音楽評論家、雑誌編集者、DJなどの分野で活躍されていた渋谷陽一さんが、今年7月に亡くなりました。74歳。渋谷さんについて私が思うことをまとめておきます。
渋谷さんは仲間を集めて1972年に雑誌『ロッキング・オン』を創刊。初めは自費出版扱いで、仲間うちで手分けして書店まで運んで置いてもらっていましたが、1973年の第4号から、取次を通して全国の書店に置かれるようになりました。
私の地元の本屋さんでその第4号を目にした私は、それまで『ミュージック・ライフ』しか読んでいませんでしたけれど、「なんだこれ?」と思いながら手に取り、なんとなく購入。
それ以来、ロッキング・オンを通じて渋谷さんとの繋がりが出来たのでした。私が高校2年だった頃の話。もう50年以上になります。
上の写真でも分かるように、初期のロッキング・オンは、大事な大事な「書名のロゴ(書体)」すら確定していなかったんですね。「そんなの別にいいじゃん」という感覚だったのかな。1977年あたりになって、ようやく今の『ロッキング・オン』のロゴに近いものに落ち着いたようです。
そして下段中央、クイーンのロジャー・テイラーを表紙にした号は、渋谷さんが「びっくりするほど売れた」と語っていた記憶があります。
私は大学に入ると映画を観たりスキーやテニスに夢中になって、音楽からはちょっと離れてしまいました。社会人になった1980年代に聴いていたのはサザン・ユーミン・山下達郎。洋楽はマイケル・ジャクソンとマドンナ。
そんな具合で、ロッキング・オンも読まなくなってしまいました。再び読むようになったのはずっと後の2005年あたりのこと。
でも、渋谷さんが出す本はほぼ必ず、買って読んでいたように思います。
単行本とか、文庫本とか。
ロッキング・オン誌上で楽しみにしていた、松村雄策さんとの対談「渋松対談」をまとめた本も、何度繰り返し読んだか分からないほど愛読しました。
ただ、渋谷さんがDJをやっていたラジオ番組は、ほとんど聴きませんでした。なんとなく、渋谷さんの声や口調、語り口がちょっと私には苦手だったんです。
話す内容やかかる音楽とは関係なく、そういう理由でラジオとは縁がありませんでした。
いまこの記事を書くためにこれらの本を棚から引っ張りだしてパラパラとめくってみると、とても面白い。
古くなっていないし、また「この当時はこういうことが話題だったんだよな」という資料的な意味でも興味深いです。私にとって渋谷さんはずっと「文字の人・本の人」でした。
実家から今の家に越して来る時、雑誌の『ロッキング・オン』はかなり処分してしまいましたが、1970年代の古いロッキング・オンと、渋谷さんの単行本はすべて持って来ました。これからも私の人生が終わるまで、これらの本はずっとマイ本棚にあると思います。
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会社を起こしたり事業を始めたりする人は「自分が欲しいものが世の中に無かったから、自分で始めただけ」という言い方をする人が多いですよね。でもそれって凄いなと思います。
私はそういう発想を持ったことが無かったし、持てませんでした。失敗して借金だらけになったらどうするの?みたいなことが先に思い浮かんでしまって。
私って人間のキャパが小さいというか、度胸が無いんでしょうね。なので、渋谷さんのようにリスクを負って(あるいはリスクなんか意識せずに?)突き進んで行く人は尊敬します。
でも、渋谷さんから具体的に何か影響を受けたかというと、思い浮かびません。好きな作家の吉行淳之介さんからは、とても大事なことをたくさん学んだ実感があるし、吉行さんが遺した言葉の中にも好きなフレーズがいっぱいあります。
でも渋谷さんには、それがほとんど無い。やはり私とは肌合いが違うところがあったのでしょうか。
ただ、すごく良く覚えているのは「産業ロック」というものへの批判です。1980年前後の渋谷さんは「売れることを第一に考え、新しいものを生み出そうとせず、旧態依然としたロック」を「産業ロック」と名付けて毛嫌いしました。
1982年に『週刊FM』に書いたコラムでは、その例として「フォリナー」「ジャーニー」「スティクス」「REOスピードワゴン」が挙げられています。みんなアメリカのバンドですね。
私は「なんとなく、分かるな」と思いました。ここに挙げられたバンドは、私も興味をそそられなかったので。
渋谷さんがどこで発言したのか確認できていませんが(渋松対談だったかな?)、次のように言っていたことを思い出します。
「歳をとったら、CDショップで働きたい。売り場に立って、ジャーニーのCDを買いに来るやつがいたら『そんなのを聴くのはやめろ』って説教するんだ」
もちろん冗談として言っているのでしょうし、読んだ私も笑いました。でも本気の部分もあると思うんです。
渋谷さんは、「ロックは現状の否定であるべきだ」と信じていたのでしょう。渋谷陽一という人は、現状に安住して、そこにどっぷり浸って生きることを嫌った、あるいはそれが出来なかったに違いない。
そういう皮膚感覚みたいなものは私もすごく共感できたし、「自分から殻を破ろうとしない生き方」は私もイヤだったので、産業ロック批判は素直に共感できたのでした。
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そんなことを言っている私ですが…
いま私の手元には「ジャーニー」「フォリナー」「ボストン」など、典型的な「産業ロック」と言われそうなバンドのアルバムがあります。
レンタルレコードのシールが貼ってありますが、これは実家の近くにあったレンタルCDショップが20年ぐらい前に閉店する時、破格の値段でセールしていたのを買ってきたもの。安いから、ついなんとなく…買って来たんだと思います。
これをね?数年前の夏、海へ行く時に持って行って、砂浜で陽に焼かれながらCDプレイヤーに入れてヘッドホンで聴いてみたんですよ。そしたら…なんか…意外にイイじゃないですか。「エアロスミス」とか「ボンジョビ」のような、スタジアム・ロック的なものも含めて私はこういうのはイマイチ苦手だったのですけれども、たまに聴くのも悪くないなと思いました。
そして心の中で「渋谷さん、スミマセン」と、ちょっと頭を下げたのでした![]()
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渋谷さんが遺した膨大な著作をうまく編んで、良いアンソロジーが生まれることを願います。
それにしても74歳とは…早かったですね。私にとっては、あと5年。やれることは、やれるうちにやっておかないとなぁ、と思います。渋谷陽一さんのご冥福をあらためてお祈り申し上げます。





