11歳、9歳、6歳の3人の子ども

夫と暮らす、37歳の母です。

 

2020年の始まりとともに

6年ぶりの妊娠発覚。

 

期せずしてお腹にやってきてくれた。

小さないのち。

まるで「ギフト」

 

その妊娠記録とこの妊娠に至るまでの歩みを交えて綴っていきます

 

予定日は9月4日

 

 

※今妊娠14週です。現在に追いつくまでは過去を振り返っています

 

 

 

 

 
 
在宅で祖父の看取りをする!と決めた。
 
その直後、祖父は肺炎になってしまった。
 
在宅の準備が整うまでの1週間もたないかも・・・。
 
その間、
遠方に暮らす孫たちが順番にかけつけた。
 
最後の1人に会うまではーおじいちゃんは生きている!という不思議な確信があった。
 
最後の1人に会った3日後が退院の日。
 
退院予定の前日ー
弟から連絡があった。
 
 
「あの息のしかた、明日まで持たない気がする」と。
 
それを聞いて、直感的に思ったー
るかな?
いるんやったら、
それまで逝かないと思う」と。
 
すると、弟はこう言った
 
「あとは家やな」
 
「んじゃ、明日まで大丈夫や、きっと。」
 
 
祖父はなんとか生をつなぎ、
家に帰ってきた。
 
 
みんなで迎えた。
 
「おじいちゃん、おかえり」と。
 
 
危篤だから集まったんじゃない。
おじいちゃんの退院を
みんなで迎えたかったんだ。
だから、みんなとってもうれしそうだった。
 
そして、
24時間、家で過ごし、祖父は還っていきました。
 
 
おじいちゃんの大好きだったバナナをほんの少し、
香りが感じられるだけの量を
口に含ませた。
 
表情が和らいで、
開けっ放しだった口が、閉じられた。
 
おじいちゃんは食べることが大好きだったよねーと
会話に花が咲いた。
 
 
たくさんの人が家にきてくれて
「いままでありがとう」と伝えた。
その度に、祖父は頷いていた。
 
 
祖父はこの家で生まれ、この家でずっとすごした。
いつも
「迎える」人だった。
家に人が集うことが大好きだった。
 
だから、
 
この24時間はある意味
「いつも通り」だったのかもしれない。
 
祖父はー
食べることも飲むこともできずに
ガリガリになって、一生を終えた。
 
体すべてをつかいきって
いった。
 
そのときー思った。
 
そして、子供達にも伝わるといいなと思った。
 
「死は特別なことではなく、
自然の摂理そのものの中にあるもの」
 
 
植物が枯れて、生を終えていくように、
人もそうであること。
 
米粒よりも小さないのちからその生ははじまったように、
小さくなって還っていく。
 
 
生活の中で生はつながってきて、
生活の中で生を終えていく。
 
 
それは、植物がその場で生を育み、
子孫を増やし、その場で生を終えていくということにも
似ているかもしれない。
 
祖父のたった24時間の在宅療養。
そして、
いつもの場所で、いつものように時を刻みながら、
生を終えた。
 
人は
暮らしの中で、生まれ、
暮らしの中で、還っていく。
 
それはとっても自然なことなんだー。
 
強く強く思った。
 
 
それから1年。
 
 
新たないのちがわたしのお腹に宿った。
 
 
妊娠がわかったときに
「ありがとう」と思った。
 
 
生活の中での「死」を知った。
次は
生活の中での「生」だ!!
 
と。
 
 
 
入学、入園準備に。
手書きの温もりを。

 

 

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母子手帳カバーもつくってみました。

なかなかおもしろい。