デビューのときから彼女の顔と雰囲気が好きで、写真集もヌード以外はぜんぶ持っていたのだが、引っ越しを期に処分した。彼女の私生活に関心があるわけではないので、離婚したことは最近まで知らなかった。
それでは、「女性タレントで最も美人なのは誰だと思うか?」と聞かれたとしたら、どう答えるだろう。私でも高岡さんだとは答えない。それは質問に「好み」とは別の客観性が求められているからだ(高岡さん、すみません)。
考えるに、「佐々木希」は1つの有力な選択肢だろう。
十全の「美人」とは究極の無個性のことだ。負の要素だけではなく、「かわいい」と表される丸顔なところとか、美人の付随要素にもなりうる「険がある」など、すべての「異物」を排したところに成立するのが「美人」である。
さらに、日本においては「知性」さえも、(とくに若い男の求める)美人を成立させるのに邪魔になりうるので、まさに究極の無個性である。まるで自我がないがごとく見えるのが「究極の美人」だ。
そして、美人の無個性さは透明感をもたらす。
それはバカラのグラスやスワロフスキーのアクセサリーと本質的には同じだと言ってもいい。あるいは、日本の男どもがロシア人美少女の画像を見たときなどに現れる、「自分とは全く関係ないけど、とりあえず愛でてみる」といった生産性のない態度をもたらすもののことである。
だが、世間は美人を求めるくせに、美人に厳しいものだ。美人がだらしないと「美人のくせにだらしない」になるし、美人がずるいことをすると「顔はきれいなのに、やっていることがきたない」などと非難されることになる。容姿のおかげで期待値が上がるぶん、中身が凡庸だと、その落差で叩かれてしまうわけだ。
なぜこういったことが起こるかというと、基本的に美人を求めるのは男であって、女は「容姿だけに惹かれる男」に嫌悪を持つものだからである。そして、女性たちの一部が嫉妬から理不尽に彼女の敵に回るのである。時にこれを「女の嫉妬」と呼んだりする。
私など佐々木希さんを見ていると「よくこんなナチュラルな感じで育ったものだ」と奇跡を目にしたような気分になることがある。
本物の美人というのは女性の嫉妬と戦わねばならず、身を守るために男性化したり(=「しゃべらなきゃ美人なのにねえ」)、できるだけ目立たないように自分を抑えたりする術を身につけることが多い。
現実として本物の美人は男性にとって近づきがたくて敬遠されることも多く、意外とモテなかったり、蛮勇をふるった魅力のない男性と付き合う羽目に陥る。美しさもほどほどくらいのほうがかえってモテたりする。
そういったわけで、佐々木さんも世間(というか、女性を中心とした一部)からは「美人だけど、性格が悪い」「顔はいいけど、演技がへたすぎる」「容姿は良いけど頭が良くない。トークがダメ」「顔はかわいくても、中身がヤンキー」などと、「中身」を悪く言われる宿命にある。
いや、私もドラマに出ている彼女を見たことがあるが、「演技が下手」というレベルではない。「演技をしていない」というほうが正確かもしれない。それは「何をやってもキムタク」といった「アイドルとしての演技」ではなく、演技力の向上を含むすべての努力を放棄しているかのような印象さえ与える。
木村拓哉はキムタクを演じているのだが、佐々木希はどんなときも佐々木希だ。また、佐々木さんはそのために起こる低評価をさほど気にしている様子を見せず、とにかくメンタルが強い。その点、アイドルの中のアイドルである木村拓哉さんを超えているかもしれない。
勝手な想像だが、おそらく彼女は幼少期からその美しい容貌をもてあまして、自己表現することを放棄したのではないだろうか。自我を出すと反発を受けるので、とりあえずその場の流れに乗り、その限られた中で面白いことを見つけるといった「消極的積極性」とでも言うべきことを身につけたのだろうと推測している。
嫉妬との戦いを生まれながらに宿命づけられた者としては、1つのあり方とは言えよう。
だが、佐々木希の美人性をもてあましているのは、本人だけではなく、おそらく周りもそうなのではないだろうか。ドラマに出しても浮いているし、パフォーマンスをやらせても商品価値がないし、かといって、モデルに留めておくにはもったいない。
まるで、安アパートに住んでいるのにダイソンの新しい掃除機をもらってしまったような状態だ。掃除機として使うには無駄に高性能で、使わないときにはどこに置いても収まりが悪い。
ここまでを読んで、私が佐々木希さんを人として見下しているように感じたかもしれないが、もちろんそうではない。彼女が芸能界にいるということは、彼女は周りに流されながらも、その方向に行くように自分でもコントロールしていたことがうかがえる。
彼女にとって芸能界という場がいいのは、彼女と遜色ない美人がたくさんいるからである。もちろん彼女に嫉妬する者もいるだろうが、嫉妬すべき対象は山ほどおり、少なくとも彼女だけに集中することはない。また、彼女に匹敵する美人と仲間になってしまえば、同じ苦労をしている「心の許せる友」もできる。
「成功した美人」というものは、限られた選択肢の中で最良を選ぶ技術を持っている。その根底にあるのが、批評眼の鋭さである。「この男ではなく、こっちを選んだほうが自分にプラスになる(楽しめる)」といった鍛え抜かれた技術を持つ。
