私は「度肝を抜かれた」という感じだった。それ以来、私は松坂投手が投げる試合はできるだけ見るようになった。要するに大ファンになったわけだ。よく「10年に1人の選手」という言い方がされるが、本当にそれが当てはまる選手が現れたと確信した。
以前、本ブログで「松坂大輔はなぜ壊れたか」という記事を書いた。そのときは夏の甲子園の過酷さがのちに肩や肘に爆弾を抱える原因になっていると述べた。
実際、夏の甲子園で優勝したエースでプロとしても活躍したのは近年、桑田、松坂くらいだ(→過去ログ)。
もちろん、現在の松坂大輔が「壊れた」原因はそれだけではない。長年、松坂大輔ファンの目から私見を述べたい。
松坂投手のストレートは天下一品である。単にスピードがあるだけでなく、きれいな縦回転をえがき、球速が初速から落ちにくい。これは打者から見るとまるで球が近づくほどに球が速くなり「ホップ」しているように見える(もちろん錯覚)。
だから、松坂はストレートだけで勝負できるプロでは希有な投手であるが、これには大きな短所がともなう。
きれいな縦回転をする球は、バットの芯に当たるときれいに反発して飛びやすくなる。とくに回転数が多ければ多いほど反発力も強くなって飛びやすい。
いくら剛速球投手でも100球以上も投げていれば、1人くらいは芯に当てられる打者はいる。相手もバット1本で食べているプロである。
これが「一発病」と言われる現象の正体である。
「一発病」は病気ではない(これを名づけた人は野球をよく知らなかったのだろう)。速球派の先発投手が宿命的に背負う現象だ。しかも松坂投手は現代野球では数少ない「先発完投」投手なのでなおさらのことだ。
それでも松坂は西武ラインズのエースとして、いや、日本のエースとして驚異的な成績で勝ち続ける。
だが、そこに松坂投手を追いつめる出来事が起こる。「飛ぶボール」の導入である。
1999年は16勝5敗、2000年は14勝7敗と圧倒的に勝ち星先行していたが、2001年にミズノ製の反発係数が高い球が導入されると、松坂投手は15勝15敗にまで負けが一気にかさんだ。
これは、あまりにも高い回転数ゆえにそのぶん反発力が大きく、「飛ぶボール」では芯に当たらずともスタンドに放り込まれてしまうことが大きかった。完投できるからこそ後半の球に慣れた頃に長打にされてしまい、逆転負けを喫するようになってしまう。
松坂投手はここで投げ込みを増やしストレートを磨こうとする。また負けず嫌いの彼は、打たれるとさらに力むクセがあり、また打たれても絶対に自分からマウンドを降りようとしなかった。球数が増え、全力投球が増える。
そして、ついに壊れる。2002年は6勝2敗というさんざんな成績で終わったうえ、日本シリーズでは清原和博を擁する読売ジャイアンツに滅多打ちされる。敬愛する大投手、西口文也の好投もだいなしにして、西武ライオンズは4連敗を喫してしまう。
松坂投手は野球を捨てる寸前までに精神的に追いつめられるが、これが意識を変える良いきっかけとなる。それまで禁じ手にしてきた、変化球を中心に投球を組み立てるようになるのである
松坂投手にはもともとの剛速球にくわえて、切れの良いスライダーがある。ほとんど投げなかったが、おそらく誰も打てないであろうフォークボールまであった。こうなるともう無敵だ。
2003年には16勝7敗で完全復活、2004年には10勝6敗ながら日本シリーズで大活躍して、西武ライオンズの日本一に貢献する。
だが、高校時代の投げすぎで出来た時限爆弾は、プロ前半での投げすぎによってその針は確実に進んでいた。それは、西武時代の後半の投げ方の変化に見られた。
私が初めて松坂投手の見たときの驚きは、その投げ方にあった。腕を高く上げて、まるで地面に腕をたたきつけるような、しなやかな鞭のようにしなる腕の使い方にしびれてしまった。
その美しいフォームは変わりなかったが、大リーグに行く前に腕が下がることがあるのに気づいた。松坂大輔の大活躍に熱狂しながらも、一抹の不安がよぎった。
続きます。

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