病院経営者や開業医など医者に向けたセミナーだったので、単に友人に誘われて付き添いくらいのつもりだったのだが、実際に話を聞くと、医療過誤・医療事故がどうやって起こるかというメカニズム、それをいかに事前に防ぐか、あるいは実際に起こってしまった事故をどう今後に生かすかというシステムなど、その精緻なシステム論に目の開かれる思いだった。
最近は、日本と日本人にとって、これほど大切な学問はないとまで考えるようになっている。
セミナーでは、まず医療過誤が起こるメカニズムが解説され、それがなぜ防げないのかが論理的に解明されていく。
医療過誤が起こったあと、日本の病院で展開されがちな行動パターンがある。それは、その事故を起こしてしまった原因を面談などで客観的に調べ、たとえば、その事故のきっかけを作った看護師を特定したとしたら、なぜそれが起こったか、どこにミスがあったか、今後どうすれば防げるかといったことをその看護師に文章として作成させ、その文書を個人の反省の印として共有するといったことである。
だが、これでは今後の事故は防げない。なぜなら、「その看護師」という個人の責任にしているからだ。反省とは「今後は気をつける」という近いにすぎず、「今後は落ち度がないように気をつける」などといった何の対策にもならない指示をするにとどまるからである。
もちろん、その看護師の意見の聞くのは大事なのだが、そこでやるべきは「誰が何をしてしまったか」を客観的に特定すること以上に、「その看護師はなぜそういうミスをすることになったか」という、それが起こった環境や条件を特定することにある。
なぜなら、「あるレベルの人物なら、ある分量の注意を払えばミスが起こらない」という場合でも、忙しくて寝不足が続いていてればどんなに優秀な人でもミスが起こりうるからである。
その場合、重要なのは「その人」ではなく、「どんな条件で」になる。その条件がわかれば、その条件を作らないような方策を立てればミスが防げる。
そのためには、その看護師がやるべきなのは反省ではなく、言い訳である。
「前の日のハードワークで睡眠不足だった」「人間なのだから、100%完璧に注意することなどできない」「もっと目立つ書体だったら気づいた」「○○さんがもう一度見てくれたら、こんなことにはなっていない」などなど、言い訳をさせることで、本当にその事故を防ぐためのヒントが出てくる。
職員が何千人もいれば添付ファイルをクリックするうかつな人(あるいは無知な人)は必ず1人いるのが自然である。努力を積み重ねて1000を1にするのは可能でも、ゼロにするのは不可能である。
実は、政府側は対策を立てていた。日経新聞によれば、この3月に省庁対抗のサイバー攻撃に対する競技会を開いており、目標をクリアできなかった省庁に警告しており、厚労省のその中に入っていたのである。
だが、おそらくそんなことは、無駄とは言わないが、たいした効果はない。実際、年金情報の流出が起こったのはその3か月後だ。
重要なのは、脆弱さがわかったときに、どういうシステムを作って防御力を高めるかを具体的に実践していくことである。
それなのに、野党は「万全な管理体制が整うまで延期すべきだ」などと政府を攻撃している。だが、これも馬鹿げたことで、「万全な管理体制しろ」と通達を出せばいいというのであれば、とっくにそうなっているはずだ。本当に攻めるべきは、「なぜ現場にまで対策が行き渡っていなかったか」という点である。トップをこき下ろしても、さほど意味はない。
「サイバー対策ができてきない」と繰り返し警告しても意味がないという点は、政官問わずこれまで情報流出は数限りなく起こっていることからもわかる。最後は毎回、「猛省せよ」で終わり、「何が悪かったか」が真剣に議論されない。
もし、それらを現場レベルから分析していれば、今回についても、完璧に防げないにしても、被害を最小限に留められたと思う。少なくともここまで被害を拡大させることはなかったはずだ。
問題は現場の人たちの主観的な意見を調査しなかったことにある。「いま年金機構はサイバー攻撃に対する防御力が低い。なぜなのか」ということを、現場から聞き出し、思いぞんぶん言い訳をさせ、愚痴を引き出なければならなかったのだ。
そうすれば「トップとの情報交換をすることがないので不安」「わからないときに問い合わせる専門家が配備されていない」「ウィルス感染したとわかっても、誰に報告すればいいかわからない」「こんな大量のデータをオンラインで管理するのは不安」「パスワードが設定されていないが大丈夫なのか」など、対策すべきことがたくさん出てきたはずだ。
ところが実際は、トップで「厚労省のサイバー対策は脆弱だ。強化せよ」と通達され、「注意いたします」と了解されて、現場レベルでは何もかわらなかったわけである。
それができなったのは、日本の組織やメディアが、相変わらず「個人のミス」「トップの責任」という個人の責任ばかりを追求し、「システムの欠陥」というものを考えなかったからだろう。
ポイントとなるのは「反省」である。日本人にとっての反省には、「失敗した者は言い訳するな」という同調圧力が強くかかるものである。その失敗にはいくつもの理由があるのに、それを抑え込んでしまうために、次に生かせず、繰り返してしまうのだ。
