親の介護に手と目を増やす時! 一人で背負わないって子育ての後に決めたから | 365日希望をもたらす天使の教え

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スピリチュアルガイド(ティーチャーガイド)から自動手記で受けとった愛と希望のメッセージをお届けしています。

 

 

 

「もっと手と目をかける時期」に来たんじゃないかなぁ

93歳で一人近所に暮らす父のこと 思った。

 

私の母は、私が4歳の時に入院して

治らぬ病で6歳の時に他界しました。

母が32歳、父が38歳、私の兄は8歳と14歳でした。

 

父は長男で、祖父母がすぐ近くに住んでいて

食事は朝晩一緒。

家業の材木店と木工所で働く親戚の叔父さんや

社員の人が一緒に食事をしたりもしたので

家政婦さんがいて家事を手伝ってくれていました。

 

私が中学1年の時、家政婦さんがやめたので

その後は祖母が家事をして

家族で一人女の私も夕飯の皿洗いは私の仕事。

 

高校3年生の時に祖母が病気になってからは

私の兄が結婚して義理の姉が食事の支度をてしくれるようになるまでの3年間ほどは

私が食事の係でした。

忘れてしまったけど、皿洗いもしていたのではないかなぁ

 

今、やっと病気の家族の面倒をみる若者が

「ヤングケアラー」として注目されるようになりましたが

私もそれだったんだと思うようになりました。

 

直接に母の面倒はみていないですが、

母の役割をする人がいない状況では

家族の中で誰かがその役割を引き受けなければなりません。

 

 

その時は全然気づかなかったけど

タッピングセラピーを数年前に受けた時

乗り物酔いが始まったのは母が亡くなってからだと気づきました。


家族の空気に重たいもの

寂しさの匂いがあって

特に父だと思いますが

それがこどもの私に影響していたんだとわかりました。

 

 

私が成長すると

父や兄は、私の部屋に来てよくおしゃべりしていったものです。

それも今思えば、

私からの家族への精神的サポートだったと思います。

 

 

私が19歳の時に祖父が他界したのをきっかけに

新しい家を建て、

兄たちと3人で住み

父は一人今までの家に残りました。

父が51歳の時です。

それから40年間の一人暮らし生活。

食事も全て自分一人でやっていました。

 

そんな父も

コロナが始まる少し前から歩くことが大変になり、家から出なくなりました。

そして、買い物のお手伝いが始まりました。

 

頻繁に父の家に行くようになると

あちこちにゴミが散らかり、

埃だらけの築100年近い古い木造の家

その汚さに行くことがとてもストレスになって

 

「汚いの嫌いだから片付けていい?」と言うと

「そんなら来なくていい!!」なんて怒鳴られました。

 

とても穏やかな人で

子どもの頃から声を荒げたのを聞いたことがなかったのに

変わってしまった?

 

80歳過ぎても一人で海外旅行に行き

浅草の老舗バーまで3キロ近く歩いて行っていた人が

家から一歩も出なくなる生活で、その変化にイライラしているんだとわかっていても

怒鳴られれば人間ですから嫌な気持ちになります。

 

時々怒鳴る父に心が痛み

ある時、私が心を寄せる浅草の待乳山聖天の観音さまに問うと

 

「あなたの父親は、一人もがいているのです。

今までは自分の努力で乗り越えてきたことが

もう自分の努力ではどうにもならない。

それを受け入れられずにいるのです。

 

そんな自分が情けなく、歯痒い。

でも、どうにもならない。

その気持ちをあなたにぶつけているのです。」

と告げられました。

 

 

大きな変化を乗り越えるのは大変なことですが

時を重ねると自然に慣れてくるもの。

父もだんだんと家で一人テレビを見るだけの日常に慣れて行ったようでした。

 

少しずつ忘れることが多くなり

動くことがしんどそうになり

そして、一週間ほど前に初めて

 

「ご飯食べたっけ?」と、食後10分くらいしか経っていないのに言ったので

とうとうここまできたか〜の思い。

 

 

認知症についての情報を新聞で読みましたが

「忘れるというより、記憶ができないのです」とあり、なるほどと思いました。

 

昔のことはよく覚えていて詳細まで話すのはそういうことなのですね。

 

 

一年ほど前、

介護の認定を受けて欲しいので一度は医者に診てもらいたいと父に話をしましたが、

医者が大嫌いで

健康診断も何十年も受けていない人なので

「ほっといてくれ!!」と怒鳴り、

とりつく島がありませんでした。

 

何度言ってもだめだったので

最後は「強行決行」

「あと30分で横山先生が往診に来るよ」と。

 

父は必要ないと思っていても

介護する側が手が欲しくなる時がくると感じていたからです。

 

 

どうにか受診はしてくれて

その流れで近くの病院でレントゲンを撮ることもできました。

3種類も写真を撮る必要があり、

2回目の後に「もう帰る!」と言ったけれど

どうにか終了。

 

「ああ、腰が痛い!お前といるとロクなことない」と怒られました。

でも苦労の甲斐あって、

介護の認定は受けることができました。

 

そして、

一緒に世話をしている私の家の向かいに住む上の兄と介護の会社の人に会って話を聞きました。

 

ストレスは自分でも気づきずらいものだと私は知っているので

週に一回、買い物くらい手伝ってもらうと良いと思ったからです。

 

でも、兄は「面倒みるのは嫌じゃないし、面倒をみたい」と言いました。

 

介護の人が帰った後に兄と二人で話す時間を設けると

 

