「趣味マウントの話:能・歌舞伎・マラソン・登山で頻繁に見られる自慢行為について」
結論:人は分かってないけど語りたい(笑)
最近、某サイトで偶然「歌舞伎マウント」の話を読んで、
凄く考えさせられたので改めて書いてみたいと思う。
それは映画「国宝」を観て感動した人が、
知り合いに話したところ、
その人物は歌舞伎を「数回(←ここポイント)」鑑賞した事があるらしく、
「映画を観ただけで歌舞伎を知った気になるな。
(オレ様は)歌舞伎を数回観た事があるんだ!!」
と説教されて腹立たしく思ったと言う内容だった。
先ずそもそも大前提として、
私達人間は、
「勝ちたい・達成したい・繋がりたい」生き物なので、マウント自体は本能的に消えない。
これを幸福の三大動機と言う。
「パワー動機」「達成動機」「親和動機」
として知られている。
従って、よく否定的に思われがちなマウント行為は、
残念ながら人間の本能として組み込まれてしまっている。
だが、この問題は「上手な社交」で充分に対処出来る。
マウントで問題行為を起こす人物は間違いなく、
この社交性に大問題があると考えていい。
他の達成動機でも親和動機でも問題行動は、
社交性、つまり表現力の稚拙さ、あるいは問題人格により巻き起こされている。
特にパワー動機は優劣が問題にされるので、
大問題に発展しかねない危険性が常にある。
余程上手く表現しないと人間関係は破綻する。
さて、歌舞伎の件を知ったら、
改めて私のかつての趣味と今の趣味にも立派に存在していて苦笑してしまった。
それを書いて自分及び他人に猛省を促したい。(笑)
先ず、能。
これは歌舞伎と同じで、それをさらに厄介にしたヤバさがある。
古典芸能趣味はパワー動機のエサとして素晴らしい威力を発揮するからだ。
これは教養ハラスメントに直結している。
クラシック音楽も同様だと思っていい。
オレ様は能(歌舞伎、クラシック音楽なども)を鑑賞している教養ある人間なんだ、
オマエと一緒にするな!!思考回路。(笑)
だが、私は中学時代に能の謡を学んでいたのではっきりと断言出来る。
「能が好きなんですよね」と言って来る人の90%くらいは、
実は能を全く理解してなどいない。
この確率は推測ではあるが、
後述する具体例を知るとあながち間違いではないのが分かるかと。
能の理解度は様々な趣味の中でも特筆すべき難解さを誇っているのは間違いない。
何度か書いているが、
私の母のパターンが典型例でもあるため、
改めて書いてみたい。
母は「私は能が一番好きだ。歌舞伎よりも。薪能はよく観ていた。」
などとよく私に言っていた。
5年以上前のまだ芸術三昧時代の私は、
「ふーん」と思っていたが、
ある時、国立能楽堂で「山姥」を鑑賞した時、
母に、
「難解だったが、事前に講習もあり、予習もしたので何とかなった。
特に謡が素晴らしかった。」
と言ったところ、長年能好きだったはずの母は思わぬ事を言って、
私は腰を抜かしたのであった。
「あー、私は謡は聞いてないから!!」
はあ?????
