原田マハさんの小説『太陽の棘』を読み終えました。

僕が原田さんの作品を読むのは、『キネマの神様』、『本日は、お日柄もよく』、『美しき愚かものたちのタブロー』、『たゆたえども沈まず』に次いで5作品目。

どれも感動的でしが、特に、史実に基づくフィクションアート小説の『美しき愚かものたちのタブロー』、『たゆたえども沈まず』には大きな感銘を受けたので、同じくアート小説のこの作品を読むことにしたのです。

初出は「別冊文藝春秋」2012年11月号~2014年1月号、単行本2014年4月発刊、2016年11月文庫本化で、僕が読んだのは2022年5月の第11刷です。

*表紙の画像はネットからお借りしました。
 
出版元の文藝春秋BOOKSというサイトで単行本発刊時、以下のように作品が紹介されているので転載させていただきます。
私たちは、互いに、巡り合うとは夢にも思っていなかった
 
サンフランシスコにある医院のオフィスで、老精神科医は、壁に掛けられた穏やかな海の絵を見ながら、光と情熱にあふれた彼らとの美しき日々を懐かしく思い出していた……。
結婚を直前に控え、太平洋戦争終結直後の沖縄へ軍医として派遣された若き医師エド・ウィルソン。
幼いころから美術を愛し、自らも絵筆をとる心優しき男の赴任地での唯一の楽しみは、父にねだって赴任地に送ってもらった真っ赤なポンティアックを操り、同僚の友人たちと荒廃の地をドライブすること。
だが、ある日、エドは「美術の楽園」とでも言うべき、不思議な場所へと辿り着く。
そこで出会ったのは、セザンヌや、ゴーギャンのごとく、誇り高い沖縄の若き画家たちであった。
「互いに、巡り合うとは夢にも思っていなかった」その出会いは、彼らの運命を大きく変えていく。
 
太平洋戦争で地上戦が行われ、荒土と化した沖縄。首里城の北に存在した「ニシムイ美術村」そこでは、のちに沖縄画壇を代表することになる画家たちが、肖像画や風景画などを売って生計を立てながら、同時に独自の創作活動をしていた。その若手画家たちと、交流を深めていく、若き米軍軍医の目を通して描かれる、美しき芸術と友情の日々。
史実をもとに描かれた沖縄とアメリカをつなぐ、海を越えた二枚の肖像画を巡る感動の物語。

 

また、文庫本化の際に、以下のような簡潔な紹介がされています。
この著者にしか描けない、沖縄と美術の物語!
終戦後の沖縄。米軍の若き軍医は画家たちが暮らす集落を見つけ、美術を愛するもの同士として交流を深める。実話をもとにした感動作。

 

更に、本書は以下の特設ページがあります。
このページからリンクが貼られている「本の話WEB」で原田さんが「書かなければいけない真実の話」と題して自筆を語っておられる文章から、この作品が生まれた経緯がよくわかるので、こちらも転載させていただきます。

作家になる以前、私は、20年近く美術関係の仕事に携わっていた。

 フリーのキュレーターをしていた頃に沖縄を訪れ、すっかり惚れ込んで、「癒しの島」沖縄を描いてみたいと思い立った。そうして書いたのがデビュー作となったラブストーリー「カフーを待ちわびて」である。アートとはなんの関係もない物語にしたのも、大切なテーマだから簡単に書いてはいけない、という強い自制が働いてのことだった。

 しかし、沖縄の物語によって幸運にも作家デビューを果たした私の中には、実は強い違和感が残っていた。確かに沖縄は「癒しの島」である。多くの観光客が訪れるリゾート地であり、若者たちがのんびりした暮らしに憧れて移住する新天地でもある。その一方で、凄惨な戦争を体験し、米国の支配下にあった歴史を持ち、いまなお基地問題は解決していない。何度も沖縄に通ううちに、本土に対する沖縄人の複雑な思いも知らされた。

 これらの史実や事実に蓋をして、私は可能な限り「夢のようにきれいな」物語を書いた。しかし、沖縄をあまりにも美化し過ぎてはいまいか、沖縄の真実から目を逸らしてよかったのだろうか、という思いを消せずにいた。

