宇陀の御井神社、宇太水分三社 | まーりんのまりんエッセンス

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「海のエッセンス」「月のエッセンス」の物語

 
宇陀榛原
気になる御井神社にお参りして
一帯の中心となる伊那佐山都賀那岐神社から
八咫烏神社に。
 
そのあいだにも ナビに 看板に ちらちらする
「宇太水分神社」
 
ですが、ナビ検索では「宇太水分神社」は2か所を示すんですよね
カッコ書きで下宮、上宮とでます
 
1)下宮: 伊那佐山の北、墨坂(オレンジ)上流の宇陀川と芳野川の分岐点
2)上宮: 伊那佐山の南、都賀那岐-御井(平井皇大社)-上宮が一直線に並ぶ
 
 
 
 
どっちにも行ったことあると思うけど・・・
どっちがどっちだったかな??
 
どっちにも行けばいいや。
さきに上宮行って、下宮通って帰ったらええねんから
 
 
 
で、上宮は・・・
何度も遊びにいったお宮でした~
手水がカエル
国宝の社殿
 
「写真撮る前に参拝しなさい」という趣旨の看板まであるせいか
撮る気なくす(笑)
おかげで また 純粋に参拝だけ。
 
 
 
そして下宮は・・・
 
 
 
 
 
拝殿右 きれいな四方に立つ ご神木

 
 

 

 
 
 
 
 

 
 
 
 

あれ ここ。

 
榛原に初めて入ったとき
まだ車なくて 榛原駅から歩いて八咫烏まで行ったとき
お参りしたとこだよ。
 
 
今回、参道を戻ろうとして出会ったひとに声を掛けられて
 
宇太水分神社について
 
● 大和国四所水分神社(水分四社)のひとつ
宇太、葛城、吉野、都祁
 
● 上宮下宮と別に惣社水分というのがあって、そこから年一回、上宮にお神輿が渡る
 
と教えてもらった。
 
 
 
え!いまかよ。いまそれゆう?
て気持ちになった
 
お神輿渡御御井神と同じじゃん。惣社行っときたいのに・・・もう日没
残念ながら時間切れなり。
 
下宮では、それ以外にもいろいろあり
なんか・・・ヒントをいっぱいもらった。
 
 
 
 
それを、いま改めて整理する。
 
まず 惣社の位置は、
宇太水分上宮から芳野川をさらに上流にいった菟田野上芳野(右下端)
 
 
 
榛原駅周辺は
重要な川筋、道筋の結節点
 
そこに墨坂があり
御井神社・市岐島神社は、内牧川沿い伊勢本街道沿い。
摂社御井神社は、伊那佐山はさんで反対側の芳野川沿い。
 
宇太水分下宮は、宇陀川が芳野川に分岐するところ
八咫烏神社は、芳野川沿いの、伊那佐山と向き合うところ。
宇太水分上宮は、芳野川がさらに分岐する川又であり、伊那佐山の都賀那岐→摂社御井→宇太水分上宮ラインにのる。
 
この上宮に渡御する惣社水分は、同じく芳野川沿い、芳野川と高見川(吉野川支流)互いの水源が届きそうでとどかない位置。
 
高見川はまた高見山で伊勢の櫛田川と接しそうで接しない、その辺が飯高舟戸。舟を川筋から川筋に渡したか、荷だけ移したか。紀ノ川(吉野川)と櫛田川、木津・淀川は人も物も運ぶ道としてつながっていたはず。
 
八咫烏は ”先導者”他はすべて水の神の御社で、そのご神徳は農業や生活に必要な水を下される、それは当然でもっともなことだが、わたしはそれよりも水運の神なのだと思う。
水源ではなく川筋の要衝地に鎮座する理由はそこ。
神武が九州から大和にきたのは豊かな稲がみのる盆地がほしかったからだとぶちあげたお方がいたが、博多で生まれ育ったわたしからみたらそんなわけあるかと思う。阿曇族はじめ北九州の倭は半島と中国の貨幣を使って鉄の交易をしていた、そんなわたしらが農地が欲しくて??ピントが外れている。海人族は土地に執着しない。海はつねにすべてを更新しつづけ、とどまることがないから。大和鉱山の水銀目当てに、といわれた方がまだしも。
 
 
宇陀で御井神社と水分神社が重なっている。
わたしには、これらは奉斎氏族が違う、違う役割があって、ぞれぞれに置かれた結果のようにみえる。
 
「水分神社」は、大和の東西南北に四社、崇神勅命でおかれた。
いっぽうの「御井神社」をざっとみると
 
 
わたしはやっぱり
「御井」には水沼族の影を感じる。
 
 
 
話を戻す。
 
宇太水分上宮と惣社水分、これらの南は菟田野宇賀志。
宇迦斯神魂を祀る宇賀神社がある
 
このあたりは神武聖蹟の地という言い方をされるのを、地元の方はどんな思いで聞いておられるだろう 八咫烏でも葛城でも富雄でも、地元のヒーローは逆賊とされたお方。
 
宇賀志をさらに南下すると、蛇行する高見川の分岐点に、丹生川上神社中社。
 
宇太水分も3つ、丹生川上も3つ。
 
玄松子さまのブログ「惣社水分神社」に
(惣社水分は)古市場の宇太水分神社(上宮)の摂社ともされているが、当社社記によると、当社を本として芳野川中流の古市場(上宮)、下流の下井足(下宮)へ遷したとも考えられる。よって、式内社・宇太水分神社の論社の一つ。
 
