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ペテロシリーズ#32 <i>
霊的に成長するための挑戦 (第一ペテロ1章22-25節 )
ロバート・D・ルギンビル博士著からの翻訳
第一ペテロ1章22-25節
(22) あなたがたは今、真理に従うことによって心を聖別したのだから、
兄弟愛が偽りのないものとなるよう、互いに固く愛し合いなさい。
(23)[なぜなら、あなたがたは]朽ちる種からではなく、
永遠に生きて存続する神のみことばによって、新しく生まれたからである。
「すべての肉なる者は草のようであり、
その栄華はすべて草の咲かせる花のようである。草は枯れ、その花は地に落ちる。
(25) しかし、主のみことばは永遠に存続する」。
これこそ、あなたがたに伝えられた良い知らせのみことばである。
はじめに:
個々の節の釈義に進む前に、この四節を貫く中心的な主題は、信者が救われた後も、
救いへと導いたのと同じ良い取り組み方と歩み方を続け、それによって成長し、前進し、
主のために実を結ぶ必要があるということである、と指摘しておくべきでしょう。
私たちは今、真理によって神の御前で聖なる者とされ、聖別されました――
すなわち、立場上の聖別です。(福音を信じることによって、恵みにより救われたのです)
そして、それ以後も同じようにクリスチャンとしての歩みを進めることが
私たちに求められています。すなわち、同じ神のみことばを信じ、
それを適用することによって、経験的聖別を追い求めることです。
それによって、キリストと共に歩む私たちの行動と、その御体である教会に仕える
私たちの働きが、今や「キリストにある者」として私たちが持っている
すばらしい立場にふさわしいものとなるためです。
私たちを救ったみことばという同じ種こそ、今や私たちが、自分の人生に対する
主のみこころを成し遂げるために、引き続き細心の注意を向けなければならない
神のみことばそのものです。
なぜなら、この世にある真理以外のすべてのものは取り除かれてしまいますが、
神のみことばは永遠に存続するからです。
私たちもまた、その同じ神のみことばによって新しく生まれたのですから、
愛する主と共に永遠に存続します――そして救いの後も、
みことばに注意を払い続け、それを自分の人生に適用することによって勝ち取った報いを、
永遠に楽しむことになるのです。
しかし、あなたがたが到達したところに応じて、同じ道を
(すなわち、真理を受け入れ、信じ、適用することによって)歩み続けよう。
(ピリピ3章16節)
(6) それゆえ、あなたがたが[初めに]主キリスト・イエスを
受け入れたのと全く同じように、[まさにその同じ方法で]彼にあって歩みなさい。
(7) 彼に根ざし、彼にあって建てられ、教えられたとおり信仰に堅く立ち、
感謝にあふれなさい。
聖別された心:
私たちはすでに、聖別と聖さ(神学的には同義語)が、罪と悪から分離されることに
関するものであることを見てきました。
神は完全であり、罪と悪から絶対的に分離しておられます。
ですから、その御名によって召された者たちもまた、そのようであるべきです。
私たちはイエス・キリストを信じる時、身分的な意味で聖別され、聖なる者とされます。
新しく生まれた時、神は私たちを聖なる者、聖別された者、
そして今や神と御子に永遠に属する者として、この世から取り分けられた者と見なされます。
当然ながら、救いの時点で、私たちは現在の一時的な体に巣食っている罪の性質を
取り除かれるわけではありません。
そのため、「この朽ちるものが朽ちないものを着る」復活の時までは、
実際の意味で罪から完全に解放されることはありません。(第一コリント15章53節参照)
愛する主の再臨の時に、この祝福された望みが成就することによって、
私たちの最終的聖別が実現します。その時、私たちは主がそうであられるのと同じように、
永遠に完全に聖なる者となるのです。
救いと永遠との間、この悪魔の世において、すべての信者には
「聖化を追い求め」(へブル12章14節)、
「神を恐れて全く清くなる」(第二コリント7章1節 /NKJV訳)ことが求められています。
これは神学的に「経験的聖別」と呼ばれるものであり、
イエス・キリストを信じるすべての者が日々携わるべき、聖さを追い求める歩みのことです。
しかし、すでに見てきたように、私たちが身につけ、この世に示すべきこの聖さは、
単なる外見上の問題ではありません。それは単なる演技であってはならず、
私たちの箇所の言葉で言えば「偽善的」であってはなりません。
昔のパリサイ人たちがそうであり、今日のさまざまな律法主義的集団もそうです。
(「偽善」という語はギリシヤ語に由来し、語源的には「演技をすること」を意味します)
むしろ、真の聖別とは、主に対する本物の愛から生じる
、主に喜ばれる生活を形成していくことです。
さらに私たちは、こうした本物の聖別(単に外見上「聖く」見える振る舞いとは対照的なもの)は、外側だけを整えることによって成し遂げることはできないということも見てきました。
