からの続きです
パウロのヘブル人への手紙 3章 <27>
Ⅳ. 逐語解釈 :
15~16節
(15)「きょう、もし御声を聞くなら、
荒野での試みの時の反逆においてしたように、
あなたがたの心をかたくなにしてはならない」
と言われているとおりです。
(16)さて、[主の言葉を]聞いていながら神を怒らせたのは、だれでしたか。
それは、モーセに率いられてエジプトを出た者たちすべてではありませんでしたか。
(ヘブル3章15-16節)
ここで引用されている詩篇95篇が想起させる戒めの物語において、
出エジプトの世代は、実際には主が彼らのために重ねて示された
多くの恵み深い働きに応えませんでした。
パウロがここで強調しているのは、彼らがイスラエル人であり、
アブラハムの子孫であり、神がエジプトから、パロとエジプト人の手から、
驚くほどの奇跡によって救い出された特別な民であったとしても、
それだけで神の裁きから免れることはなかった、という点です。
彼らは過越の夜に血によるしるしを戸口に塗り、
死の御使いを免れ、(出エジプト記12章13節)
また分かれた紅海を「信仰によって」渡りました。(ヘブル11章29節)
しかし、その最初の信仰にもかかわらず、
また彼ら自身が目撃し体験した数々の驚くべき奇跡にもかかわらず、
その信仰は持続しませんでした。
彼らは荒野の放浪の中で、絶えず神(そしてモーセ)を試み続け、
その結果、ついには神が彼らの大多数を滅ぼされるという結末に至りました。
(1)兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。
わたしたちの[霊的な]先祖(すなわち出エジプトの世代)はみな雲の下におり
(つまり栄光の臨在によって守られており)、みな海を通り、
(2)みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
(すなわち、彼と一体となり、同じ守りと救いを受けたのです)
(3)また、みな同じ霊の食物(すなわち神から与えられたマナ)を食べ、
(4)みな同じ霊の飲み物(すなわち神から与えられた水)を飲んだ。
すなわち、彼らについてきた[重要な意味を持つ]霊の岩から飲んだのであるが、
この岩はキリストにほかならない。
(5)しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、
荒野で滅ぼされてしまった。
(6)これらの出来事は、わたしたちに対する警告(の実例)であって、
彼らが悪をむさぼったように、
わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
(7)だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。
すなわち、「民は座して飲み食いをし、
また立って踊り戯れた」と書いてある。
(すなわち、宴会の後、偶像礼拝的儀式にふけったのです)
(8)また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。
不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
(9)また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。
主を試みた者は、へびに殺された。
(10)また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。
つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
(11/NIV訳)これらの事が彼らに起ったのは、他に対する実例としてであって、
それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する
警告のためである。
(12)だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
(13)あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、
のがれる道も備えて下さるのである。
(第一コリント10章1-13節)
出エジプトの世代は「モーセにバプテスマされた」、すなわち彼と密接に結びつけられ、
彼と一体視されていました。
(というのも、この語のギリシヤ語本来の意味は
「一つのものを別のものの中に浸して、両者を強く結びつける」ということだからです)
そして彼らはある程度まで、この偉大な神の人である
モーセの保護のもとにあるという理由だけで、祝福を受け、恩恵にあずかっていました。
たとえば、モーセが主に取りなして、
彼らを滅ぼさないようにと願い出たときがそうです。
(これは一度だけでなく、何度も起こりました。参照:民数記14章11–23節)
(7)主はモーセに言われた、
「急いで下りなさい。あなたがエジプトの国から
導きのぼったあなたの民は悪いことをした。
(8)彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、
これを拝み、これに犠牲をささげて、
『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』
と言っている」。
(9)主はまたモーセに言われた、
「わたしはこの民を見た。これはかたくなな民である。
(10)それで、わたしをとめるな。
わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう。
しかし、わたしはあなたを大いなる国民とするであろう」。
(11)モーセはその神、主をなだめて言った、
「主よ、大いなる力と強き手をもって、
エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、
なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか。
(12)どうしてエジプトびとに
『彼は悪意をもって彼らを導き出し、
彼らを山地で殺し、地の面から断ち滅ぼすのだ』と言わせてよいでしょうか。
どうかあなたの激しい怒りをやめ、
あなたの民に下そうとされるこの災を思い直し、
(13)あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、
あなたが御自身をさして誓い、
『わたしは天の星のように、あなたがたの子孫を増し、
わたしが約束したこの地を皆あなたがたの子孫に与えて、
長くこれを所有させるであろう』と
彼らに仰せられたことを覚えてください」。
(14)それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。
(出エジプト32章7-14節)
しかし、このようにモーセと結びついていたことによる大きな恵みを受けていながら、
出エジプトの世代は、モーセが自分たちのためにしてくれたことを
本当の意味で理解せず、ましてや主が成し遂げてくださった御業を
正しく受け止めることもありませんでした。
もし彼らがそれを本当に理解していたなら、悔い改めて主に立ち返っていたはずです。
しかし実際には、「心の中でエジプトに戻ろうとした」のです。
(使徒行伝7章39節;民数記14章3–4節;アモス5章25–27節参照)
確かに、アブラハムの子孫であるという肉的系譜には一定の特権があります。
しかし、人が外見を見るのに対して、神は常に心をご覧になります。
モーセと密接に結びついていたという事実だけでは、
出エジプト世代は救われませんでした。
それは、彼らの心が変わらなかったからです。
(エゼキエル14章14–18節;第一コリント7章14節参照)
同様に、エルサレムの信徒たちも、自分たちの宗教的伝統や血統に頼っている限り、
この無謀な歩みを改めなければ救いには至らなかったのです。
自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。
おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、
アブラハムの子を起すことができるのだ。
(マタイ3章9節)
<28>に続く ![]()
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(第1コリント13:4~8節a)
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