学生運動 | kyupinの日記 気が向けば更新

学生運動を経験した高校教師の話

旧帝大及び国立大学医学部が、かつて1年だけ非常に難しかった年がある。その年は東大の入試が学生運動の影響で中止された年で、本来、東大に入るレベルの学生が地方の大学に入学せざるを得なかった。その年とは1969年である。

 

1969年東大安田講堂事件の画像

 

僕が高校時代、その当時に学生時代を送った先生が何人かいた。授業をせずに学生時代の面白い話ばかりするのである。僕たちは厳しく授業をされるより、遥かに楽しめたので、彼らを歓迎した。

 

当時の大学生は、東大に限らず授業はあまり行われず、しばしば学生運動のデモに参加していた。その先生が言うには、腕を友人と組んで練り歩くのは良いが、一番先頭とか道に近い端にいると、機動隊の人たちに激しく蹴られるので、それを避けるように練り歩かないといけない。

 

あの機動隊員に蹴られた日には、彼らの靴は相当に重いのもあり、骨折までしなくても大変な打撲になったらしい。当時、どの家庭でも大学に行ける時代ではなく、勉強もしないで彼らの仕事を増やすだけのデモは、彼らの階級闘争的な恨みも買ったと言う。

 

何度もデモに参加していると、機動隊のお兄さん達とお互い顔を覚えるので、目が合った瞬間、「また、来ている!」と言うノリだった。

 

真の学生運動家は放校になることも稀ではなく、どちらかと言うと、全く学生運動をする気がないか、学生運動には共感できないような学生が、後に大学に残り大学の教官になった。そのようなことから、当時に学生で後に教官になった人に優秀な人が少ないのは当たり前と話していた。

 

この話はどのくらい信憑性があるのかわからなかったが、確かに教養課程でつまらない教官がいたのも確かである。

 

僕が入学時、既に学生運動は収束しており、もしそのような学生運動をしていたとしたら、むしろかなりの変わり者と思われていた時代である。しかし企業の警戒感も残っており、採用する際にどのような学生生活を送っていたか調査が行われていた。学生の兄弟が他大学にいた場合、それも調査するのである。

 

僕は教養課程の1年目は下宿していたが、下宿のオヤジが言う通り、さまざまな会社から調査の電話がかかってきていた。どのようなことを聴かれたか、その詳細をそのオヤジが教えてくれるので、「そこまで調べるんだ」と驚いた。

 

医学部の友人の話では、このように調査をする理由は、うっかり学生運動家を採用してしまうと、後に労働組合の大物になったりし、会社が傾きかねないからだという。

 

学生運動は医学部卒後の当時のインターン制度も関係していたので、僕より10年以上先輩医師には学生運動をしていた人もいる。彼らは放校にならなかった場合、卒業して医師になった以降も、学生運動を金銭面で支援していた。

 

これが、僕には最もわからないところである。学生時代はともかく医師になって働いているのに、反社的な行動もしかねない学生運動家を支援する?と言ったところである。

 

僕から見ると、当時の学生運動はある種の社会的な麻疹のようなもので、学生の視野狭窄か錯覚に他ならないと思っていた。

 

おそらく、よど号ハイジャック事件で北朝鮮に亡命した活動家たちは、実際に北朝鮮の社会を見て、愕然としたのではないかと思う。

 

当時、医学部を放校になった人は海外に渡り心理療法を学び、後に帰国して精神科病院に勤めている人もいた。もちろん医師免許はないが、その頃は心理療法家には正式な国家資格などなかったのでそれで良かったのである。

 

うまくしたもので、そういう左派の精神科病院が、彼ら、つまりかつての学生運動家を支援している形になっているのはとても興味深いと思う。

 

参考