一見、頭が良くなさそうに見えたとしたら、彼女の「業」に飲みこまれた証拠である。美人なのに批評眼が鋭いことがばれたらどれだけ恐れられるかわからないから、頭が良いふりをしないで、どんな男に対しても母性たっぷりの視線を向けるだけのことだ。彼女は「演技」もしないが素も見せない。見せたら何を言われるかわからない。
彼女のゴールはほぼ間違いなく「幸せな結婚」だろう。そこを目指して、でも今の流れを最大限に楽しみながら、佐々木希は漂流しつづける。彼女の夫となる人は、「日本一の美人」を手にすると同時に、その美しさを持てあます過酷な人生が待っている。
ただそれも、美しい娘ができるまでの辛抱なのかもしれない。だがその次には、その美しい娘をいつかは手放さなければならないという、誰も同情しない最高の不幸な予感に苦しみ続ける。
美しさは罪だ。本人の自覚とは無関係に、多くの男どもを不幸に陥れる。だから佐々木希は天使であり、かつ無自覚な悪魔でもある。


Image(s): FreeDigitalPhotos.net
【新刊翻訳書のお知らせ】
『世界のトップエリートが絶対に妥協しない小さな習慣』(大和書房)を出版いたしました。ウォール街のトップエリート女性が書いた、「どうやったら目標を100%成功させて、人生を大きく好転させるか」を解説した本です。多くの人に役立ちすばらしい本ですので、ぜひご一読ください。くわしい内容については→こちらまで。
そういったわけで、佐々木さんも世間(というか、女性を中心とした一部)からは「美人だけど、性格が悪い」「顔はいいけど、演技がへたすぎる」「容姿は良いけど頭が良くない。トークがダメ」「顔はかわいくても、中身がヤンキー」などと、「中身」を悪く言われる宿命にある。
いや、私もドラマに出ている彼女を見たことがあるが、「演技が下手」というレベルではない。「演技をしていない」というほうが正確かもしれない。それは「何をやってもキムタク」といった「アイドルとしての演技」ではなく、演技力の向上を含むすべての努力を放棄しているかのような印象さえ与える。
木村拓哉はキムタクを演じているのだが、佐々木希はどんなときも佐々木希だ。また、佐々木さんはそのために起こる低評価をさほど気にしている様子を見せず、とにかくメンタルが強い。その点、アイドルの中のアイドルである木村拓哉さんを超えているかもしれない。
勝手な想像だが、おそらく彼女は幼少期からその美しい容貌をもてあまして、自己表現することを放棄したのではないだろうか。自我を出すと反発を受けるので、とりあえずその場の流れに乗り、その限られた中で面白いことを見つけるといった「消極的積極性」とでも言うべきことを身につけたのだろうと推測している。
嫉妬との戦いを生まれながらに宿命づけられた者としては、1つのあり方とは言えよう。
だが、佐々木希の美人性をもてあましているのは、本人だけではなく、おそらく周りもそうなのではないだろうか。ドラマに出しても浮いているし、パフォーマンスをやらせても商品価値がないし、かといって、モデルに留めておくにはもったいない。
まるで、安アパートに住んでいるのにダイソンの新しい掃除機をもらってしまったような状態だ。掃除機として使うには無駄に高性能で、使わないときにはどこに置いても収まりが悪い。
ここまでを読んで、私が佐々木希さんを人として見下しているように感じたかもしれないが、もちろんそうではない。彼女が芸能界にいるということは、彼女は周りに流されながらも、その方向に行くように自分でもコントロールしていたことがうかがえる。
彼女にとって芸能界という場がいいのは、彼女と遜色ない美人がたくさんいるからである。もちろん彼女に嫉妬する者もいるだろうが、嫉妬すべき対象は山ほどおり、少なくとも彼女だけに集中することはない。また、彼女に匹敵する美人と仲間になってしまえば、同じ苦労をしている「心の許せる友」もできる。
「成功した美人」というものは、限られた選択肢の中で最良を選ぶ技術を持っている。その根底にあるのが、批評眼の鋭さである。「この男ではなく、こっちを選んだほうが自分にプラスになる(楽しめる)」といった鍛え抜かれた技術を持つ。
一見、頭が良くなさそうに見えたとしたら、彼女の「業」に飲みこまれた証拠である。美人なのに批評眼が鋭いことがばれたらどれだけ恐れられるかわからないから、頭が良いふりをしないで、どんな男に対しても母性たっぷりの視線を向けるだけのことだ。彼女は「演技」もしないが素も見せない。見せたら何を言われるかわからない。
彼女のゴールはほぼ間違いなく「幸せな結婚」だろう。そこを目指して、でも今の流れを最大限に楽しみながら、佐々木希は漂流しつづける。彼女の夫となる人は、「日本一の美人」を手にすると同時に、その美しさを持てあます過酷な人生が待っている。
ただそれも、美しい娘ができるまでの辛抱なのかもしれない。だがその次には、その美しい娘をいつかは手放さなければならないという、誰も同情しない最高の不幸な予感に苦しみ続ける。
美しさは罪だ。本人の自覚とは無関係に、多くの男どもを不幸に陥れる。だから佐々木希は天使であり、かつ無自覚な悪魔でもある。

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