「お母さんの時、何もできなかったから‥。

お墓に布団かけてあげる訳にいかないんだからさ」

 

胸に響く言葉でした。

兄がそんな風に思っていたのを初めて聞いて

ちょっと驚きました。

 

 

私は「母がいなかった」という思いばかりがありました。

「母に何もしてあげられなかった」という思いは全くなかった。

母にしてもらえなかったことは思ったけれど

 

私は4歳から母との関わりがなく

兄は11歳まで一緒にいて

13歳で母を失っているので全然体験が違いますよね。

 

そんなことで、

まあ、どうにかやれるから今はいいかと、

介護の会社の人にはお断りの電話をしました。

 

「共倒れにならないようにしてくださいね。

また相談してくださいね」

介護の会社の人は青森弁なまりでやさしく言ってくれました。

 

 

そして、今朝

「もっと手と目を増やす時期なのでは」と思ったのです。

記憶力もめっきり弱り

やることも変なことが増えました。

 

 

この10日ほどは毎朝、父の家の風呂のスイッチを入れに行っています。

「お風呂がなかなか沸かない。あれはダメだな。

もうお風呂に入るのやめようかな」と何度か言われたからです。機械類は大の苦手。

まるで憎んでいるようです。

 

そして、朝食を作り始める8時半ごろに行き

昨晩の食器と散乱したゴミを片付け

その日の朝食の支度を手伝います。

 

私も61歳なので老々介護。

体調が悪い日だってあります。

おとといは疲れから軽い頭痛がして

食事を父が食べ始めるところまでで帰ってきました。

 

午後にまた行くと

父がいつもいる2階から1階に食器をかたずけていて

ああ、ただでさえ階段は危ないのに

ガラスや割れ物の食器を持って降りてくるなんて

やめて欲しいなぁと思いました。

 

今は、買い物、洗濯、風呂洗いが私の仕事。

兄は父の話し相手に夕方なり、重たい飲み物の買い出しは兄の担当。

 

 

私は自分の子育ての時、人の手をうまく借りることができませんでした。

夫は家事を一切しない人だったし

仕事、仕事、そして、飲んで深夜に帰宅

10時ごろに帰ってくるようになったのは早い方でした。

 

とても精神的につらかったけど

我慢して、腹が立っていました。

 

40歳の頃にやっと

「できない」「助けて」と言えないで生きてきた自分に気づきました。

 

 

だからその反省として

親の面倒をみるようになったら

絶対自分一人で背負わない!と決めたのです。

 

去年は父の負のエネルギーを浴びてうつ状態にもなりました。

 

せっかくアルコール依存の夫と離婚して

うつもよくなってきていたのに

久しぶりに関わってみると

父もアルコール依存で

別れた夫とよく似ているところがあるのです。

皮肉ですね。

父に似ている人を夫に選んだのだと改めて思いました。

 

なので余計にきついのです。

やっと脱したと思ったのに

また! もう嫌だ と。

 

違う点は、父が何でも自分でやろうとすること

でも、もうできないのです、自分一人では。

 

それでイライラしているのですよね。

そして、そのイライラをぶつけてくる。

心の底は情けなく悲しいのでしょうが。

 

だから、

介護の会社に連絡して、週一回のお手伝いをお願いしようと思います。

決めました、今。

 

だって父は私たちの大変さにいつまで経っても気づかないし

私はやらずにはいられないたち

 

全て兄がやる?

兄が父の世話をしたいのは兄の希望であって

大切なことは、父が最後まで安らかであることだと私は思っています。

安全であること

なるべく心も穏やかで気持ちよくいられること

 

父にその時がきたら

こちらの世界に引きとめず手放すべきだとも思っています。

 

痛みと苦しみの中で体から離れたいと思った時に

こちらにいる人が別れたくないからと引き留める気持ちを持つのはエゴだと思うから。

 

いつまで生きたいのかは本人にしかわからないし

本人が決めることですが。

 

 

「人に対してできることは限られている」

ということを

私は夫と別れるまでの道のりで知りました。

 

感じ方は人それぞれ

何が幸せか

何が望みなのかはみんな違っています。

 

良かれと思ってしてあげても

それが相手にとって嬉しいことかどうかはわからない。

「どう感じるか」ですから。

 

そして、人の心には外からは入りこめないようになっている「領域」がある。

だから周りの人にできることは

just a little help

小さな親切なのです。

それを受け取るかどうかも相手が決めること。

 

家族とも「人間関係」なんだなぁ

親との関係で苦労をしたことがなかったので

ここにきてそんなことを感じています。

 

カウンセリングの仕事でたくさんの親子関係の苦労を耳にしてきましたが

実体験は初めてです。

経験してその大変さを実感中。

 

うちなんかまだマシな方だと思います。

家の中の関係がきついと厳しいですね。

家出をする人の気持ちも少し分かる気がしてきました。

 

何が言いたかったのかな

 

まあ、こんなことですので

一人で背負わず

介護の会社の人に頼むことにします。

それを兄に今日伝えます。

私はそうしたいと。

自分のために、兄のために、父のために良いと思うからと。

 

GOOD LUCKわたしウインクピンクハート

 

では、また〜ラブラブ

 

 

脈絡ないようですが

 

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私の自伝的なことも背景として書きました。

 

同じような境遇にある人、問題を抱えている女性と分かち合いたいという気持ちからです。

お役に立てればうれしいです。

 

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メッセージは1ページから2ベージでさっと読めるものです。

心が落ち着き、前向きになれますよ。