11歳、9歳、6歳の3人の子ども
夫と暮らす、37歳の母です。
2020年の始まりとともに
6年ぶりの妊娠発覚。
期せずしてお腹にやってきてくれた。
小さないのち。
まるで「ギフト」
その妊娠記録とこの妊娠に至るまでの歩みを交えて綴っていきます
予定日は9月4日
※今妊娠14週です。現在に追いつくまでは過去を振り返っています
なぜ自宅出産をしようと思ったのか?
①のつづきです。
お正月に自宅に帰った祖父はとっても穏やかな顔をしていました。
その2ヶ月後、
祖父は肺炎で入院。
父は一つの選択を迫られることになったのです。
祖父の嚥下機能は老化によって落ちてしまい、
誤嚥が多くなっていたようです。
(それによる肺炎でした)
この状況ー回復する見込みはないとのこと。
「病院」では
口から食べるということは許可してもらえません。
口から食べられないということになれば、
点滴とか胃瘻とかそういった手段で栄養を取ることになる。
胃瘻はー「しない」
これはずっと前から家族皆の意見が一致していました。
そこで、祖父は腕から「点滴」をしていたのですが、
血管が脆く、
腕や足からの点滴も困難になってきているとのことでした。
父は医師から
「大きな血管から点滴できるような処置をしたい」
と言われたそうです。
当時、祖父が入院していた病院は急性期の病院。
ここに長くはいられない。
慢性期の病院に転院してほしいーという言葉が
その説明の後ろには隠れていました。
しかし、受けいれてもらえる条件が
「中心静脈栄養用のカテーテルを入れてあること」
というものだった。
父から相談がきました。
「おじいちゃんな、大きな血管から点滴しやなあかんって言われた。
このまま点滴ができなくなったら、1週間ももたないからって言われた。
お前、どう思う?」
わたしはー
そのとき、心に浮かんだままを父に伝えました。
「その処置をすることは単なる延命だと思う。
人間のしぜんな最期をー
おじいちゃんには迎えてほしい。
なんの管も無い状態でー
生まれてきた場所で、
生まれてきた姿で、
最期を迎えるっていうのも
いいなあって思う。
それとー
点滴がなかったら、
家で看取ることができるかもしれないよ?
おじいちゃんが帰りたかった家に
生きているうちに帰らせてあげたいって思う。
それには
お父さんやお母さん、おばさんたちみんなの力が
絶対に必要。
わたしにできることはするけれど、
でもできることは限られている。
お父さんたちに間違いなく一番の負担はいくから・・・。
みんなで相談してみて」
そんなことを話した。
父はー叔母たちを集めて、
決断しました。
「処置はしない。点滴しない。
退院させよう!!家で看取る」
と。
父は医療従事者でもない、単なるサラリーマン。
怖かったと思う。
迷って迷って・・・
自分の決断が祖父の命の期限を決めてしまうということの
重みを
感じていたと思う。
でも、父は決め、
母は協力すると言った。
そこから、ケアマネージャー、在宅医を探し、
環境を整え始めた。
祖父が家に帰ることができるのは
決断から1週間後と決まったー。
つづきます
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言の葉なまえうた
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母子手帳カバーもつくってみました。
なかなかおもしろい。




