弓と矢【第1話】 | 【大阪・梅田】ねこ店主のひとりごと

【大阪・梅田】ねこ店主のひとりごと

ねこ店主のおばかさんでちょっと不思議なひとりごと。

この話は…

あるクライアントの御夫婦が経験した

様々な体験や、不思議な出来事を通じ

「夫婦の在り方」を問い掛ける問題作。

基本的にノンフィクション(実話)です。

(※① 個人特定をされぬ様に一部名称等は変更)

 

 

「矢」を射る為に必要な「弓」

 

 

その一対の形はまるで、夫婦の関係の

在り方の様である。

 

 

矢が長くとも、短くとも、重くとも、軽くとも

上手く放つ事は出来ず、弓に張った糸

(弓弦)の張り具合いにより、その的を狙う

正確さや飛距離も違う。

 

 

 

 

つまり、バランスが必要なのだ。

 

 

 

 

それと、弓道とアーチェリーはそもそも

「弓を引いて的に中てる」という事以外

  (※弓道では「中てる」と書いて「あてる」と読むそうだ)

かなり違う。

 

 

 

簡単に言えば…

 

 

 

アーチェリーは、西洋から来た「スポーツ」。

どれだけ的の「中心」に中てる事が出来た

のかを点数で競う。

つまり、正確に的を射る事が最も重要なの

である。

 

 

 

対して

 

 

 

弓道は、日本古来の「武術」と言う伝統文化

であり、的に中てた本数を競うもので、的に

中てる事自体が難しいとされている。

 

また、体配、射技、弓道の理解を見る審査

があり、これに合格して段位を得る。

 

段位を得る以外にも、精神修養としての

要素が強く、弓道を「立禅」と呼ぶ人もいる。

 

 

 

 

つまり

 

 

 

アーチェリーとは、技術の向上により

精度を上げて、点数を得て他者との結果

を競うもの。

 

弓道とは、「生き方」そのものであって

武道という観点から、「己との戦い」なの

かも知れない。

 

 

 

どちらかが良い、悪いではなく…

 

まさに「似て非なるもの」なのである。

 

 

 

 

 

 

さて、本題に戻るのだが…

 

 

今回の主人公である、ご夫婦の奥様が

うちのお店に初めてご来店されたのが

2013年の春。

 

彼女のお知り合いの有名な先生が整体

とカウンセリングを受けに来て下さって

その事を面白おかしくブログに書いたのが

きっかけだった…と記憶している。

 

 

 

 

 

彼女は穏やかな性格の持ち主なのだが

その心の奥に、「信念」の様な強い思い

を持っている。

 

恐らく

 

その胸に秘めた「信念」を周囲の人達は

知らないのだろうと感じた。

 

 

それを隠したまま、決して自分が前に出る

様な事はせず、常に周囲に気配りをして

縁の下で支えるタイプなのだが、自身の

考えや思いと現実とのせめぎ合いの中で

折り合いを上手につけられずにいた。

 

 

つまり

 

人との関わりの中で、周囲からは誰とでも

完璧に付き合える「協調性」がある人だと

思われているのだが、本人としては案外

好き嫌いが激しく、些細な言葉で傷付いて

しまうのだ。

 

 

しかも

 

実直で心根が優しいが故に、そんな自分を

責めつつ、気持ちの持って行き方にいつも

困っていたという感じだった。

 

 

 

 

何故なら、自分さえ良ければいいと考える

人間は、様々な出来事の中で自分を責め

たり、こうするべきだったかと悩む事は

ほとんどない。

 

結局、誰かや何かのせいにして…自分は

決して悪くないというものである。

 

 

 

 

彼女はどちらかと言えば、大切な人の為に

自分が犠牲になってでも助けたいと、心底

考えるタイプ。

 

 

しかし、これもまた

決して良い考えとは言えないのだが…

 

 

 

 

 

 

 

 

セッションの中で、彼女が拘っていた

様々な事柄のひとつひとつを紐解いていき

少しでも気持ちが楽になるようにしてあげて

と…イメージを飛ばす彼女の守護霊さんが

結構、せっかちな方(女性)だったのを

今でも覚えている(笑)

 

 

 

 

そんな彼女から…後日

「思いも掛けない言葉」を聞く事となる。

 

 

 

果たしてその言葉とは?

 

 

 

今思えば、この出会いと「ひとこと」が

5年後の彼等の「運命」を大きく変えた

のかも知れない。

 

 

 

この時点で「ある程度」彼女の守護霊

さんが「知っていた」からこそ…

 

この我々の「必然」で「必要」な出会い

に「せっかち」になっていたのだろう。

 

 

それは

 

 

全てを知った「今」だから言えるのだが…。

 

 

 

 

 

 

つづく