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書いて、話すと、見えてくるものがある。
最近、改めて思っていることがあります。
考えていることは、
一度、書いた方がいい。
頭の中だけで考えていると、
同じところをぐるぐるしていたり、
いろんなことが混ざって、
自分でも何に引っかかっているのか
分からなくなっていたりします。
でも、書いてみると、
「事実はこれ」
「私はこう感じている」
「私は、こう捉えているんだ」
「でも、本当はこうしたいのかもしれない」
と、少しずつ整理されていく。
そして私は、
書くだけではなく、
誰かに話すことにも、大きな意味がある
と思っています。
人に話しているうちに、
「あ、そうか」
と、自分で気づくことがあります。
相手に答えを教えてもらったわけでもない。
アドバイスをもらったわけでもない。
ただ、自分の考えていることを言葉にして、
誰かに聞いてもらっただけ。
なのに、
「じゃあ、私はこうしたい」
と、次が見えてくることがある。
不思議です。
そして、答えが出なくても、
「私、これが嫌だったんだ」
「ここに引っかかっていたんだ」
と分かるだけで、
スッキリすることもあります。
「正解を知る」と「自分で考える」は、少し違う
これは、ピアノを教えることでも
同じだと思っています。
私たちはつい、
「こんなとき、どう指導したらいいですか?」
「どう言えば、この子はできるようになりますか?」
と、正解を探したくなります。
もちろん、
知識を学ぶことも必要です。
経験のある人から教えてもらうことも必要です。
私自身も、たくさん学んできました。
でも、
誰かの正解を知ることと、
自分で考えて、決めて、行動するようになることは、
少し違う。
目の前の子どもを見て、
何が起きているんだろう。
私はどう感じているんだろう。
私は、これをどう捉えているんだろう。
なぜ、そう思うんだろう。
私は、この子に何を渡したいんだろう。
そして、
私は、どうしたいんだろう。
そうやって考えることそのものが、
教師として、とても大切なのではないかと思います。
一人で考えることと、誰かと考えること
もちろん、一人で考える時間も大切です。
でも、一人で考えているだけでは
見えないこともあります。
誰かと話す。
違う人の視点に触れる。
問いかけてもらう。
自分とはまったく違う考えを聞く。
すると、
「そんな見方もあるのか」
と思うこともあれば、
反対に、
「私は、やっぱりここを大切にしたいんだ」
と、自分の考えがはっきりすることもあります。
誰かに答えをもらうためではなく、
自分の中にあるものを、
自分で見つけていくための対話。
そんな時間があってもいいんじゃないか。
最近、そんなことを考えています。
「誰かなら、どうする?」ではなく
長く教えていると、
本当にいろいろなことが起こります。
生徒のこと。
レッスンのこと。
保護者との関わり。
教室のこと。
仕事のこと。
そして、
教える人である私たち自身のこと。
いつも、答えがあるわけではありません。
だからこそ、
「こんなとき、○○さんならどうする?」
と、どこかに正解を探すだけではなく、
「私は、どう考える?」
「私は、どうしたい?」
と、自分に問いを立てられること。
それを何度も繰り返していくうちに、
自分が何を大切にしているのか。
どんな教育をしたいのか。
どんな教師でありたいのか。
どんな教室にしたいのか。
少しずつ、
自分の軸のようなものが
見えてくるのではないかと思っています。
そして今、
書いて、話して、考える。
そんなことができる場所を、
つくろうとしています。
誰かが正解を教える場所ではなく、
それぞれが今、向き合っていることを持ち寄って、
言葉にして、
対話して、
また自分で考える場所。
私が一方的に何かを教える場所でもありません。
集まった人たちと一緒に考えながら、
育てていく場所にしたいと思っています。
少しずつ、形になってきました。
そして、この場所は、
今まで私がやってきたことと、
これからやりたいことが、
また一つ、つながる場所になると思っています。
もう少ししたら、お知らせします。

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