ご存知だと思うが、
能とは分かり易く言うと、
演者(シテ、ワキなど)、演奏(太鼓、笛など)、謡と言う、
3者により構成されている舞台なのである。
謡を聞いてない、と言った途端、
能の3分の1を全く無視していると断言出来る。
能の理解は現代の映画や演劇を鑑賞するのとは訳が違う。
徹底的な予習なしに楽しめる訳など絶対にない。
だが、世の中には予習しないで能を鑑賞する人は実は多い。
だからこそ。
能楽の入門書には「寝ても仕方ない」などと堂々と書く阿呆が続出する。
寝ている=何も分かっていない=時間と金の無駄
絶対にこんな行為は止めた方がいい。
だが、世の中には一定数、何となく教養っぽいから、
と言う理由で能や歌舞伎、はたまた文楽を鑑賞する者は多い。
はっきり言う。
古典芸能を楽しむためには「しっかりとした予習が必須」だ。
その上でイヤホンガイドなどを利用して、
ようやく何とかなる。
とてもではないが雰囲気だけでどうこうなる世界ではない。
前述の歌舞伎数回と言う人物。
何をどう考えても、予習している人には思えない。
何故なら、数回で止まっている人と言うのは、
歌舞伎初心者どころか、全く観ていない人と大差ないからだ。
こう考えると分かり易い。
映画を全く観た事がない人がいたとする。
すると映画を3回観た事がある人が、
全くない人に対して、
「(オレ様は)映画を3回「も」観た事がある。
オマエはバカか?」
とマウントしている人を目撃した場合。
映画を3回しか観た事がない人と言うのは、
現代人の感覚からしたら「全く観てない人」と大差ないかと。
能も歌舞伎も文楽も数回観たくらいでどうこうなるような代物では決してない。
そもそも観続けるには勉強が必要だ。
でないと相当の苦行になるのだけは間違いない。
だが世の中にはその苦行を時折(大抵は年に1回くらい。笑)する人がいるから笑える。(苦笑)
さて、これがマラソンや登山でも起こるから笑うに笑えない。
マラソンでやたらと見掛けるのは「タイムマウント」だ。
サブ3とかサブ4と呼ばれるアレだ。
「オレ様は42.195kmを2時間台で走り切れる」と言うマウント。
登山でももちろんある。
それはタイムと距離マウントだ。
「オレ様は富士山御殿場ルートを日帰りで余裕でこなせる」とか、
「蛭トン楽勝だぜ」など。(苦笑)
ではそう言った登山者の平均値はどうなのか。
何度か書いているが命に関わる重大な事なので都度明記するが、
御嶽山が大噴火して多数の犠牲者が出た時のこと。
山小屋に逃げ込めた人が20数名いた。
山岳救助隊が何とか夜に辿り着いたので、
一刻を争う事態でもあるから、
「皆さん、ヘッドライトを装着して下さい」
と言って山小屋を出ようしたら、
何と1人も登山の必携品であるヘッドライトを持っておらず、
朝まで逃げるに逃げられなかった記録が残されている。
念のため書いておくが、
ヘッドライトとは日帰り泊りを問わず、
登山の必携品の中の必携品の1つだ。
しかも御嶽山とは3000m峰なのである。
にも関わらず、20数名の全員が持っていなかった現実。
能も歌舞伎も文楽もマラソンも登山も、
実は趣味人の平均レベルは相当低いと思っておいた方がいい。
芸術趣味なら人は死なない。
(マウント行為は不快ではあるが)
しかしアウトドア趣味の場合は死ぬ。
サブ3とかサブ4とか、蛭トン日帰りとか。
このように人間の業は深い。(苦笑)
余談:
何度も書いているが再び。
ほんの数年前までは、
「私は富士山に登れますか?」と言う初心者の問いに対して、
明確で具体的な事を言える専門家もベテランも存在していなかった。
そこにあったのはオレ様マウントかしどろもどろのいい加減意見のみ。
それもそのはず、科学的な指標が存在していなかったから。
現在の登山はまだ過渡期であるが、
「登山専用のアプリ(ヤマレコ、YAMAPなど)」、
「コース定数(ルート定数)」「グレーディング」の登場により、
極めて具体的に正確に言えるようになっている。
ここを押さえていない人はどんな何十年のベテランであっても、
話は半分どころか、聞いてはいけない。
いい加減な戯言に過ぎないから。
追記:蛭トン
神奈川県にある丹沢山地。
低山の集合体だが異常に険しく累積標高も富士山や北アルプスと同程度なのでかなり危ない。
中でも通称バカ尾根と呼ばれる異様に長い登山道で登り、最高峰の蛭ヶ岳まで行き反転、
再びバカ尾根で下る異常行為を「蛭トン」と言う。
首都圏の登山趣味人の恐怖の象徴だ。(笑)
これは富士山最難関の御殿場ルートとほぼ同じでもある。
↓典型的な歌舞伎マウントの写真(撮影:私。爆)↓