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堺の「お笑い脈ナビ師」谷田先生に言われたひと言。
「本来の、多分ベストな打ち方よりも、脈がはやく打ってます。
本来、もうちょっとゆったり打ってる人です。」
この記事でも、書いたことなんだけど。
これ、実は、ずっと頭の片隅に引っかかってた。
「本来の私は、もっとゆったりしてる?」
本来って、どの部分の、どの私なんだろう。
最近の私?夜寝る前みたいなリラックスしてる時間の私ってこと?
それとももっと根源的な話??
そもそも「自分」ってものは幻だって思ってるし、本来って何って、よく分からずにいた。
でも、今日。
ある方のセッションを受ける機会があった。
(実は、私、あんまりセッションって受けに行かないので、すごく珍しい体験だった)
そこでまさか、「本来の私」について深く考えることになろうとは。
それは最初のカウンセリングで、「気になる心の問題」について、
「気分のアップダウンが激しい」
と記入したことから始まった。
元気な時は、わー!って舞い上がったようになっているけど、たまになにかきっかけがあると、どーんって落ち込んで、ひどい時は
「もう無理・・・生きていちゃいけないのかもしれない・・・もうこれ以上生きて行けない・・・」
とまで思い詰めてしまう。
この原因について、
「小さい頃からそうだったんですか?」
と問われたとき、はたと気がついた。
そうだ、本当に小さい頃は、そんなにわーって騒ぐ子じゃなかった・・・
ほんとに小さい時は、公園で遊んだりとかより、おうちのなかで絵本をめくってるのが好きな子だった。
お友達と遊ぶのは、どっちかっていうとストレスで。
小学生の頃は、のんびりマイペースな子だった。
こんな風になったの、いつからだろう・・・
そうだ、大学生になって。
サークルがとっても楽しくって。
でも、楽しかったけど、中学校時代のいじめや、高校の時の友人関係などから、
嫌われたくない
明るくしてなきゃ
って、過度に思いすぎた気がする。
そこから、かもしれない・・・
落ち込んで、死にたい、みたいなのは、いじめの頃からだから、もう少し期間が長いけど、楽しい時に元気になりすぎてしまう、みたいなのは、もしかしたらあの頃からなのかな。
人と一緒にいる時、本当に嬉しいから、私、嬉しい時に嬉しくない顔が出来ないから、ニコニコしてしまうんだけど、これもどこか、無意識に緊張をはらんでいるのかもしれない。
経絡ストレッチの時も、2日目の途中、体からの強制的な脱力が始まったあたりから妙にハイテンションになってしまった私を、笑顔の中でも冷静な横目で私を見ながら(おそらくあれが彼が「観じる」時の目なのだろう)、
「いいですねー、この、いつプッツリ切れるか分からないテンションの上がりっぷり」
と評していた谷田先生。
たぶんそういうことだ。
本来の私より、エンジン踏み込みすぎてバースト寸前になってしまうんだ。
6年生で仙台に転校する以前、5年生までの私って、どんなんだったんだろう・・・。
転校した先で先生方にひどく冷たくされた。
初日に、担任の先生に
「あなたが活躍するのは中学校からでいいから」
と言われたらしく、自宅に帰ってから、母に泣きながら怒って訴えていたらしい。
「私、別に学校で目立とうとか活躍しようなんて全然思っていないのに!!」
5年生までいた小学校で、のびのーび暮らしていたら、推薦されて「6年生を送る会」の代表になった。
それは、「次期児童会長のポスト」と目されていたものだったそうで、実はその小学校は、それまで、女子の児童会長がひとりもいなかったため、その小学校で初めての女子の児童会長が誕生するかも、と言われていたらしい(無自覚)。
その5年生の時の担任の先生が、えらく私を買って下さっていたらしく、もしかしたら、転校先の小学校への内申書的なものに、そのことを書いていたのかもしれない。
転校先の小学校も、前の小学校のように、その県を代表するようなところで、PTAの方々が大変強かったそうで、先生方は親御さんたちの顔色を伺っていらっしゃったのかもしれない。
(成績表が発表になると、クラスメイトの親御さんから、
「なおちゃんの成績、どうでした?」
と探りの電話がかかってきたそうで、母はずいぶん驚いていた・・・所変わればですなぁ)
そんなことを言われたにもかかわらず、なぜか、頼んでも立候補もしていないのに、担任の先生から応援団に指名され、めちゃ苦労したりした。(振り付けやら何やら覚えなきゃいけないことがたくさんあって)