とあり、
宇太水分も、丹生川上のように「ホンモノはここ」とされる社が3つあるということだとわかった。
 
 
宇太水分下宮は
丹生川上中社と同じ、五三桐紋。
 
 
わが櫛田大神は、三盛亀甲に五三桐紋。
 
 
 
 
自分の頭の整理のため、宇太水分神社をまとめる。
(地図の位置と対応させるため、下宮から)
 
 
 
 
【宇太水分下宮/下社】
宇陀市榛原下井足635 舟形山に鎮座
ご神紋 五三桐 (社務所瓦は三つ巴)
 
天水分神、国水分神、天児屋根命、品陀別命
磐長比売(石神)・宇迦之御魂(稲荷)・大名牟遥(金刀比羅)
 
 
● 「水分由来集」によると、水分の神が和州高水分山(高見山)より芳野中山(惣社水分神社)を経て西殿の上宮(中社)にとどまり、次いでこの地に来られた時、一夜のうちに田が隆起して岡となったので、田山と改めた。
 
● 応保年間(1160)頃より 芳野川にそって三所三座(当社・古市場社・ 芳野社)に祭祀。
一説に、古市場(上宮)に天水分神、下井足(下宮)に国水分神、上芳野(惣社)に若水分神を祀ったとも。
「延喜式登載」や 「水分由来集」や「神体形相記」によると、玉岡(古市場)水分は男躰、田山(井足)水分は女躰、中山(芳野)水分は童躰とあり、
かつて祭礼には、中山水分から田山水分まで神輿の御渡があったと、伝えられている。
 
 
下宮のパンフレット写真
に注目。
 
 
 
これいつのだろう?
 
 
 
 
【宇太水分上宮/中社】
宇陀市菟田野古市場245
ご神紋 丸に葉沢瀉

第一殿    天水分大神
第二殿    速秋津彦大神
第三殿    国水分大神
(社殿 国宝)
瑞垣内: 春日神社・宗像神社(重文)
境内: 金毘羅社と恵比須社
 
○ 速秋津日子神 はやあきつひこ
伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みによって生まれた水戸(みなと)の神で、速秋津比売神と対をなす。速秋津比売神と共に、河・海に因って分担して、八神(沫那芸神・沫那美神・頬那芸神・頬那美神・天之水分神・国之水分神・天之久比奢母智神・国之久比奢母智神)を誕生させた。
 
● 芳野川と四郷川の合流点付近に位置し、背後に鎮守の杜と水銀鉱山跡
● 菟田野は、菟田下県(うだのしもつあがた)の中心と考えられ、古墳時代前期の見田大沢古墳群(方形台状墓)があり、古くから水銀産地として認識されていた。
 
● 境内に薬の井がある。薬の井といえば大淀薬水や三輪の狭井神社が有名だが、菟田野は、推古19年(611年)5月5日に推古天皇が日本初の薬狩りをしたところで、その際、天皇が身を清めたとされる。
 
● 中世は興福寺の荘園となり、春日神社と深い結びつきがあった(春日若宮御節供料所)
鎌倉末期に後醍醐天皇の勅により本社再興、その社殿は 修復を重ね現在まで受け継がれる。
● 「社記」「宇太旧事記」「水分由来集」によれば、「玉岡水分神社」「玉岡上宮」「西殿上宮」「上の水分社」とも。社蔵の「水分神領図」(1292年か)には「上水分宮西殿」
● 西殿荘の市は、熊野・伊勢・大和を結ぶ交通の要衝で、古代・中世を通じて繁栄。文禄 4 年(1595)の検地帳には既に「古市場」と記されており、このころには市は宇陀松山へ移ったとみられる。
● 明治 22 年(1889)、近隣の村が合併し「宇太村」「宇賀志村」。昭和 31 年(1956)に両村が合併し、菟田野町となった。 
● 昭和 34 年(1959)伊勢湾台風により川が氾濫、殆どの世帯が被災。川幅の拡張、護岸工事の徹底により景観が大きく変わった。また、昭和 37 年(1962)を最後に、宇太水分神社秋祭りの神輿渡御と大名行列形式のお渡りは休止、御幣渡りの形式で続けられた。
● 平成 2 年(1990)、「ふるさと創生事業」で地方公共団体に交付された一億円の使途に「お渡りの復活」が盛り込まれ、神輿のレプリカ製作や衣装・道具の新調に活用され、宇太水分神社秋祭りのお渡りは再開されることになった。 
 
 
 
 
 