今回の経過を追っても相変わらずである。現場を反省させ、トップを謝罪(あるいは辞任)させている。そうやっていつも「しっかりしろ」「反省しろ」でしませてしまうからこそ、今回の問題は起こった。
まさに起こるべくして起こったと言わざるをえない。
日本社会では相変わらず連帯責任が跋扈(ばっこ)している。私も学生時代は厳しいほうの体育会だったので、同級生がミスをして、そのグループ全員が罰を受けるという理不尽きわまりない制裁を何度も受けた。言い訳でもしようものなら、どんな暴力を受けたかわからない。
ミスをした人間は仲間にすまないと思い、次からは反省するだろうという野蛮な思想から生まれたやり方によってミスが防げると、多くの日本人が本気で信じていた。
本気でミスを防ぎたければ、ミスをした本人に言い訳をさせ、愚痴を可能な限り言わせ、すべて拾っておくことである。その上で、必要な対策を専門家を交えて立てるべきである。言い訳には次のミスを防ぐための貴重な情報が詰まっている。
マスコミの報道もしかりで、相変わらず「ずさんな体制」だ。システムの何がずさんだったかがわからないままで批判だけで終われば、今回のようなことは何度も繰り返すことになる。連帯責任で殴られてミスが防げると思っているなら、本当におめでたい。
本当に今回のようなミスを防ぐための報道をしたければ、現場の「言い分」を徹底的に聞くことだ。それを「見苦しい」とか「責任感がない」などと批難しているうちは、ミスなど防げるわけがない。


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そのためには、その看護師がやるべきなのは反省ではなく、言い訳である。
「前の日のハードワークで睡眠不足だった」「人間なのだから、100%完璧に注意することなどできない」「もっと目立つ書体だったら気づいた」「○○さんがもう一度見てくれたら、こんなことにはなっていない」などなど、言い訳をさせることで、本当にその事故を防ぐためのヒントが出てくる。
客観ではなく主観によって原因を追及し、今後に生かすというのが、それを繰り返さないためには重要なのである。
日本では「言い訳をしない」「黙って責任を負う」といったことが美徳とされる。あるいは、逆に、マスコミなどもトップの責任を追及するのが中心で、その失敗の頻度や真の原因などを詳細に追うことは希で、とくかく「トップの怠慢」が追求される(ついでに愛人問題なども出てきたりする)。
これでは真の原因は温存され、時間を経て失敗は繰り返されるだけである。
そういった目で原発事故など最近起こった事故を見ていくと、いかに日本が「失敗」というものをその場の取り繕いだけで済ませてほとんど生かせないことがわかるようになった。
卑近な例で言えば、年金情報の流出問題がその典型である。年金機構の職員がスパムメールのファイルをクリックしてしまい、ファイヤーウォールに穴が空いて侵入され、情報を盗まれという例の失態だ。
メディアが報じた情報流出の原因は、「メールを出した相手がよくわからないのに添付ファイルをクリックしたという初歩的なミス」「ミスを防ぐための職員の教育不足」「情報共有が遅れた情報管理上の不手際」「警察に届けてからも手当ができず情報が漏れ続けたというずさんな管理」という4点に集約されている。
最終的には、「情報管理がずさんすぎる」とトップや組織の責任追及することに終始している。
実際、どのコメントを見て「注意喚起の徹底不足」「情報保守の心構えの欠如」「ずさんな管理体制」など、結果の感想しか見あたらない。ファイルをクリックしたのだから注意が足りなかったのだろうし、あるいは心構えがなっていなかったのかもしれないし、情報が漏れたのだから管理がずさんなのかもしれない。
日本では「言い訳をしない」「黙って責任を負う」といったことが美徳とされる。あるいは、逆に、マスコミなどもトップの責任を追及するのが中心で、その失敗の頻度や真の原因などを詳細に追うことは希で、とくかく「トップの怠慢」が追求される(ついでに愛人問題なども出てきたりする)。
これでは真の原因は温存され、時間を経て失敗は繰り返されるだけである。
そういった目で原発事故など最近起こった事故を見ていくと、いかに日本が「失敗」というものをその場の取り繕いだけで済ませてほとんど生かせないことがわかるようになった。
卑近な例で言えば、年金情報の流出問題がその典型である。年金機構の職員がスパムメールのファイルをクリックしてしまい、ファイヤーウォールに穴が空いて侵入され、情報を盗まれという例の失態だ。
メディアが報じた情報流出の原因は、「メールを出した相手がよくわからないのに添付ファイルをクリックしたという初歩的なミス」「ミスを防ぐための職員の教育不足」「情報共有が遅れた情報管理上の不手際」「警察に届けてからも手当ができず情報が漏れ続けたというずさんな管理」という4点に集約されている。
最終的には、「情報管理がずさんすぎる」とトップや組織の責任追及することに終始している。
