日米における「言論の自由」 | 真面目に脱線話@リンガランド英語塾

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英語や芸能など、思いついたことを適当に書いていくという、そういうブログです。

前回まで書いた「オバマ大統領の「ラスボス」」の続きのような内容です。



私たちの多くが「言論の自由」ととても大切なことだと教わってきて、実際にそう考えています。



しかし、言論の自由を100%認めると、多くの場合、国家は崩壊してしまいます。



なぜなら、言論の自由には、その言論の自由を認めている国家(≒政府)を批判する権利が含まれるからです。つまり、「言論の自由を認めるなんてけしからん!」と言って、政府を攻撃して、テロまでやったとします。それが純粋に政治的な考えからおこなわれた政治犯罪と認められれば、論理的には無罪です。


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これでは国家の存続は困難ですから、「ユートピア」であることを達成していないかぎり、100%の言論の自由はどんな国家にも存在しないと考えるべきです。



もちろん、その犯罪性に関しては、「政治犯は子孫まで根絶やしにしろ」という極端な独裁国家から、アメリカや日本のように基本的には全く自由に発言できる国家まであります。ただ、どこかにそれを制限するストッパーが必ずある点では同じです。独裁国家なら、その独裁者がまさにストッパーです。



では、制度的に100%の言論の自由が認められている国には。何がストッパーがなっているのでしょうか。



日本にいる私たちが「あなたには言論の自由がある」と言われても、「そうかな?」と返したくなるような違和感があるのではないでしょうか。たしかに「日本の首相は馬鹿だ!」と駅前で拡声器でどなっても処罰されることはありませんから、制度的には自由です。



ただし、あなたが会社や学校に行くと、その姿を見た誰かが「あの人、駅前でアジってたよ」と噂になっているかもしれません。そして、何となく人が近づいてこなくなり、孤立している感じになるかもしれません。


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これが、日本におけるストッパーです。日本では「逸脱した行為をするものは、孤立する」という空気が支配する国家です。法律ではないところでそうやって言論の自由が実質的に制限されます。



では、アメリカはどうでしょうか。アメリカは日本のように空気の支配は強くありません。では、どうやって言論の自由を制限しているのでしょうか。



その1つの答えが、武器携帯の自由と陪審制です。



たとえば、Xというアメリカ人が「アメリカなんて最低の国だ!」と言いながら国旗を燃やすというデモンストレーションをやっていたとします。それを見て、アメリカ人であるYが拳銃で思わずXを撃ってしまったとします。



怪我のどあいにもよるでしょうが、おそらく有罪でしょう。でも、Yがとても純粋でボランティアにも熱心で愛国心が強く、裁判でYは強い愛国心から発砲したとすべての陪審員が認めたとしましょう。



そもそも武器は持っていいわけですから、「発砲する正当な理由があった」と認められれば、無罪になる可能性も出てきます。そうなれば、公の場での国家批判は心理的にやりづらくなるでしょう。



このように、武器携帯の自由と陪審制の組み合わせは、実は言論の自由を制限する点でも機能しているわけです。


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これは個人的な意見ですが、グローバル化の中で国家が発展するためには、いろんな国から学生や研究者や企業が集まるような「プラットフォーム国家」になることが必要です(その先鞭となったのが、イギリスの故サッチャー首相です)。



日本においては、言語外でみんなが一致できる「空気」の存在が阻害要因になっています。アメリカでは武器携帯の自由です。



でも、日本において「空気」がなくなり、アメリカにおいて武器携帯の自由がなくなるということは、その国民のアイデンティティの一部がなくなることを意味します。決して簡単ではありません。



でもだからこそ、そこに意義を見いだして「プラットフォーム国家」になることを目指すことが有益なのだと私は思います。達成はできないでしょうが、なんらかの方策を見つけてプラットフォーム化を実現すれば、日本という国はまだまだ発展する余地がたくさんあると信じています。



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