私たちの主が「白く塗った墓」と呼ばれたパリサイ人たちのように、
あるいは、内なる人を実際には変えないまま、目立つ特定の行動だけを避ける
律法主義的集団のようにです。
(しかも、その行動自体が場合によっては罪ですらないこともあります)
本物の、神にかなった聖別と真の聖さは、内側から外側へとしか形成され得ず、
決して外側から内側へと形成されるものではありません。
本当に聖くあるためには、主イエス・キリストと非常に近く歩まなければなりません。
そしてそれは、霊的成長によってのみ可能です。
すなわち、神のみことばの真理を学び、それを心から信じ、そして御霊によって
それを日々の歩みに適用することによってです。
だからこそペテロは、この22節で、真の聖別が行われる場所を「あなたがたの心」と明記し、
また、この手紙の受け手たちがすでにそれを行っていた手段も、「真理に従うこと」によって
と明記しているのです。
つまり、本物の聖別を追い求めるには、私たちの内側、心の中が変えられなければならず、
それは神のみことばとその真理を学び、信じ、自分の生活に適用することによってのみ
成し遂げられるのです。
(14) わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。
この世は彼らを憎みました。
彼らは、わたしがこの世のものではないように、この世のものではないからです。
(15) わたしがお願いするのは、彼らをこの世から取り去ることではなく、
悪しき者から守ってくださることです。
(16) 彼らは、わたしがこの世のものではないように、この世のものではありません。
(17) どうか、あなたの真理によって彼らを聖なる者としてください。
(すなわち、「聖別してください」)あなたのみことばは真理です。
(18) あなたがわたしをこの世に遣わされたように、わたしも彼らをこの世に遣わしました。(19) 彼らのために、わたしは自分自身をささげます。
それは、彼らもまた真理によって聖なる者とされる(すなわち、「聖別される」)ためです。
ペテロの手紙が読み上げられるのを最初に聞いた人たちは、疑いなく皆、信者でした。
ですから、少なくとも彼らは、新しく生まれた時に、その心が身分上聖別されていました。
しかし、信者にとって、この世の人生においてそれで終わりではありません。
私たちは救われた後も、ある目的のためにこの世に残されています。
そのためペテロは、読者たちに、クリスチャン生活の次の段階へ進むよう勧めているのです。
すなわち、最大の戒めである愛を実践することによって、
主との歩みにおいて霊的に前進することです。(第一コリント13章13節参照)
兄弟愛が偽りのないものとなるよう、互いに熱心に愛し合いなさい:
主がマタイ22章36-40節で教えておられるように、律法全体とすべての預言者は、
最大の戒め、すなわち、心を尽くして主を愛することにかかっています。
また主は、同じ文脈で、その第二の戒め――本質的にはそれと対をなすもの――は、
「自分自身のように」隣人を愛すること(とりわけ、仲間の信者を愛すること)
であるとも教えておられます。
ここで徳としての愛を勧めるにあたり、ペテロは主への愛よりも、
キリストにある兄弟姉妹への愛,(すなわちフィラデルフィアphiladelphia、「兄弟愛」。
「互いに愛し合いなさい」という言葉からも明らかです)に重点を置いています。
それは、同じ使徒であるヨハネが私たちに、
「目に見える兄弟姉妹を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできません」
と語っているからです。(第一ヨハネ4章20節/NIV訳)
私たちの内にあるすべてをもって主を愛するという第一の徳を実際に示そうとするなら、
キリストにある兄弟姉妹を愛することは絶対に欠かせない前提条件なのです。
キリストにある仲間の信者たちに対するこの互いの愛は、単なる演技、見せかけ、
偽善によって行われるものであってはならず、実際、そのようなものであることはできません。
イエスにある兄弟姉妹への本物の愛は、単なる受け身の口先だけのものではあり得ない
という意味が大きいことを明らかにするために、ペテロは、互いに愛し合うよう命じる中で、
それを「熱心に」行うよう付け加えています。
(ギリシヤ語エクテノースektenos、すなわち「限界まで引き伸ばして」)
困っている人に、「安らかに行きなさい、暖まって、腹いっぱい食べなさい」と言うことは、
愛があるように見えるかもしれませんが、(ヤコブ2章16節)
ヤコブがそこで語っているように、そのような空しい言葉には「何の益もありません」。
ですから、ペテロがここで私たちに語っているのは、
仲間のクリスチャンに対する私たちの態度をどう持つかということだけではありません。
(もちろん、それもその一部ではあります)
この勧めにおける彼の本当の重点は、いわば「言うだけでなく、実際に行動で示す」よう
私たちに求めることにあります。