実際、どのコメントを見て「注意喚起の徹底不足」「情報保守の心構えの欠如」「ずさんな管理体制」など、結果の感想しか見あたらない。ファイルをクリックしたのだから注意が足りなかったのだろうし、あるいは心構えがなっていなかったのかもしれないし、情報が漏れたのだから管理がずさんなのかもしれない。
ただ、そういったことは結果に対する叱責でしかなく、分析へに意識が欠如した、コメントにはほど遠い感想でしかない。単なる結果論である。
職員が何千人もいれば添付ファイルをクリックするうかつな人(あるいは無知な人)は必ず1人いるのが自然である。努力を積み重ねて1000を1にするのは可能でも、ゼロにするのは不可能である。
実は、政府側は対策を立てていた。日経新聞によれば、この3月に省庁対抗のサイバー攻撃に対する競技会を開いており、目標をクリアできなかった省庁に警告しており、厚労省のその中に入っていたのである。
だが、おそらくそんなことは、無駄とは言わないが、たいした効果はない。実際、年金情報の流出が起こったのはその3か月後だ。
重要なのは、脆弱さがわかったときに、どういうシステムを作って防御力を高めるかを具体的に実践していくことである。
それなのに、野党は「万全な管理体制が整うまで延期すべきだ」などと政府を攻撃している。だが、これも馬鹿げたことで、「万全な管理体制しろ」と通達を出せばいいというのであれば、とっくにそうなっているはずだ。本当に攻めるべきは、「なぜ現場にまで対策が行き渡っていなかったか」という点である。トップをこき下ろしても、さほど意味はない。
「サイバー対策ができてきない」と繰り返し警告しても意味がないという点は、政官問わずこれまで情報流出は数限りなく起こっていることからもわかる。最後は毎回、「猛省せよ」で終わり、「何が悪かったか」が真剣に議論されない。
もし、それらを現場レベルから分析していれば、今回についても、完璧に防げないにしても、被害を最小限に留められたと思う。少なくともここまで被害を拡大させることはなかったはずだ。
問題は現場の人たちの主観的な意見を調査しなかったことにある。「いま年金機構はサイバー攻撃に対する防御力が低い。なぜなのか」ということを、現場から聞き出し、思いぞんぶん言い訳をさせ、愚痴を引き出なければならなかったのだ。
そうすれば「トップとの情報交換をすることがないので不安」「わからないときに問い合わせる専門家が配備されていない」「ウィルス感染したとわかっても、誰に報告すればいいかわからない」「こんな大量のデータをオンラインで管理するのは不安」「パスワードが設定されていないが大丈夫なのか」など、対策すべきことがたくさん出てきたはずだ。
ところが実際は、トップで「厚労省のサイバー対策は脆弱だ。強化せよ」と通達され、「注意いたします」と了解されて、現場レベルでは何もかわらなかったわけである。
それができなったのは、日本の組織やメディアが、相変わらず「個人のミス」「トップの責任」という個人の責任ばかりを追求し、「システムの欠陥」というものを考えなかったからだろう。
ポイントとなるのは「反省」である。日本人にとっての反省には、「失敗した者は言い訳するな」という同調圧力が強くかかるものである。その失敗にはいくつもの理由があるのに、それを抑え込んでしまうために、次に生かせず、繰り返してしまうのだ。
今回の経過を追っても相変わらずである。現場を反省させ、トップを謝罪(あるいは辞任)させている。そうやっていつも「しっかりしろ」「反省しろ」でしませてしまうからこそ、今回の問題は起こった。
まさに起こるべくして起こったと言わざるをえない。
日本社会では相変わらず連帯責任が跋扈(ばっこ)している。私も学生時代は厳しいほうの体育会だったので、同級生がミスをして、そのグループ全員が罰を受けるという理不尽きわまりない制裁を何度も受けた。言い訳でもしようものなら、どんな暴力を受けたかわからない。
ミスをした人間は仲間にすまないと思い、次からは反省するだろうという野蛮な思想から生まれたやり方によってミスが防げると、多くの日本人が本気で信じていた。
本気でミスを防ぎたければ、ミスをした本人に言い訳をさせ、愚痴を可能な限り言わせ、すべて拾っておくことである。その上で、必要な対策を専門家を交えて立てるべきである。言い訳には次のミスを防ぐための貴重な情報が詰まっている。
マスコミの報道もしかりで、相変わらず「ずさんな体制」だ。システムの何がずさんだったかがわからないままで批判だけで終われば、今回のようなことは何度も繰り返すことになる。連帯責任で殴られてミスが防げると思っているなら、本当におめでたい。
本当に今回のようなミスを防ぐための報道をしたければ、現場の「言い分」を徹底的に聞くことだ。それを「見苦しい」とか「責任感がない」などと批難しているうちは、ミスなど防げるわけがない。

Image(s): FreeDigitalPhotos.net
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