
精神科医が、知らない人と話すと言うこと
今回は前回の記事と多少は関係があるが、ずっと以前から思っていたことである。精神科医が知らない人と話す場面とは、新患を診る機会だと思う。普通、全く知らない人と会う際は、ほとんどの人がある程度の緊張感を持つものだ。神経症的な対人緊張がある人はもちろんだし、そうでない人でも「人見知り」する人はなおさらである。以下はGoogleのAIによる「人見知り」の説明である。
ところが、精神科医をしていて新患と対峙する時、初対面ながら、この種の緊張感がまるでない。僕は子供の頃、人見知りする方だったので、なぜ緊張しないのかずっと不思議に思っていた。
いくつか考え方があるが、主治医‐患者関係に、主従があることが1つあると思う。悪い意味ではなく、医師は少しでも良くなるように治療をしようと診察に臨むので、対人緊張が緩むような気もする。
駆け出しの頃を思い出すと、最初の頃から、この種の緊張感があまりなかったような記憶があるので、この「主従関係」の要素は大きいと思う。
もう1つは長年の慣れで、もはや自分のライフスタイルというか1つのルーチンなので、緊張感が生じにくいのでは?と思っている。興味深いのは、緊張と関係が深い「吃音」が初診時にさほど改善しないことである。しかし細かいことを言えば、普段の緊張する場面よりはマシにはなっている。
僕は吃音があるが、精神科医になり、診察をすることでリハビリ的な会話の経験を積んだものの完治することはなかった。なお、調べたことはないが、一定の率で吃音がある精神科医がいる。しかも結構、実力がある医師にそういう事例があったりするのである。つまり精神科医は、極端に酷くないなら「吃音」が業務や業績に支障を来たすまではない。
このようなことから、おそらく吃音は器質性疾患であり、より緊張する場面で増悪するが、そこまで神経症的疾患ではないような感覚がある。吃音に最も効いた薬は自分の場合、リリカであった。
ちょうど、軽いぎっくり腰をしていた時、職員の結婚式のスピーチを頼まれたため「リリカを飲みつつ結婚式でスピーチする」という実験が成立した。なんとリリカを服薬してスピーチすると、自分でも予想もつかなかったほど、全く噛まずに流暢に淀みなくスピーチできたのであった。これはリリカの抗不安作用もあるが、むしろ抗てんかん作用の方が奏功したような気がする。
この事件以来、学会で発表する時は、リリカ75㎎を服薬して臨むことにした。いわゆるドーピングである。
吃音で思い出したが、最近、フリーアナウンサーの小倉智昭氏が亡くなった。以下は羽鳥さんが小倉さんに生前、インタビューした動画だが、非常に興味深い内容である。今回の吃音については、26分30秒からを参照してほしい。
この動画では、子供の頃から小倉さんには吃音があり、七夕の短冊に願い事で吃音が治るように願いを書いたが、叶えられることはなかったと言っている。この後の父親が小倉さんに語ったエピソードも良い話である。
注意してインタビューを聴いていると、確かに小倉さんには吃音がある。本人は今でも治ってはいないと言っている。小倉さんはフリーアナウンサーとして、現場でけっこう自由に番組を進行させてもらったようなことを言っておられた。それも良かったものと思う。
mリーグのMCの日吉さんもそうだが、喋る職業とは言え、吃音のために完全に道を閉ざされるものでもないのがわかると思う。
精神科医が外来で新患も含め、著しいストレスを浴びず診察できることは、中期的には真の知らない人でもなく、かといって非常に知っている人でもないことが大きいと今では考えている。
この距離感が重要で、それがストレスを和らげて対人緊張を緩和するのだろうと思う。
参考