ヤコブの例で言えば、それは、物質的な必要にある兄弟姉妹を実際に助けることを意味します。
大部分の場合、私たちが兄弟姉妹に与える最も効果的な奉仕は、
自分の霊的賜物を正しく用いることによってなされます……
それによって、キリストの御体が、本来意図されているとおりに機能し、それぞれの部分が、
ほかの部分に欠けているものを補うのです。
実際、賜物には多くの種類があり、賜物の組み合わせにも多くの種類があり、
まして奉仕にはさらに多くの種類があります。
(そして、この点について、目に見える伝統的教会が認めているものだけを考えるようになっては決してなりません)
ですから、すべての信者は、(可能であり、本当に必要としている人がいるなら)
与え、祈り、励ますべきですが、(たとえば)私たち一人一人には、
イエス・キリストご自身によって選ばれた特別な奉仕の領域があります。
それは、私たちが御霊から受けた賜物の組み合わせと完全に調和しており、
その働きの結果は父によって定められています。(第一コリント12章4-6節参照)
そして、これをこの章の文脈で考えるなら、その意味するところは、
奉仕によって兄弟姉妹を助け、実際に効果のある仕方でキリストにある兄弟姉妹を
愛することができるところまで到達するためには、
霊的成長と前進を続ける必要があるということです。
クリスチャンとしての前進の過程の頂点――すなわち、すべての信者に対して、熱心で、
偽善のない愛を実際に示すところ――を強調することによって、
ペテロは暗に、その祝福された地点に到達するために必要なことをすべて行うよう
私たちを励ましています。
すなわち、神のみことばの真理によって成長し、その真理を適用することによって
生じる試練を通過しつつキリストとの歩みにおいて前進し、そしてついには、
私たちがこの地上に置かれ、御霊によって賜物を与えられた目的である奉仕を
始めることによって、ほかの人々を助けることができるところにまで到達することです。
そこにおいて私たちは、
「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛せよ」
という最大の戒めを、本当の意味で実行し始めることができるのです。
(ルカ10章27節/NKJV訳; 申命記6章5節; マタイ22章37節参照)
#32<ii>に続く![]()
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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
また、ご意見、ご感想のある方は、
shizuku365@proton.meまでご連絡ください。
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わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、
神からいただく建物、
すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、
わたしたちは知っている。
(第2コリント5:1)
感謝します
*:..。o○☆゚・:,。*
ハツユキソウ
ハツユキカズラ
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(備忘録)
最近、洗濯機の蛇口とホースの繋ぎ目から水がポタポタ…![]()
日に日に量が増えて落ちてきたので
水道の蛇口のパッキンなのか?蛇口とホースを繋ぐニップルなのか?
ホースの劣化か?と思い、近くの家電量販店の店員さんに聞いてみた
「何とも言えないですね、消去法で試してみるしか…」と言うので
取り合えず、新しいホースを買って試してみた
しかし、まだポタポタ…![]()
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結局、晴れ間を見て、再びお店に戻って修理を頼むことに…
当日すぐには来てもらえないかもしれないと思いましたが
夕方には何とか来てくれると…(かなり忙しいらしい)
ところが電話が来て、午後2時には来て下さる事になって
おじさんが来るのかなぁ…と思っていたら(失礼<m(__)m>)
駐車場を開けておいたのですが予想以上に大きなトラックが
家の前に止まり、中から物腰柔らかく
凄く素敵な青年が降りてきてびっくり![]()
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レスキュー隊のように、ササッと直して下さり
次のお仕事に向かいました(別の場所に向かう途中だったようです)
(修理はニップル部分の交換でした)
洗濯機を使って、安心してお洗濯できることを
感謝します![]()
明日からまた全国的に雨が続きますが
皆さんの地域が守られますように
身に起こるすべての事から学び
今あるものに十分感謝することが
できますように
お祈りします![]()
まいったにゃ~![]()
今日もありがとう~![]()





