こういうことは、リベラル然としたパフォーマンスが大好きな前杉並区長だったらいかにも率先してやりそうなのだが、渋谷区がやったということは、おそらく真面目に検討したうえで判断したのだろう。
同性婚を認めるかどうかはかなり難しい問題だ。というのは、結婚制度は、もともとその子供が誰と誰の子供かを確定するためにあるような面があるからだ。結婚のことを「永遠の愛の証」なんて言い方もしたものだが、本当に「永遠の愛」なんてものがあるなら、わざわざ役所に届けて認めてもらう必要などない。
同性婚に反対する人たちは、「子供ができない結婚なんて認めたら、少子化に拍車がかかってしまう」などと心配しているのではないだろうか。実際、同性婚がこれまで認められなかったのは、そこが最大の懸念になってきたからだと想像している。
私はと言うと、賛否について明確な立場はない。と言うのは、実際に少子化に拍車を掛けるのは事実だろうし、でも認めないのは人権問題になってしまう・・・というのが一般的な見解だろうが、そうではないと考えている。社会がもっと成熟したら、同性婚は認めるしかなくなっていくはずだ。
この件に関して自分なりの考えを述べたい。
日本で少子化が進んでいるのは、社会が成熟したからである。人が「仕事」や「生活」に拘束されなくなって、自分のことに時間を使えるようになって考える時間が増えると、結婚は必ずしも必須の選択肢ではなくなる。
従来、結婚が必然だったのは、年配者の面倒はその子供たちがみるべきものだったからだ。自分に子供がいなければ年をとったら身寄りがなくなって、貧困のうちに死ぬ可能性が出てくる。そういった無意識下の「老いの恐怖」「死の恐怖」が結婚や子供をつくらせる原動力になってきたのである。
だが、日本はいまや成熟国であり、年齢や他の事情で働けなくなった者の面倒は国や地方がかなりの程度までみてくれるようになった。従来の「眼前にある老いや死の恐怖」からとりあえず脱している。
今や非婚や子供を作らないことが有力な選択肢となりうる。
そして、同性婚はその先に存在する。一般的に「子供を作らない結婚」というものが認められれば、同性婚はもう少子化のストッパーではなく、一般的な結婚のあり方の一変種でしかなくなる。そうなれば、認めていくのが当然のことだろう。
では、少子化はこのまま先鋭化していくだけしかないのか。おそらくそうではないだろう。
従来は血のつながりというものが絶対視され、それを継承していくことが正しいとされてきた。だが、「子供をもらい受けて育てる」「子供のいる人と結婚して育てる」ということがごく普通のことになれば、子供を作らない結婚や同性婚は何らかの事情で親が子育てできない子供や貧困のために教育を受けられない子供の受け皿となり、1つのあり方として存在価値が高まるからだ。
たとえば、ある家庭には全員に教育を施せないほどの子供がおり、ある家庭は経済的な余裕があるのに子供ができないといった場合、「子供をもらい受ける」ということが自然のおこなわれば、少子化問題と子供の貧困問題の緩和に役立つ。
実際、そういったことは戦前はさほど珍しいことではなかったし、近代でもごく普通におこなわれていた。血のつながりが絶対視されるようになったのは、むしろ核家族化が先鋭化した戦後の話である。
「血のつながり」という拘束が解かれて、好きなときに自然に子供を持つという意識が生まれれ、同性婚でごく自然に子育てができるようになれば、少子化には必ずしもマイナスにはならないのである。
ただし、それにはそういった多様な親子のあり方を許容できる社会でなければならない。日本はまだそこまではいっておらず、渋谷区で最初に認められようとしている「正式な同性婚」が、本当に拡がっていくのかはまだ即断はできない。
ただ、日本でも新宿などとともに最も先鋭的な印象のある渋谷で始まったというのは象徴的なのかもしれない。やはりこの「事件」は同性婚の日常化の端緒にすぎず、拡がっていくと考えたほうがあるいはいいのかもしれない。
これは決して善悪の問題ではない。「徐々にそうなっていくであろう」といった、傾向とか流れの話である。感情的に反対するだけでなく、「そうなっていく可能性」を前提に、それに対応するために今後はどう対処すべきかを考えたほうが生産的ではないだろうか。

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