【惣社水分神社/上社】
宇陀市菟田野上芳野648
五七桐 三つ巴
 
天水分神 国水分神 速秋津比古命?なんで姫じゃない? 天之児屋根命 誉田別命 他数神
 
● 正式には、芳野坐式内惣社水分神社。
● 古市場の摂社とも、当社を本として古市場、下井足へ遷したとも。
● 「惣社」は、文政十二年(1829年)に卜部家から与えられた宗源宣旨の「惣社水分大明神」による。それ以前は、「中山水分神社」「中山神社」。
当社所蔵の神宝である御供酒瓶子の貞和二年(1346年)銘には、「芳野本水分宮」。
宇太水分のなかでも吉野が醸される場所、吉野水分とのダブルイメージ。
 
● 社記によると、醍醐天皇の898年に当社より初めて古市場・下井足に渡御、1169年、古市場・下井足に当社分霊を鎮座。その後、渡御神事は中絶→古市場まで渡御再興→中絶→1453年、古市場への渡御復活、今に至る。
(下井足側とは平仄が合うが、古市場側からの渡御中絶の話はみつかっておらず錯綜している)
 
 
惣社水分・速秋津姫 ⇒ 上宮・速秋津彦
毎年10月第3日曜日に行われる宇陀の秋祭りでは、当社から速秋津姫神が神輿に乗り、菟田野古市場にある中社の速秋津彦神のもとまで行列を率いて向かわれる。
※惣社水分神社についてのサイトをいくつか確認したが、ご祭神は速秋津姫じゃなく速秋津彦になっている。渡御されるのは惣社の女神だというのは確定なのに、なぜ???
 
[大名行列]
出発点の上芳野の写真では、立砂の間から進行方向に一本、砂で線が引かれている
6キロの道のりの中間地点となる東郷の御旅所で、宇太社の氏子が惣社のお渡り一行を出迎え。御神輿の前に神饌が並べられ、一行は食事休憩。その後、宇太社宮司の一行が御旅所に到着すると、祭典が始まる。
 
まず宇太社宮司から惣社宮司へ、紅粉・白粉の特殊神饌が手渡される。
惣社宮司はそれを檜扇で受け、神輿前へ供える。これは、古市場は男神、芳野は女神であり、女神が東郷で化粧直しをするため、男神から供えられるものだと伝わる。
 
次いで、二人の宮司による祝詞奏上・一行の拝礼・撤饌。
お渡り一行が宇太社に到着。振りを行い境内に入場する際、花籠役が花籠の先端に繰りつけられた紙袋を竹の棒で破り、中の切り紙を撒き散らして境内を祓う。
拝殿脇の神輿を安置する場所でもう一度振りを行い、神輿はいったん拝殿の中に入れられ、宇太社宮司の拝礼を受けると拝殿裏から運び出されて夫婦杉の前に安置される。
 
祭典は宇太社本殿前と神輿前とで別々かつ同時に行われる。
まず、芳野・宇賀志など各郷社の役員が持参した御幣が、古市場の垣内長の手渡しにより本殿の中央殿へ上げられ、扉の両脇に立てかけられる。惣社の神輿前には、立札、大榊、白幣、金幣が立てかけられ、獅子頭が唐櫃から出されて安置され宇太社からの神饌が備えられる。
次に、宇太社宮司は本殿前で、惣社宮司は神輿前で同時に祝詞を奏上する。
祝詞が終わると惣社宮司は宇太社本殿に、宇太社宮司は神輿前に移動し、再び祝詞を奏上する。
 
祭典は 14 時過ぎに終了し、惣社、宇太社はそれぞれ直会となる。
還御が始まると直会を終えた郷社代表は宇太社本殿から御幣を下ろしてもらい持ち帰る。
 
 
 
 
 
   *   *   *
 
付記
宇太水分下宮(下社)のパンフ
 
水分神は・・・神名の通り、水の分配を司る神である。「くまり」は配りの意で、水源や水路の分岐点などに祀られる
 
日本神話では、神産みの段で速秋津彦・速秋津姫両神の子として天水分神・国水分神が登場
水に関わる神ということで祈雨の対象ともされ、また田の神や、水源地に祀られるものは山の神とも結びついた。後に、「みくまり」が「みこもり(御子守)」と解され、子どもの守護神・子授け・安産の神としても信仰されるようになった。
 
 
宇太水分のほか、吉野水分、奈良の卒川神社、鞍馬の由岐神社なども「子守明神」だが、
 
みくまり
みこもり 巳籠もり・隠もり→蛇の巣ごもり(諏訪前宮の御室神事)
 
のように、わたしは感じる。
 
 
   *   *   *
 
 
 
 
おまけ
 
帰宅して駐車場に入ったら
たいてい、わたしの指定位置の前に、鹿さんがごろんごろんしてて
ライトをまぶしそうにする
 

 
 
この記事書いた2/8は歴史的な衆院選投票日
 
奈良はこの冬一番の冷え込みで、朝から雪が舞った
自民圧勝の21時過ぎ、ごーん ごーん と不規則な地響きが30分以上つづいた
 
花火かな? ・・・この時間、この寒さに?
雷かも? ・・・星が見えてるんやけど
 
神鳴り、天の号砲なのかもしれんね