仙台でのその経験があったので、私は、「転校」ってことが、すごく怖くなった。
「またあの時と同じことが起こるのかもしれない・・・」
川崎市の中学校に入った、入学式のその日、そう思って密かに震えていたことをよく覚えている。
クラス全員から無視されるようになるのは、それから数ヶ月後のことだ。
理由はよく分からない。ただ、後から聞いた事によると、ある日、クラスの女子全員が集められて、
「明日から、笹川と口きいたヤツ、全員シカトするからな」
と、ある女子が言ったらしい。
私は、母から、人を嫌ってはいけないときつく言われていたので、どんなにいじめられても、いじめている人たちを嫌いにはなれなかった。
あの子も、いいところがある。
明るいし、元気だし、笑うと可愛いし。
私が悪いから、私が駄目だから、いじめられるんだ。
そう思って、ひたすら自分を責め続けていた。
そして、それから何ヶ月経った頃だろう。
担任の先生が、
「放課後、笹川に文句のあるヤツは全員残れ」
と、帰りの学活の時に言った。
すると、クラスの女子が全員残った。
そして、椅子を大きく丸くぐるりと並べて、先生が
「これから、一人一人、笹川に言いたいことを言え。
笹川はそこに立って。
言い返さないで、全部に頭下げて「すみませんでした」と謝れ」
と言った。
そして私は、一人一人から、色々言われたんだけど、ほとんどが、記憶に無いことで。
たとえば、「下駄箱で声をかけたのに無視された」みたいな、もうそれ、いつのこと?というようなことで。
でも私はとにかくひと言も反論を許されず、ひたすら、
「すみませんでした」
と言って頭を下げた。公開のつるし上げだった。
悪夢のような時間が終わると、先生はとても満足げな表情で、
「これで言いたいこと全部言ったな。明日からは無視したりするなよ!」
と言ったんだけど、翌日からは、「いじめられている人」という公然のレッテルが貼られ、余計に無視されるようになった。
先生方からも、「あの子はいじめられている、注意が必要な生徒」という目で見られ、ほかのクラスの人たちからもそういう風に思われた。
2年生の時は、クラス替えがあり、少しはマシになったけれど、3年生でまた、思いもよらない展開になった。
友達になれる人が、ひとりもいなかったのだった。
体育の授業のとき、誰ともグループになれない私を見て、先生が
「笹川も仲間に入れてやれよ、可愛そうだろ」(注:女性の先生です)
と言ったひと言に、ぷっつーんと何かが切れた私は、
「先生、私、いじめられてません」
と、低く力強い声で、言い返した。
すると、まわりの女子達が急に、
「そうだよな!笹川は別に、いじめられてないよな!」(注:女子の発言です)
と言って、グループに入れてくれた。
そんな感じの、孤独な中学校生活。
ヒプノセラピーやなにならで、何度も何度も、そこのトラウマを癒したり解放したりしている。
経絡ストレッチでも、そこの感情がまた吹き出してきて、涙が出た。
一体いつまで、この思いと付き合うんだろう。
何回これを解放して、もういいです、ありがとう、さようなら、と思えば、ここから楽になるんだろう。
まるで螺旋階段のように、すこし上がっても、また同じところに帰ってきてしまう。
そんなことの繰り返しだったんだけど。
もしかしたら、今日受けたセッションで、また少し、上に登れるかもしれない。
こうして、特に問題がないという時でも、セッションを受けるのって、いろいろ勉強になるなぁ。
今回は、ほんとに、不調が特になかったけど、「ピン!」と来て、受けることを決めた。
(偶然、今朝は朝から、猛烈な頭痛と吐き気、冷や汗に襲われて、這いつくばって動く以外何も出来ない状態で。
セッションも近所で行われていたからなんとか行けたけど、10分ほど椅子に座って話している間にもどんどん気持ち悪くなって、しんどかった・・・家に帰ってから頭痛薬飲んで、だいぶ楽になった)
こういう勘って、大事だなぁ。
本来の、もうちょっとゆったりと脈打つ私に、戻れるかしら。
いつか、谷田先生に、
「本来の脈の打ち方に、戻りましたね」
って、言われる日が、来るんだろうか。
そうなったら、一体、どんな私に会えるんだろう。

どんなにいじめられても、私は、こう思っていた。
仲良くしようよ。
仲良くしたら、きっと、楽しいよ。
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