③ のつづきです。

なんだか思いのほか長くなってしまってますが、自分のための備忘録でもあるので、しっかり残しておこうと思って書いています。よろしければおつきあいくださいクローバー



 

骨髄移植にむけて

緊急入院になり、無菌室に戻ったコウさんは

幸い、その日のうちに熱も下がり

肺炎などにもなっていませんでした。

(抵抗力がないと、ちょっとの風邪があっという間に肺炎になるそうです)


心からほっとしました。


好中球がゼロの状態で無菌室から出るのは

本当に危険なことなのです。



熱が出たのが病院にいるときで良かった!

軽井沢にいて熱が出たりしたら

遠い病院に駆けつけるまでにどうなってしまうかわからない。ゾッとしました。



この時、次に問題になったのは

1週間後に予定されていた鼻の手術でした。

抵抗力がゼロの状態では、当然手術も出来ません。


鼻の手術が遅れるということは、

骨髄移植も遅れるということ。


輸血など必死の治療が続きました。




けれどここから、

神さまに祈りが届いたんじゃないかと思うような、奇跡みたいな展開が続きます。


 

鼻の手術、そしてまた叶った一時帰宅

「好中球が上がって、予定通り鼻の手術が受けられることになったよ!」

と連絡がきたときは嬉しかった。。


手術の2日前までゼロだった好中球が上がりはじめ、手術当日になってようやく大丈夫な値になり、ギリギリで手術が可能になったのです。


鼻の手術は痛そうで、

数日間出血も続いてかわいそうでしたが、

これも移植前に必要なメンテナンス。



しかも術後の経過がよく、

移植前にもういちど、3日間の退院が許可されました!



3日間。

家のことを片付けたり、

最低3ヶ月間かかる入院の準備をしたり

やることだらけであっという間でしたが

この帰宅は、心の準備にも、鋭気を養うという意味でも、とても大切な時間になりました。


むーちゃんにもちゃんと説明して
「いってきます」が言えて良かった。


東京からお兄さんも駆けつけました。
うらやましいくらいに仲の良い兄弟で、
コウさんが入院してから、お兄さんも時々軽井沢に来ては家のことをやってくれています。

入院前夜、深夜1時まで語り尽くしたそう。



入院の朝は、わたしが迎えに行きました。


「いよいよ、頑張りどきだね」


コウさんも決意が固まった顔をしていました。



次に迎えに来るときは、


最高に嬉しい瞬間だと信じています。




必ず、元気になって軽井沢に帰ろうね!




退院してきている間、感染症にかかることなく

無事に病院に送り届けられたことは心底ほっとしました。



 

移植に向けての説明

※実際は骨髄移植ではなく臍帯血移植ですが、わかりやすく「骨髄移植」と表現しています。


翌日の11月18日

医師から移植の説明を聞くため

お兄さんとわたしで病院に行きました。

仕切りの向こうですがコウさんも同席しています。



こわいことをいっぱい聞かされる

そういう覚悟はしていました。

こういうときは、最悪の可能性を並べられるものなのは、父の時に経験していました。

(父は多発性骨髄腫、同じ骨髄のがんでした)



覚悟はしていたけれど、それでも

やっぱりきつかった。


骨髄移植というのは、本当に大変なことなのだと実感しました。


自分の血液を、そっくりそのまま

他人のものと入れ替える。

A型アールエイチマイナスだったコウさんは、

移植する臍帯血がアールエイチプラスのため

生着したら、プラスに変わるのだそうです。

血液型を変えるなんてことが出来るんだ・・・

人間て凄いな・・・なんて、現実感が伴わないまま、先生の説明を聞いていました。



骨髄移植の前に、まずは自分の身体の造血幹細胞をすべて殺すために

通常の10倍の抗がん剤を使うそうです。

その段階で身体には相当の負担がかかります。


そしてそこに、臍帯血からとった造血幹細胞を入れるのが「臍帯血移植」


移植を受ける側は、点滴で入れるだけなので、移植自体の苦痛はないと聞いて少しほっとしました。


ただ、移植をした頃から

前処置の"10倍の抗がん剤"の副作用がやってくる。



そしてそのあとは、

他人の骨髄を自分の身体が拒否する、拒絶反応。


それに打ち勝ちながら、新しい骨髄が頑張って

新しい造血幹細胞を作ってくれると

『生着』となります。


臍帯血移植の場合、生着までの期間は

4週間ほどだそうで、それまではかなりきつい状態での寝たきりになるだろうと言われ

"4週間"という長さを思うと苦しくなりました。


その間、身体の免疫システムはからっぽ。


つまり、感染症の危険が常にいちばん大きなリスクとなります。



すべてが順調に進んだとして、

退院出来るまでに3~4ヶ月。



退院のあとも、日常生活に戻れるようになるまで1~3年。



拒絶反応は、軽くはなっていくけれど

一生続くのだそうです。



厳しい闘いです。



でもコウさんは、この病気になったとき

「闘病って言うけど、病気と闘うっていうイメージはないんだ。闘うのではなくて、病気を通して経験を積んでいると思ってる」と言っていました。


闘ってくれるのは、コウさんの身体の細胞たち。


コウさんの心は、静かに受け止めながら

目の前のことを乗り越えていく。


そう思えるコウさんだから、

大丈夫だと信じています。


そう言えるコウさんが、

本当にすごいと思います。




説明が終わり、帰るとき

コウさんは笑顔でいてくれました。


次に会えるのは迎えに来るときです。


それまでの間、必要な物を届けたりで

病院には行くのに、顔も見れません。



コロナ禍でなければ、ガラス越しの面会は出来たそうです。


過酷な治療を受けている人が、

家族の顔も見れない今の状況は

あまりにも残酷です。

1日も早く改善されることを願います。



あ!ひとつ嬉しいことがありました。


2度目の抗がん剤が効いていて、

この時点で「寛解」となっていました。

「寛解」の状態で、骨髄移植を受けられるということはいちばん良い状態なのです。


成功率が10%上がったと言われました。


40%が50%に。


その10%は、希望の光です。




⑤ へつづく。