 そして、作家になって3年ほど経ったある日のこと、偶然見ていたテレビの美術番組で、「ニシムイ美術村」の存在を知ったのだ。

 戦後まもない沖縄に、ニシムイ美術村と名付けられた画家たちのコロニーがあった。「ニシムイ」とは、沖縄の言葉で「北の森」という意味だそうだ。首里城から見て北側に位置する森の中に、その集落は造られた。そこで、東京美術学校を卒業した若い芸術家たち――玉那覇正吉(たまなはせいきち)、山元恵一、安谷屋正義(あだにやまさよし)、名渡山愛順(などやまあいじゅん)ら、のちの沖縄画壇を背負って立つことになる画家たちが、絵画やカードを制作して米軍関係者に売り、生活の糧を得ていたという。

 

「ニシムイ美術村」との邂逅

 そして、画家たちがニシムイ美術村で制作した作品は、その後、海を渡り、サンフランシスコ在住のあるコレクターのもとに保存されている。そのコレクションが里帰りし、沖縄県立博物館・美術館の展覧会に出品される――と、番組の中で紹介されていた。

 コレクターの名は、スタンレー・スタインバーグ博士という。博士は精神科医で、1948年、24歳のとき、沖縄米軍基地に派遣され、軍医として2年間を那覇の基地で過ごした。派遣されるとき、彼は「必需品」として、真っ赤な車、ポンティアックを持ち込んだ。この車に乗って、焦土と化した那覇市内へ冒険に繰り出したのである。そして迷い込んだ先が、ニシムイ美術村だった。

 もともと自身も絵を描くのが趣味だった博士は、ニシムイで出会った画家たちと交流し、一緒に絵を描き、多くの作品を購入して、本国へ持ち帰った。その後、彼らと会うことはなかったが、博士は作品を今日まで大切に保管してきた、ということだった。

 その作品群が沖縄へ帰ってくる。番組を見終わった私は、すぐさまインターネットで那覇行きの航空券を予約した。これだ、という声が頭の中に響いていた。これこそが私が書きたかった物語、書かなければいけない真実の物語なのだ。

 はたして私は、沖縄県立博物館・美術館で、スタインバーグ博士のニシムイ・コレクションを見た。玉那覇正吉の描いた肖像画「スタンレー・スタインバーグ」、そして「自画像」。この2点が並んで展示されているのを眺めるうちに、時を超えて、ゆっくりと、しかし確実に、物語が動き始めた。

 展覧会のカタログの中で、スタインバーグ博士は、「私たちは、互いに、出会うなどとは夢にも思わなかった」と書いていた。しかし、沖縄の画家たちとの出会いは、彼の人生にまばゆい光を投げかけることとなった。当時、食べていくのもせいいっぱいというような状況下で、博士とニシムイの画家たちは、アメリカ人と日本人、支配するものとされるもの、大きな隔たりを超えて交流をした。それはなぜか。両者のあいだには、アートがあったからだ。

 アートには、国境などない。いかなる言葉も必要ない。1枚の絵があれば、それによって心を通わせることができる。それこそが、アートの本質であり、すばらしさなのである。

 スタインバーグ博士とニシムイの画家たちの交流、その史実を踏まえつつ、想像の翼をはばたかせ、書き上げたのが「太陽の棘」である。私は、本作を携えて、この夏、90歳の現在も現役で精神科医を務めるスタインバーグ博士を訪れるつもりだ。日本で生まれた物語を、今度は博士のもとへと帰そう。そう願っている。

 

引用が多くなりましたが、読み終えた結論を先にいうと、

大感動作でした。

実は、この本を読み終えたのは、日曜日に行った都響の大阪公演からの帰りの電車の中だったんですが、ラストのクライマックスでは感動でウルウルきてしまい、周りの乗客の皆さんから「変なじじいが、本を読んで泣いている」と好奇の目で危うくみられるところでした泣

どういう風に感動したかというと、転載させていただいた原田さんが書いておられる「博士とニシムイの画家たちは、アメリカ人と日本人、支配するものとされるもの、大きな隔たりを超えて交流をした。それはなぜか。両者のあいだには、アートがあったからだ。アートには、国境などない。いかなる言葉も必要ない。1枚の絵があれば、それによって心を通わせることができる。それこそが、アートの本質であり、すばらしさなのである。」という想いがヒシヒシと伝わってきたからです。

アートを通じて醸成された信頼関係、人と人との絆に大いに心打たれる作品です拍手

僕は、この本を読むまで、沖縄のニシムイ美術村のことは存在すら知らなかったのですが、機会があれば実際の絵画を是非、観たいという気持ちになっていますニコニコチョキ

 

原田さんの実話に基づくアート小説は『美しき愚かものたちのタブロー』、『たゆたえども沈まず』、そして、本書と全部いいので、強く強くおススメします。