店で見かけて買おうか迷ったけど、買わなくて良かった![]()
山の香りがするわね~
」としみじみと栗を見つめて
「感謝ね~」と撫ででいました
肉体の死は誰にとっても、いつ訪れることか分からないけど
生きている間も、天に目を向けて歩き続けられたら
それで十分しあわせだと思いました
感謝します![]()
一昨日、久しぶりに四十年来の友人から電話があり
近況を分け合いました
(2番目の子供が生まれた頃、隣に引っ越してきて、イエス様の事を話し受け入れた人)
昨夜も久しぶりに、高校時代からの友人から電話があり、近況を分け合いました
(彼女はイエス様の事を話したクラスメイトで最初に受け入れてくれた人)
彼女達がイエス様を受け入れてからの人生は、そんな容易いものではなかったので
私は長い間、時々「もしも、私が何も話さなければ良かったのだろうか?」
と思う事もあったので、思い切って聞いてみると、
「たとえ、誰から、いつ、聞いたとしても、選んだのは私の選択です
それに、今もこうして繋がっていられるのは、普通ないよね
私とあなたは全く違う性格だし…」と
こうして今も繋がっていられるのは、イエス様なんだなぁ…とつくづく思います
いつも会って話している訳でもないのに、40年、50年と
祈りの中で繋がっている友を与えて下さったのはイエス様です
そして、その祈りは小さくて何の力もないように思えても
実は大きな力で働いているのだという事を
感謝します![]()
ホソバアキノノゲシ
柿が鈴生りだね![]()
木から落ちた柿の甘い匂いに誘われて
🦋蝶が蜜を吸いに来たのかな
ごはんにゃ![]()
ごはんにゃ![]()
![]()
今日もありがとう~![]()




